今日は土曜出勤の日だが、休みを取った。

いくつか所用があるし、ちょっと走りたいが、フミさんが12時から車を使いたいと言う。

車にアルティメット号を積んで8時半頃に家を出発。

 

まず9時に絹自転車の荒井さんに延長工作してもらったFフォークをダイサクさんに渡す。

荒井さんがすぐに作業してくれたので、手早く渡せて良かった。

LOOK KG171の完成が楽しみ。

 

 

ダイサクさんに会った後、R16号を川越方面へ。

伊佐沼に到着し、バイクを下ろして軽く一周する。

 

 

今日は100年ほど前に伊佐沼の脇を走っていた川越電気鉄道の鉄道遺構を見に来た。

 

川越電気鉄道とは1909年(明治39年)から1940年(昭和15年)までの約30年間、川越と大宮の12.9kmを走っていた県内最初の電気鉄道である。

 

コレが明治40年の大宮駅西口の様子。

 

 

開業して1年ほどの時代だ。

発着場は今のDONと大宮駅との間らしい。

 

電気鉄道といっても都内で使われていた路面電車を払い下げで運用していたので地元ではチンチン電車と呼ばれていた。

 

 

速度は25〜30km程で、知り合いのお父さんは実際に乗った事があるそうだ。

 

 

しかし線路は急ごしらえで作られたので、脱線が後を絶たなかったと言う(笑)

 

国鉄川越線が1940年7月に大宮から高麗川間までの全線開通したことで、川越電気鉄道は同年12月に営業を停止し、翌年1941年2月に廃止が決まった。

 

 

コレが川越電気鉄道の経路で、伊佐沼の脇を走っていたと言う。

 

 

ここら辺か。

 

 

開通してから115年、営業停止から85年も経つ鉄道だが、その経路に鉄道跡が伺えるものはほとんど残っていない。

しかし1箇所だけ鉄道遺構が残っていると言う。

 

伊佐沼から東に細い道を進むと、川越市古谷上に黒須停留所があった。

 

 

黒須停留所の手前、小さい川を渡るところに川越電鐵の橋台跡が残っていると言う。

道路右側に黄色い旗が立っている辺り。

 

道の脇に煉瓦造りの橋台跡が有った。

 

 

川沿いに降りるとよく分かる。

 

 

コレが川越電気鉄道で唯一残っている鉄道遺構の橋台跡だ。

 

 

鉄筋の残りも露出している。

 

これは川越電気鉄道が造られた1909年当時の橋台跡なので、造られてから115年も経過している当時物の煉瓦なのだ。

 

 

そう考えると感慨深いものがある。

 

この先は荒川を渡り旧大宮市側になると、旧16号線沿いを走っていて、鉄道遺構は全く残って無いらしい。

 

今日はこの橋台跡を見られただけで満足。

今度、川越電鉄の始発駅から線路跡の道を辿ってみようか。

 

 

川越電気鉄道の橋台跡を見た後はパワーコープへ。

店長にお願いしていた部品を受け取り、今後のバイクの部品更新について店長と話をする。

 

話をしていると玄関先に鳩が来ていて、店長がパン屑を巻くのを待っていたようだ。店長が外に出るとたくさんの鳩が集まってきた。

 

 

クルック~クルック~、かわいいものだね(笑)

 

12時からフミさんが車を使うので慌てて帰宅したが、帰宅予定より45分オーバーで、フミさんに「コレだからぢゃんちゃんは!」と怒られる。

貯めていたフミさんポイントは全て失効しました(苦笑)

 

ワタシは来週の3月24日(日)に原宿で行われるJVR主催のサイクルフリマの準備を始める。

 

 

詳しい情報は下記にて。

 

 

今年初めてのサイクルフリマになるので、どんなものを持って行こうか。

まあCAMBIO工房の出展物はビンテージ系と言うより、ちょい古のパーツや用品が多いと思います。

 

今日は伊佐沼周辺をちょっと走っただけだった。

明日は山方面に行けるかな。