真の歴史書 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

日本最古の歴史書「古事記」「日本書記」。一般的には記紀と呼ばれています。

私は、記紀を本格的に調べだして4年になるのですが、古事記と日本書記との間で矛盾する箇所も多く、また、特に日本書記は、各項目について複数の説を「一書曰く」というふうに併記しているため、どれが真実なのかが全く分かりません。記紀を真剣に読めば読むほど、辻褄が合わなくなってしまうのです。

辻褄が合わないということは、どちらか、もしくはどちらとも、編纂時に改竄がなされている可能性があることになります。特に日本書紀の改竄がより酷いような気がしていますが、当ブログでは、その改竄の内容を、私独自に解読してご紹介してきました。

もちろん、私自身が記紀に書かれている時代の歴史を、目の当たりに見て来た訳ではありませんので、全てがピッタリ正しいとは思っておりませんが、記紀を正史としてきた歴史学者とは、比較にならないくらい真の歴史解明にたどりつきつつあるのは間違いないと自信があります。

歴史学者が真の歴史にたどり着けない大きな理由は、神代以降、歴史上では勝者とも言って良い阿修羅・熊襲、つまり霊的に悪事を働いている存在を無視して考えているからです。

何故、人間はここまで争ってきたのか?

その主要因である歴史を動かし、改竄してきた存在を認識しない限り、真相は見えないのです。全体像が見えない状態で個々を掘り下げたところで、辻褄が合わなくなるのは明白です。だから真実にたどり着けないのです。もちろん、真実を解明しようとしてきた人が、阿修羅・熊襲によって邪魔され続けて来たことも間違いありません。

記紀編纂に当たっては、おそらく神代以降の正史を書いてきた古文書が存在していて、それをベースに、勝者(阿修羅・熊襲)に都合の悪い部分を改竄されたのです。

そして、記紀を勅撰の日本最古の歴史書として認定し、それ以前に存在した公的な歴史書は全てこの世から抹消されたのです。これは、古代中国の始皇帝を初めとして、力で帝位を奪ってきた中国の歴代の権力者のやり方と同じです。

しかしながら、正しい歴史を書いていた古文書が、この世に全く存在していないのかといいますと、そんなことはありませんでした。私はつい最近気づきました。

それが、竹内文書(たけのうちもんじょ、「竹内文献」とも呼ばれる)と上記(うえつふみ)です。

記紀以外の歴史書としては、竹内文書、上記以外に、先代旧事本記やホツマツタエや九鬼文書(くかみもんじょ)、カタカムナなどその存在が知られていて、これらは古史古伝と呼ばれています。
<WIKI:古史古伝>

これらの古史古伝については、その存在を私は以前から知っていましたし、それぞれをかじったこともありました。

しかしながら、これまでは、これらの
古史古伝が正しいかどうかの判断ができませんでした。それは、記紀の改竄の全体像を知るのに3年程かかったからです。記紀の改竄の内容を知らないことには、これら古史古伝が正しいかどうかの判断はできなかったのです。

これら古史古伝は記紀と矛盾することが書かれているため現代の歴史学者によって偽書(ぎしょ)と認定されています。

しかし、これら
古史古伝を読んでみると、全ての古史古伝を偽書とするにはあまりにも乱暴だと感じるのです。

最近、再度、これら
古史古伝を読んでみて、特に竹内文書と上記は、とても偽書とは思えませんでした。書かれている内容が記紀より広範囲かつ、精緻な箇所がたくさんあるのです。とくに上記の神代の内容は、記紀の10倍以上、はるかに詳細に書かれているのです。これだけの内容を空想で書くことは不可能だと思われます。

結論から言えば、竹内文書と上記に書かれていることは、ほぼ正しい内容です九鬼文書も一部を除けば正しいと思われます他の
古史古伝については、正しいもの間違ったものが混在しているように感じています。

竹内文書は、第25代武烈天皇(5世紀後半)の時代に、武烈天皇が武内宿禰の孫とされる平群真鳥に編纂させたものです。
<WIKI:竹内文書>

平群真鳥は、当時伝えられていた正しい内容の歴史書をベースに、精緻
古史古伝に書き写し、竹内文書を完成させます

しかし、熊襲はこれを許しません。熊襲系大友金村は平群真鳥を抹殺しようとし、その結果、
平群真鳥は自害したことに歴史上はなっています。

編纂を命じた武烈天皇は
平群真鳥の暗殺を許可したことになっていますが、これは後に改竄されたものでしょう。
<WIKI:平群真鳥>

平群真鳥は自害したとみせかけ、名前を竹内真鳥に変えて生き延び、竹内文書を守ったのです。その後、竹内家では代々、竹内文書を公開せず守り続けたのです。


そして、編纂から1300年以上経過した昭和3年に、竹内家の竹内巨麿が再度竹内文書を世に出したのです。

竹内巨麿は、竹内文書をベースにした皇祖皇太神宮天津教を起こし、歴史の真実を世の中に広めようとします。

しかし、時は熊襲系が政治の中枢を握っていた大正、昭和初期。出口王仁三郎の大本と同様に弾圧されます。真実を広めようとしたら弾圧された時代なのです。この際に、竹内文書の一部は消失したようですが、現存している内容でも十分価値があるものなのです。

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一方の上記(うえつふみ)は、鎌倉時代に編纂されます。源頼朝の落胤とも伝えられる豊後国守護の大友能直が編纂したものです。
<WIKI:上記>

ウィキペディアには、「一般的には史実とみなされていない」となっていますが、これこそ記紀を正史とする側にとっては都合が悪いからです。

上記について書かれた解説本を読むと驚愕です。神代の神々の数、事績など事細かく書かれているのです。このような詳細な内容を創作する方が難しいです。
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竹内文書と上記では、神代の歴史へのアプローチ方法が異なります。

竹内文書では、記紀の造化三神以前に天神8代、神皇3代が存在しており、その時代はなんと数千億年前に遡ります。古事記上で創造主とされている天之御中主神は神皇4代目です。また、記紀の天照大神は神皇22代目となっています。伊弉諾神、伊邪那美神のはるか前から地球、日本は存在していたことになっています。

一方の上記は、登場する最初の神は、記紀とほぼ同じですが、神産み、国産みの詳細が記紀の比ではなく、物凄いボリュームで書かれているのです。ただし、この時代の正確な年代は書かれていません。

竹内文書と上記の2つを合わせて読めば、宇宙誕生から地球誕生、神・人の誕生が見えてきます。

そして、竹内文書と上記が共通する内容が、ウガヤフキアエズ朝についてなのです。

ウガヤフキアエズといえば、記紀では神武天皇の父である
彦波瀲武盧茲草葺不合尊のことを指しますが、竹内文書と上記では、彦波瀲武盧茲草葺不合尊と神武天皇の間に七十三代に渡るウガヤフキアエズ朝が存在しているのです。

私は、天照御神や素戔嗚尊が活躍した時代は、5000年前から1万年前くらいだと考えていて、
彦波瀲武盧茲草葺不合尊は神代末期の3500年くらい前のことだと考えていましたが、これは全くの見当違いだったのです。

神代終了の3400年前以前には、数万年、数十万年に渡る国津神の時代が存在していたのです。天照大神や素戔嗚尊、大国主神の時代はさらにそれよりももっと古い数百万年、数千万年、いや何と数千億年以上前に渡るのです。

地球の歴史は、数千億年続いた天津神が統治する世から、約300万年続いた国津神の世に移り、そして神武天皇以降、現在まで続く2700年の人間の世として、継続性があったのです。

人間を支配したい熊襲は、ウガヤフキアエズ朝が崩壊時に、日本の歴史が一旦途絶えたのをチャンスと見て、歴史を改竄したのです。それは、天津神が活躍していた神代や、ウガヤ
フキアエズ朝の華やかで高度な文化の時代を、フィクションにするためなのです。

ウガヤフキアエズ朝の約300万年に亘る時代を空白にすることで、継続性をなくし、神代をフィクションにすることが目的だったのです。実際にそれは成功し、皆さんは神話は空想だと思わされています。

そして、人間は猿から進化したという進化論によって、神武天皇以降、世界中の人類を洗脳してしまったのです。

地球上から国津神がいなくなり人間のみになった理由はきちんとあるのです。すべて天が決めたことです。

ウガヤフキアエズ朝については、次回にでもご紹介します。

とにかく、我々人類は、完全に歴史認識を洗脳されてしまっています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。