<檀君神話(朝鮮半島の神話)>
日本と朝鮮半島は、神代から非常に繋がりが深い場所だったのです。
日の本とは、太陽と繋がった場所の意であり、日本は天の高天原(天国)とリンクした地の高天原だったのです。
一方の朝鮮半島は、月(太陰)と繋がった場所ということになります。
太陽と太陰、陰陽二つの地域が揃って初めて、地球が統治できていたのです。これが記紀の三貴士誕生以降の地球です。
現代の朝鮮半島は、南北に分裂させられ、本来は盟友であった日本と韓国の関係もギクシャクしていますが、これこそ本来の地球の在り方を否定し、自分たちが支配しようとしてきた熊襲の戦略だったのです。
神功皇后の三韓征伐、天智天皇の白村江の戦い、豊臣秀吉の朝鮮出兵等、日本の各時代の統治者は、朝鮮半島と歴史的に関係していますが、これらは全て、日本と一体であった重要な朝鮮半島を、熊襲から守るために行ったことなのです。
しかし、最終的には、朝鮮半島は檀君時代の栄華を取り戻すことが出来ず、現代に至っているのです。
今回は、その太陰の朝鮮半島に対して、日の本、太陽である日本の本来の都についてご紹介します。
日本の都の変遷は、おおまかには藤原京、平城京、長岡京、平安京、東京という流れですが、これは人間中心文明に入ってからの都の話です。
それ以前の神代は、日本は太陽(高天原)と繋がった唯一の地域、地の高天原だったので、太陽神から繋がる神の天皇が置かれていました。
太陽神の誕生は、神産みから始まります。
古事記の神産みの段に次のように書かれています。
イザナギはイザナミを探して黄泉の国へ赴くが、イザナミは変わり果てた姿になっていたため、おののいたイザナギは逃げた。イザナギは黄泉のケガレを清めるために禊ぎをしたが、このときもさまざまな神々が生まれた。最後に生まれた天照大神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男(海を支配)は三貴神(三貴士)と呼ばれ、イザナギに世界の支配を命じられた。
<WIKI:神産み>
三貴士の誕生は、それまでの地球統治の形態を大きく変えることになります。
それまでの時代(国常立尊などの時代)は、天(高天原)から地球を含む太陽系全体を統治していたのですが、三貴士の誕生により、統治形態を三分担し、高天原(昼の世界)、月(夜の世界)、地(海)に分けたのです。
そして、高天原を天照大神、月を月読尊、地を素戔嗚尊が担当するようになったのです。
地を治めるために地上に降りて来たのが、前回記事の檀君に繋がる元来は月神(太陰神)だった素戔嗚尊という神の役職だったのです。ここから国津神という概念が誕生することになります。
一方、天照大神は高天原に存在し、月読尊は月に存在して太陽系を三分担してバランスよく統治する仕組みとなったのです。
高天原については補足が必要です。
高天原は太陽系の中心、太陽を統治する場所で、天のどこかに存在していて、そこで天照大神を中心とした神々(天津神)が合議しながら地球を見守っています。
しかしながら、神々が天の高天原にいるだけでは、いろいろと不都合な場面も生じます。
従って、地球上に高天原の支所のような場所を造る必要が生じたのです。それが、イザナギ、イザナミの国産みで出来た日本列島であり、地の高天原と呼ぶことになったのです。
天照大神を初めとした高天原の神々(天津神)は、必要に応じて地の高天原に降臨し、地の主宰者素戔嗚尊、月(幽界)の主宰者月読尊と連携して太陽系の政を行っていたのです。
日本が神国、八百万の神が集まる国と言われる所以は、ここから来ているのです。時代にして100億年以上前の話です。
日本には、神社がたくさんあります。それは日本が地の高天原であり、天津神、国津神が集合していた証なのです。
この神国日本の中で、地の高天原の中心、都が置かれた場所こそが富士宮だったのです。
富士は富士山から来ていますが、神代の富士山は神代は地球を代表する山であり、世界最高峰で優に1万メートルを軽く超えていたようです。とても信じられないでしょうが。
現在は、大変動によって、かつての山頂部分を残して地に沈んでしまっていますが、急激に水深2500mまで深くなる駿河湾に、当時の富士山の片鱗を見ることができます。
その富士山の山麓が地の高天原の中心地だったのです。だからこそそ、富士宮と名称が付けられ、そこに富士山をご神体とする浅間大社が構えられているのです。
<富士の火のライン>
また、富士山の祭神は、木花咲耶姫命となっていますが、本来は天照大神です。
天照大神は、佛の世界では大日如来の流れ(垂迹)です。富士宮にはかつて富士山興法寺という大規模な寺院があり、富士信仰(大日如来信仰)の場所であったようです。現在では、明治の神仏分離・廃仏毀釈の影響で、村山浅間大社と分離され、興法寺には大日堂が残っているだけです。
<WIKI:富士山興法寺>
興法寺大日堂
また、富士宮には、日蓮の流れを汲む日興が築いた富士五山があります。
<WIKI:富士五山>
富士五山は、法華経(月)の流れであり、大日如来(太陽)を本尊としている訳ではありませんが、富士宮に太陽と月が揃うことを意味していると考えています。日蓮や日興に、太陽を表す日という漢字が入っているのはそのためです。
富士五山(赤線)と富士山興法寺(黄線)を直線で結ぶと、富士宮市街をすっぽり囲む長方形が出来上がります。長方形の南側の辺上には浅間大社も位置しています。
おそらく、これが神代の都、富士宮の跡だったのであろうと考えています。
しかしながら、熊襲の狙いは地球支配。朝鮮半島にとどまらず、神国日本も自分のものにしようとして、神代終盤に富士宮も破壊してしまったのです。
しかし、いずれ未来には、富士宮は地の高天原の都として復活するはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。