筑紫と安曇 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先日、豊川稲荷を参拝した際の写真をご紹介します。


豊川稲荷は、三大稲荷の一つ。ということは、金星系によって強力な結界が張られている場所ということになります。


確かに霊狐塚の狐さん数百体には圧倒されました。物凄い邪気でした。時間をかけてお祓いしましたが、あのような場所に行くものではないですね。その後、素晴らしい写真が撮れました。


本堂横の写真。
知っとうや2-豊川稲荷①
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三重塔。これは迫力満点

知っとうや2-豊川稲荷③
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さて、今回は、535年に関わる内容です。

<参照:継体天皇の真実>


535年と言えば、現在の枚方市、交野市辺りに隕石が落ち、当時、その周辺にあった都が滅んだとしていましたが、実際には佐賀大和朝廷に落ちた隕石より規模は小さく、当時の都が滅んだ、というほどではないと思います。佐賀大和朝廷とは異なり、その後の文明は継続していますから。



金星系のある方は、自らがウォークインした継体天皇を、皇室の祖にしたいがために、そのような主張をしているのだと思われます。


隕石落下の混乱に乗じて、皇族と関係ない金星系継体天皇が一時的に勝手に天皇を名乗った可能性は高く、それが記紀に改竄され、現在でも第26代天皇とされているのだと思います。継体天皇は、皇族とは関係ないと考えていいと思います。


第15代応神天皇が倭国を統一したのが西暦370年頃。次代は応神天皇の息子である第16代仁徳天皇が、倭国を安定化させます。400年前半の頃です。応神天皇と仁徳天皇の陵墓の大きさが、国内でそれぞれ2位と1位であることは、倭国統一・安定化に起因しているのだと考えられます。


しかし、仁徳天皇在位が終わる頃から金星系の動きが活発化します。


仁徳天皇の以降は順に、履中天皇(第17代)反正天皇(第18代)允恭天皇(第19代の、仁徳天皇の息子が三代が続きます。この息子三代の頃に金星系の動きが活発化し、皇室内外で謀反が度々発生します。


さらに、允恭天皇の息子、安康天皇(第20代)雄略天皇(第21代)の頃には、金星系の動きがエスカレートしていきます。記紀に描かれている雄略天皇像を見ると、とても最高統治者たる天皇とは思えないような、殺人行為を行っています。おそらく、これは金星系の改竄でしょう。


そして、記紀では武烈天皇(第25代、在位489年から507年)の時、天皇の人物像を貶める表現がピークに達します。その武烈天皇の次に天皇となったのが、問題の第26代継体天皇です。


要するに、記紀は、継体天皇を正当に登場させるために、直前の数代の天皇像を極端に改竄したのではないかと推測できます。


武烈天皇の時代は、倭人系VS金星系の戦いが極限に達したのだと思われます。当時の中心地、大阪・奈良だけでなく、より歴史が古い九州筑紫(筑紫王国)、諏訪湖北部周辺(安曇王国)にも都に準ずる都市があり、この両国は中央の都と一緒に、金星系と戦っていたようなのです。


筑紫王国のトップは、筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)です。福岡県に岩戸山古墳がありますが、これが筑紫君磐井の墓ではないかと言われています。

<WIKI:筑紫君磐井>


筑紫君磐井は、定説では、528年に反乱を起こし、継体天皇によって滅ぼされたとされていますが、これは完全な改竄です。筑紫君磐井は継体天皇に滅ぼされたわけではありません。

<WIKI:磐井の乱>



一方、諏訪湖の北側、現在の安曇野市周辺には、安曇王国があったようです。現在では、安曇族は海人(あま)族で、福岡の宗像大社周辺から海を渡って、長野の山奥の安曇野にたどりついたという伝承があるようです。


しかし、これも金星系の改竄です。安曇族は海人族ではなく、もともと穂高に降りた神の末裔なのです。海人族とされているのは、金星系が継体天皇に関わる歴史を改竄したためなのです。


筑紫王国と安曇王国は、大阪の都と一緒に倭国を形成していたようなのです。従って、西暦500年の前後50年頃(100年間)は、倭国は金星系と戦っていた歴史だったのです。


さらに、言えば、535年の100年以上後の663年、天智天皇が唐・新羅軍と百済救済のために戦った白村江の戦いの際、安曇族は天智天皇とともに戦っています。その際、安曇比羅夫(あずみのひらふ)は、戦士しています。筑紫王国と安曇王国は倭人系の友好国であり続けたたのです。これは、約3500年前のオオクニヌシと、その息子、タケミナカタの時代まで遡る歴史からの繋がりなのです。

<参照:諏訪大社>



そして、問題の535年には、金星系の力が強まり、倭人系の都が落ちそうになったようです。そこで、筑紫王国の筑紫君磐井自らが乗り込みます。懸命に戦ったようですが、金星系を退けることはできなかったようです。


結局、筑紫君磐井は封印していた波動エネルギーを使わざるを得なくなります。波動エネルギーを利用して、神風を起こし、金星系を退治します。その波動エネルギーの反動で隕石を呼び込み、枚方・交野の隕石落下に繋がったのです。

<参照:神風を起こす>


この混乱に乗じて、金星系が継体天皇と名乗ったのが、535年の真相だと思います。


その後、任那第10代仇衡(きゅうこうおう)王が倭国にやってきて第29代天皇に就き欽明天皇となります。そして、倭国は落ち着きを取り戻します。仇衡王は、当然倭人系であり、天皇の血流だったのです。


筑紫王国、筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳。
知っとうや2-岩戸山古墳②


知っとうや2-岩戸山古墳④


古墳上にある筑紫君磐井の墓?

とんでもない神気だった。
知っとうや2-岩戸山古墳③


先日、諏訪湖へ行った際、足を延ばして安曇野の穂高神社を参拝しました。


初めて見た南アルプス。
知っとうや2-南アルプス


穂高神社。
知っとうや2-穂高神社①


知っとうや2-穂高神社②


本殿。真新しい。

知っとうや2-穂高神社③


素晴らし光が!
知っとうや2-穂高神社④
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これは凄い!
知っとうや2-穂高神社⑥
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安曇比羅夫も祀られていた。
知っとうや2-穂高神社⑤


少し離れた有明山麓にある有明山神社。
知っとうや2-有明山神社①


こちらの神気も半端ではなかった。
知っとうや2-有明山神社②
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