816年の隕石 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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先日大阪に行った際、交野市の星田妙見宮を参拝しました。

ここは、咋年9月下旬、剣山登山の帰りに大阪の友人宅に立ち寄った際に参拝したところです。

わざわざ参拝した理由は、「西暦535年、星田妙見宮の場所に隕石が落ち、当時、この地にあった都(朝廷)が吹き飛び、都が崩壊。天皇家が断絶。朝鮮半島から敦賀方面に渡来してきていた人物が天皇家を継ぎ、その名の通り継体天皇となった。」というショッキングな情報を確かめたかったからです。

当時は、その隕石の落ちた場所を確認し、満足したものでした。

この535年の隕石に関しては、私は大変興味があり、2年に渡って記事を書いてきました。
<参照:西暦535年>
<参照:西暦535年(続)>
<参照:継体天皇の真実>


ところが、結局、この情報は、金星系の情報でした。継体天皇は一時的に金星系によってすり替えられた天皇で、天皇家は少なくとも第15代応神天皇から、その血流は断絶してはいないことが、今年前半には分かっていました。

ちなみに、現在分かっている範囲では、第2代
綏靖天皇から天皇家は万世一系です。ただし、最初の神武天皇、途中の第10代崇神天皇、第26代継体天皇、第122代明治天皇の4人は、金星系によるすり替えです。今後、すり替えられた天皇が増える可能性はあります。

金星系の情報と言っても、隕石が落ちたのは事実。違うのは、当時の都がこの周辺にあり、隕石によって崩壊したのではなく、隕石による混乱の影響をきっかけとして天皇家が侵略されたのだろうと考えていました。

従って、星田妙見宮にも(前回行った際は分からなかったが)金星系によって結界が張られているに違いない、と考え行くことにしました。

一年三カ月ぶりに参拝しました。前回とは違って、物凄く強烈な邪気を感じました。私の波動が上がって、邪気を感じられるようになったのです。

星田妙見宮③


そして、当時は気にもしなかったお稲荷さんもちゃっかりありました。

また、至る所に旧社殿の残骸が無造作に放ってあり、強烈な邪気を放っていました。酷い仕打ちです。これらの邪気を丁寧にお祓いしました。

そして、隕石落下の場所を再訪しました。やはり、ここも強烈な邪気です。前回は、少しばかり気味が悪いというだけで邪気は感じませんでした。

星田妙見宮①

(クリック拡大)

2,3小さなオーブが写っていますね。お祓い後は、すぐに波動が高くなり、明るくなってきました。

近くにあった岩。これが隕石の破片なのでしょか。

星田妙見宮②


一通りお祓いが終わって、ほっとしていたら、次の紹介版が気になりました。

星田妙見宮④

(クリック拡大)

前回も気づいていたのですが、星田妙見宮の紹介版には隕石落下は535年ではなく、816年となっているのです。

前回行った直後、この件を(今となっては金星系と判明した)ある方に確認したら、「本当は535年が正しいが、星田妙見宮は空海との関係を強調した方が観光目当てになるので、そう書いているのだろう。」ということでした。私は、当時、その言葉に、妙に納得していたのでした。

ところが、今となっては金星系の見解。私を誘導したかったのに間違いありません。

星田妙見宮に隕石が落ちた時期は816年が正しいのです。間違いありません。

金星系が535年と主張しだしたのは、継体天皇を正当化し、その後の天皇家の血流が継体天皇から繋がっているとするために、隕石落下を捏造したのです。

535年の最初に記事に書いたとおり、この年にはクラカタウ火山の大噴火もあって、世界的に気候の大変動があった年です。その原因を星田妙見宮に落ちた隕石にしたかったのです。

幽界存在の金星系は、通常の魂を持つ人と異なり、過去の出来事も知っているのです。そういう人たちを皆さんは、霊能者とか、サイキックとか、超能力者と間違っているのです。

実際には、継体天皇は崇神天皇や明治天皇と同じ手法で、本物の天皇とすり替わったのです。

こちらは星田妙見宮の看板です。空海の事が書かれています。

星田妙見宮⑤

(クリック拡大)

816年に落ちた隕石は、おそらく空海と関係が深いはずです。ここについては、いずれ詳細が分かるのではないかと考えております。


最後まで読んでいただきありがとうございます。