出羽三山の真実 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先月山形に行って来ました。11年ぶりに出羽三山を参りました。

 

前回は、蜂子皇子を調べるため、それと湯殿山のご神体を見るために行ったようなものでした。

 

 

今回は、日本全国に複数ある三山の結界の謎を調べることが最大の目的でした。

 

三山と呼ばれる山は、全国各地に点在しています。

 

 

三山の中には、霊的に大変重要な三山が幾つかあります。最も有名なのは日本三霊山の富士山白山立山です。

 
他で、私が霊的に重要だと考えており、これまで巡ったのは次です。
 
・上毛三山(妙義山、赤城山、榛名山)
 

・大和三山

・吉野三山

 

・日光三山

 

・詫麻三山

 

そして、月山羽黒山湯殿山出羽三山です。

 

出羽三山は、崇峻天皇の皇子、蜂子皇子が7世紀前半に開山したと伝えられ、それ以降、東北地方随一の修験道の地に発展したようです。

 

今回、出羽三山は二回目なのですが、再度行く事にしたのは昔の出羽三山には別の説があったからです。

 

江戸時代以前は出羽三山と言えば、月山、羽黒山、葉山の三山で、湯殿山は奥の院とされていたそうです。

 

 

それが、天正年間に葉山の修験が、別当寺である慈恩寺との関係を断ったことで葉山修験が衰退し、代わりに奥の院とされていた湯殿山が三山に数えられるようになったそうです。

 

今回、まずは葉山の慈恩寺に行ってみました。寒河江市にあります。

 

慈恩寺②

 

慈恩寺

 

慈恩寺は茅葺屋根でとても荘厳な雰囲気で、高波動を感じました。ご本尊は弥勒菩薩。

 

全国的にはあまり有名ではありませんが、地元ではかなり有名な寺院のようで、観光客も多く、境外には大きなレストランを構えていました。

 

葉山が出羽三山の修験に数えられる理由が分かりました。

 

次に巡ったのが、西川町にある岩根沢三山神社です。ここは元は日月寺と呼ばれていた天台宗の大きな寺院だったようです。

 

岩根山三山神社①

 

旧日月寺の巨大な本堂

岩根山三山神社②

 

月山山頂にある月山神社の別当寺であったことから、月山信仰の中心だったとようです。今でこそ廃れていますが、ここも出羽三山修験の中心だったはずです。

 

そして、湯殿山の湯殿山神社に行きました。ここも二度目です。

 

湯殿山神社

 

湯殿山は、途中の参道から完全に撮影禁止となっています。

 

湯殿山神社の特徴は、本殿や社殿がないことです。祭神は、大山祇神、大己貴命、少彦名命となっていますが、ご神体はなんと巨大な鉄分が堆積して出来たと思われる巨岩で、その上から温泉の湯が流れています。これは是非ご自身の目で見られた方がいいでしょう。

 

おそらく、このご本尊が『湯殿』の語源になっているのではないでしょうか。

 

私は、湯殿とは生命の始まり、人間の誕生に関係していると考えています。出羽三山の奥の院と呼ばれていた所以がここにあると考えています。

 

そして、最後に羽黒山。出羽三山を祀った出羽三山神社があります。ここが出羽修験の中心です。

 

また、入口付近の左奥には、出羽三山の開祖である蜂子皇子の墓があるのですが、大変荒れていて開祖の墓とは思えません。ここにも歴史の改ざんがあるのでしょう。

 

蜂子皇子の墓

蜂子皇子

 

境内はとても広く、社殿も立派、とても強い神氣を感じました。今回久しぶりに見学した拝殿・本殿は神氣に満ちていました。

出羽三山神社

 

注目は本殿の拝殿軒下に陣取っている2体の黒い人物です。

 

 

10年程前に来た時は、この二体の人物像を熊襲と思っていたのですが、今回来て感じたのは、この二体は神武天皇の説話にも登場する八咫烏だと思います。八咫烏は三本足の烏の姿で描かれていますが、それは変身した時の姿であり、実際には蜂子皇子を守っていた忍者のような存在だったと考えられます。

 

これで本来の出羽三山の寺社仏閣を巡りました。今回は時間がなかったの月山頂上の月山神社本宮には行けませんでしたが、いずれ訪問したいと考えています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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