弥生時代の始まり | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

前回記事で弥生人に関係する話を書きましたが、弥生人が創造されたのは2000年前よりももっと古く、人間中心文明の始りである2900年前前後かもしれません。

 

また、前回記事で弥生人は主として現在の白人系と書きましたが、正確には違うようです。

 

本物の弥生人とは、ユダヤ人のようですね。その後、何らかのきっかけで誕生した白人系によって、ユダヤ人は迫害されていき、現在ではユダヤ人という定義は人種的なものよりも宗教的な概念で扱われています。


※いずれにしても白人系は新しい人種なので、2100年前に日本で流行ったコロナウイルスの疫病を経験していないと思われます。

 

さて、今回のテーマは、天は、何故、わざわざ弥生人を誕生させたのか?、という疑問です。

 

縄文人は狩猟民族で、弥生人は農耕民族と良く言われます。これに関しては、私は少し定義が異なると思います。

 

それは、縄文人(倭人)と弥生人という2種類の区分けではなく、これに阿修羅系が加わっての3種類の人類が、2000年前くらいの古代の人類の状況だったようだからです。

 

従って、大まかには次のように整理されるのではないかと考えています。

 

縄文人系(倭人)・・・自然民族(自然に実る果実等を食していた人種)

阿修羅系・・・弱肉強食の狩猟民族

弥生人系・・・牧畜&農耕民族

 

縄文人は狩猟民族ではなく、アダムとエバの話で出てくるような自然の中に実った果物等を食べる草食系の人種だったと思われます。

 

狩猟民族と言われるのは実際には阿修羅系で、現代の人類の概念に阿修羅系がないので、縄文人が阿修羅系と一緒くたにされて狩猟民族に置き換えられたのだと思われます。

 

弥生人が登場する前までは、自然系の縄文人と狩猟民族の阿修羅系民族しかおらず、この2種類の民族は互いの性質上融和せず、争いが絶えなかったはずです。

 

そこに、天は農耕民族である弥生人を誕生させることで、人類を融和させようとしたのだと考えられます。そういう意味では、弥生人は温厚で忍耐強い人類だと思われます。

 

実際の歴史では、ユダヤ人は迫害されたように、天の目論見ははずれたのかも知れません。人類の融和は現在でも成就していません。

 

弥生人が誕生したものの、大きな問題が残ったようです。

 

それは、弥生人が誕生する前は、自然の山や丘陵地、草原などしかなく、それらのほとんどは縄文人と阿修羅系民族の縄張りになっていたからです。

 

従って、弥生人は農耕や牧畜に適する土地を求めて移動するようになったのだと思います。ちなみに、最初の弥生人の発祥地は、おそらく現在の中国満州から朝鮮半島辺りだと考えています。

 

このようにして、世界中で人類の移動が始まったのだと考えています。

 

日本に弥生人が入って来たのは、2千数百年前頃だと考えられます。この時期以降、歴史上では渡来人が増えていますよね。

 

日本は狭い国土で平地が少ないため、農耕を行うための耕作地の確保が困難だったはずです。

 

そこで、天は、弥生人系に農耕地を与えるため、神を使って新たに土地を切り開かせたようです。

 

これが日本の数カ所に残っている湖の蹴烈(:けれつ、蹴破ること)伝説です。

 

最も有名なのは2つで、阿蘇盆地と甲府盆地です。

 

この二カ所は、国内有数の広大な盆地で、現在でも農業が盛んな場所ですが、古代は広大な湖の底だったという伝承があります。

 

それを、神(国津神)が、湖の壁の一部を蹴破って湖水を全て流し、現れた湖底の広大な平地を耕作地として用意したというものです。

 

阿蘇については、以前関連を記事にしていました。

<熊本地震と鯰>

 

 

 

<飛んだ外輪山>

 

 

 

現代の常識ではとても信じられないようなフィクションと思いがちですが、実は現代人の方が非常識なのです。

 

阿蘇に行けば、蹴烈伝説の痕跡が幾つも残っています。これらの痕跡を、生活に余裕のない古代の人がわざわざ人工的に作るはずがありません。

 

神聖な神社等に残されているものです。一部は改竄されたりしていますが、基本的に古代起きていたことなのです。

 

蹴烈伝説の当事者は阿蘇大明神である健磐龍命とされています。阿蘇神社系の総本山阿蘇神社の主な祭神です。

 

その阿蘇神社とも関係が深い、阿蘇盆地の北東部に鎮座する国造神社には、蹴烈伝説について由緒が書かれています。

 

国造神社

国造神社①

 

阿蘇開拓の由緒

国造神社②

 

国造神社の境内には、健磐龍命が阿蘇干拓時にカルデラ湖内にいた大鯰を祀る鯰神社もあります。

国造神社③

 

 

ちなみに、直接阿蘇の大鯰と関係があるかどうか分かりませんが、福岡県筑紫野市には、なんと菅原道真によって3体に斬られた大鯰が3つの石となった鯰石も残されています。

 

鯰石

鯰石①

 

胴体部分。この大きさから全長10mくらいはあったと推測される

鯰石②

 

頭部分

鯰石③

 

尻尾部分

鯰石④

 

 

 

健磐龍命は神武天皇の孫に当たるようですから、時代は2500年前くらいの話であり、国内での弥生時代の始りと一致します。

 

現在の阿蘇盆地は、健磐龍命によって開かれたことは間違いないでしょう。

 

阿蘇山と阿蘇盆地

矢村神社

 

 

日本各地では、このようにして、農耕民族である弥生人を活躍させるために各地で農地確保が行われたようです。このような蹴烈伝説は国内に30カ所以上残っています。歴史観が完全に引っくり返ります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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