今年7月に北陸三県巡りをしました。その中で印象深かったのが倶利伽羅不動寺(くりから-)です。
地元の人に教えてもらうまでは全く知らない寺院でしたが、行ってみるととても大きく素晴らしい場所でした。
倶利伽羅不動寺は、石川県津幡町の倶利伽羅峠にあるのですが、その広大な敷地は富山県にまでまたがっています。
(倶利伽羅峠から見る富山県方面)
ご本尊は、倶利伽羅不動明王。不動明王が持つ剣に龍が巻き付いている他では見られない不動明王です。
空海が本尊の俱利伽羅不動尊と同体の不動尊像を彫って奉納されているということから、当地がとても重要な場所であるということがうかがえます。
また、平成10年には麓に西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)が建築され、倶利伽羅峠まで登らないでも参拝出来るようになっています。
西之坊鳳凰殿 極楽浄土のような雰囲気
とても素晴らしい寺院、倶利伽羅不動寺ですが、私が気になったのは「倶利伽羅」という名称です。
当寺の説明によると、倶利伽羅の意は、インドの古典サンスクリット語kulikahに由来しているそうです。kulikahとは、倶哩迦や矩里迦とも音写され、その意味は「具黒」であり、龍王の名前とされているそうです。
ただし、私は、倶利伽羅の「伽羅」が、朝鮮半島南部の古代国家「加羅」(から)と通じているように思いました。
加羅国は、伽耶国とも呼ばれ、任那の一部でもあった国です。
任那は朝鮮半島南部一帯で、古代から日本との関係が深かった場所です。3、4世紀には当時の倭国が任那を起点に百済・新羅と交流していたことが伝わっています。
倶利伽羅不動寺からの風景は、石川県の金沢市を中心とした長い海岸線が見渡せます。
この風景を見て、倶利伽羅の名称から、私は、古代、この石川県の海岸と朝鮮半島南部の加羅(任那)がくっ付いていたのではないかと考えました。
後で調べてみたら、3世紀末の『三国志』魏書東夷伝倭人条には、「朝鮮半島における倭国の北限が狗邪韓国(くやかんこく)」とあります。または「韓は南は倭と接する」とあります。
この地形は、現在の日本と朝鮮半島の地理関係では説明がつきません。
また、日本列島にたくさんある墓形式の「前方後円墳」が朝鮮半島でも幾つか発見されています。朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉に成立したもので、任那の最西部であった地域のみに存在しています。
このことからも、石川県と韓国の任那部分がくっ付いて可能性が十分あると思ったのです。
従って、西暦266年に大地殻変動があり、今のような地形変わったのではないか、とうことが推測出来ます。もちろん、歴史書上はほぼ完全に消されているので証明することは不可能なのですが。
今統一教会問題が政界で大騒ぎとなっていますが、統一教会の教義は、朝鮮半島統一と、その次はエバ国である日本との統一であるようです。
実は、ここにも古代歴史の改竄が隠されているように思っています。
韓国が米国によって反日教育を推進させられたのも、日本と朝鮮半島が近づいてもらっては困る存在がいるからなのでしょう。
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