先月、霧島山高千穂峰に登山しました。目的は天逆鉾(あめのさかほこ)を見るためです。
天逆鉾の由来には、諸説があります。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊邪那美尊(イザナギノミコト)が日本列島を国産みした時に使った天沼矛(あめのぬぼこ)であるとか、天地開闢の際発生した霊物であるとか、地元の霧島東神社では、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨時に天から持って来た神宝であるとされています。
いずれにしても、天逆鉾の由来は、はるか遠い昔の神代にまで遡らなければならないので、勝者の歴史に洗脳されられている人間では真実には辿りつけず、フィクションとしてしか理解できないのです。
波動が高くない人が、高千穂峰に登って天逆鉾を見たとしても、何も感じることはないでしょう。火山の山頂だから噴火を鎮めるために神が祀られているくらいの感覚にしかならないはずです。
しかし、神が祀られている場所は重要な場所。特に天逆鉾という特別な神宝が祀られている高千穂峰には何かあるのです。
高千穂峰をご神体とする神社は、霧島神宮ですが、元々の霧島神宮は高千穂峰と御鉢の間にあったようです。現在はその場所には祠が祀られています。
その後、霧島神宮は、噴火によって焼失し、940年代に現在の高千穂峰登山口でもある古宮跡に移ったそうです。
移転後もたびたびの噴火で焼失し、1484年に再建されたのが現在の高千穂河原にある霧島神宮です。
前述した古宮跡は、天孫降臨地となっています。
天孫降臨とは、天津神の瓊瓊杵尊が地上に降臨して来たということです。
瓊瓊杵尊が降臨する前の地上(地球)は、素戔嗚尊系統の国津神にまかせていたのですが、熊襲にやられっぱなしだったので、天が助け船を出し、新しい統治者として瓊瓊杵尊を降臨させたのです。
太古の昔、伊弉諾尊、伊邪那美尊による国産みの際に日本列島が創られたのですが、その娘、天照大神が高天原(天津神)の統治者となり、息子の素戔嗚尊が地球(国津神)の統治者となりました。
高天原の統治は、天照大神の息子天忍穂耳尊に引き継がれ、さらに天忍穂耳尊の息子である瓊瓊杵尊に引き継がれたので、瓊瓊杵尊は最初の高天原の統治者天照大神の孫に当たります。従って、瓊瓊杵尊は天孫と呼ばれているのです。
実際には、事情はもっと複雑なので単純な天孫ではないのですが、いずれにしても日本の天皇は、降臨した天孫瓊瓊杵尊の血流をひいていることになります。
天孫降臨した場所にも諸説がありますが、高千穂峰が天孫降臨地の一つであることには間違いないでしょう。天孫降臨の場所は、瓊瓊杵尊が五代続いていることから、地球上に少なくとも5カ所存在することになります。宮崎県にある高千穂神社周辺もその一つだと考えています。
実は、高千穂というのは、地の高天原という意味なのです。
以前、地の高天原は富士宮であるとご紹介しましたが、高千穂峰も同様なのです。
日本列島には、このように天の高天原と波動的にリンクした場所である地の高天原が数カ所、数十カ所存在するのです。
瓊瓊杵尊は、地の高天原である高千穂峰に降臨し、その証として高天原から授かって来た天沼矛を逆さまに刺したのです。これが天逆鉾の由来です。統治者が、国津神から天津神に変わったという証なのです。
従って、天逆鉾は、初代の瓊瓊杵尊が降臨して以来、数百万年以上、高千穂峰に刺さり続けていることになるのです。驚くでしょう?
ところが、この天逆鉾を抜こうとした人物がいます。それが、幕末のヒーローとされている坂本龍馬です。坂本龍馬は、霧島で療養中に高千穂峰に登り、なんと神聖な天逆鉾を抜こうとします。その結果、天の逆鉾は表面に出ていた部分が折れてしまったと伝わっています。
内部には、本物の残りの部分が残されているようですが、現在表面に突き出ている部分はレプリカです。
何故、坂本龍馬が天逆鉾を抜こうとしたのかです。その理由は、坂本龍馬が熊襲だからです。
幕末の大変動期に、坂本龍馬は熊襲トップと契約してしまったのです。そして、神国日本の力を割こうとするため天逆鉾を抜き、波動を下げようとしたのです。
坂本龍馬は決してヒーローではないのです。米国のスパイだったのです。だから、その後、愛国者から暗殺されたのです。暗殺されたことで一気に名が上がったのは皮肉なものです。
天孫瓊瓊杵尊の降臨地、地の高天原の証でもある天逆鉾の神気は復活しています。これから世の中は、良くも悪くも本来の形に変わって行きます。
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