これまで天竺に関する記事を書いてきました。
日本にある、『天竺』と付く地名の場所は、宇宙のエネルギーを伝える場所なのです。宇宙のエネルギーとは、高波動のエネルギーであり、地球が生態系を維持するために必要なエネルギーだと考えています。
地球が受けた宇宙のエネルギーは、北天竺バガンから陰のエネルギー、南天竺アンコールから陽のエネルギーとして発せられていて、その両方のエネルギーが混じり合って天草の天竺山に再注入されているのです。神国日本を維持するためのエネルギーです。
さらに、天草天竺山と長崎天竺山を底辺として、東京都あきる野天竺山に向かってエネルギーが移動しています。この巨大な二等辺三角形の下には中央構造線が含まれています。
中央構造線は、日本列島の動脈の様なもので、霊的浄化システムでもあるのです。霊的浄化システムを守護するために、宇宙のエネルギーが注がれ、神国日本として高波動を保つ仕組みなのです。
天竺が守護しているのは中央構造線だけではありません。フォッサマグナもそうでしょうし、日本列島全体に動脈として広がっているはずです。
日本に天竺がどのくらいあるのかは正確には把握していませんが、私が天竺という地名が付いた場所を探したところ約30カ所ありました。天竺という名前が付いていない場所でも、同様の役割を持っている場所もあるようなので、全体ではもう少し多いと考えています。
天竺の意味が分かったのは今年初めです。アンコールワットを訪問した後に判明しました。その後、各地の天竺を巡りだしました。これまで巡った場所は約20カ所です。
各地の天竺は、天竺山の様に山であることが一番多いですが、丘陵地だったり、平地の荒地だったり、時には寺院の山号だったりします。いずれも結界が張られていて、強烈な邪気を感じる場所でした。
天草や長崎、あきる野の天竺山は標高が低く、軽い登山やハイキングのつもりでも行けますが、長野県川上村の天竺平や奈良県十津川村の天竺山は、それなりの準備をして登山する必要がありました。
今年7月、川上村の天竺山に登った時に思わぬ発見がありました。
天竺平と呼ばれている場所は甲武信ヶ岳を頂点とする奥秩父山地の一帯にある標高2100mの尾根が広くなった場所です。
そこは何の変哲もない山中なのですが、高波動が渦巻いていました。
そして、天竺平を降りる途中に巨石群を見つけたのです。巨石群と言っても無造作にある自然の状態の巨石ではありません。お城の礎石のように人工的に積み重ねられた巨大な石積みだったのです。
天竺平は、ほとんど登山する人がいない場所ですし、遺跡として認知されている場所でもありません。登山ルートから離れたところにを下っていたら、突然目の前に現れたのです。標高2000mのところの山の斜面に、このような巨石の意人工的な石積みが存在するのです。誰が何のために造ったのでしょうか?
大半は崩れて、下の方にたくさん石の一部が落ちていました。建設当時は広大な建造物があったとはずです。
これを見た瞬間、私は、これはギザのピラミッドと同じように人間技で出来るものではない、と感じました。おそらく数千年以上前の神代に造られたものでしょう。
この次に、先月、十津川村の天竺山に登りました。こちらも登山客にはあまり人気のない山。それ故に山道がはっきりせず、登るのはかなり大変でした。
下りの際、道を間違ってしまい、斜面で迷ってしまいました。
一時間ほど彷徨っていたら、ここでも巨石や石が斜面中に転げ落ちている場所がありました。天竺平とは異なり建造物の跡は残っておらず、全て崩れているようでした。
天竺平、天竺山と連続して巨石群を見つけたことで、天竺山と呼ばれる場所は、神代に巨大な石造りの建造物が存在し、そこは仏教信仰のための施設、つまり仏所(佛所)だったのだろう、と感じました。
最初に登った天草の天竺山には、頂上に天竺神社が祀られていましたし、長崎の天竺山では気づきませんでしたが、あきるの市の天竺山には頂上に三内神社がありました。
明治の廃仏毀釈によって神社と寺院は強制的に分離されましたが、天竺神社、三内神社も以前は神仏混淆だったはずです。
天竺平や奈良の天竺山のように高い山になるほど、天竺の仏所は巨大になっていったのではないでしょうか。
今月初旬、神戸の六甲山に行きました。六甲山にも六甲山神社に石の宝殿という巨石がありますが、私は六甲山神社よりも、少し離れた場所にある六甲山神社と対になった六甲山媛神社の方が気になりました。
そこへ行くと、巨石群があります。
この巨石群を中心に、下の方まで天竺平で見た巨石の石積みが見られたのです。
六甲山も天竺だったのです。
日本には各地に人工的と思われる巨石群が見られます。
このような場所は、天竺と繋がった宇宙のエネルギーを伝える場所で、古代の人々(神も含む)はそこに仏所を建てて平安を祈願していたのだと思われます。
そのような場所は、全国に動脈のように繋がって存在しているのです。これから全貌は分かっていくはずです。
しかし、神国日本の波動を下げたい熊襲たちは、人々に憑依したり、洗脳したりして、仏所を破壊させてきたのです。それが顕著になったのは、1052年の末法突入以降だと考えられます。
織田信長が比叡山や石山本願寺を焼き討ちしましたが、これは熊襲が仏所を破壊する行為の一環です。歴史的にはこのように一部しか残されていませんが、実際には日本全国で同様の行為が行われ、天竺の仏所も破壊されていったのです。
現代人は、何故、織田信長が比叡山を焼き討ちしたのか、その真相は伝えられないまま、熊襲の成済ましにあった信長を英雄視しているのです。勝者の歴史とは恐ろしいものです。
これから、天竺が復活して行くとともに日本の波動は元の状態に戻り、未来の地球も大きく変わっていくことになるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。