先月の京都勉強会の際は、京都だけでなく大津市も巡りました。
今回は、その時の状況を写真を中心にご紹介します。
まず、近江神宮です。近江神宮は天智天皇を祀る神社。天智天皇といえば、大化改新で有名な中大兄皇子です。
大化改新は、蘇我蝦夷、蘇我入鹿の親子が、暴政をふるい山背大兄王(やましろのおおえのおう)の他、聖徳太子の一族を粛清してしまったことに反発し、中大兄皇子と中富鎌足が、蘇我氏を滅ぼし、新しい政治を導入した古代政治の大きな転換点とされています。
ただ、ここには複雑な歴史の謎が隠されているようです。
もともと、蘇我氏は、金星系に侵略された継体王朝後、日本を救うために百済からやってきた一族です。550年頃のことでしょう。私は、聖徳太子も蘇我氏とともに百済からやってきたのだと思います。
蘇我氏-聖徳太子のラインで、金星系から政権を取り戻し、百済から仏教を伝来させ、新たな日本の時代を切り開いていきます。そして、500年代後半には安定した政治になっていたと考えています。
しかし、金星系はいつの時代もしつこいです。ウォークインするから、せっかく駆逐しても、何度も復活してきます。そして、592年の崇峻天皇暗殺の頃から金星系が悪さをし出します。
おそらく、蘇我蝦夷、蘇我入鹿は、600年初頭にウォークインされてしまい、それまでの安定していた政治が、だんだんと金星系による破壊の政治へ変わっていったのだと思います。
従って、本来は親密であった蘇我氏と聖徳太子の関係が崩れ、聖徳太子亡き後には、聖徳太子の一族が粛清されてしまったのだと考えています。
その金星系になった蘇我氏を滅ぼしたのが、中大兄皇子。後の天智天皇なのです。
こちらは、入口にある禁足地。十界の連絡路(ワープゾーン)だと思います。
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凄い神気でした。
近江神宮の近くには、大津宮跡があります。
天智天皇の時代、大化の改新によって当時の都は大和・飛鳥地方から一旦離れ、都の中心は九州の筑紫(太宰府周辺)にあったような感を受けています。
当時、朝鮮半島では、660年に金星系の唐・新羅連合軍に、倭人系国家の百済が滅亡させられます。
その直後、天皇となった天智天皇は、残された百済の倭人系と組み、金星系と戦います。これが663年の白村江の戦いです。
結局、金星系に敗れてしまい、天智天皇は国政を安定させるために都を大津に移し、大津宮としたのです。その跡地が、1974年発掘された錦織(にしこうり)遺跡です。
天智天皇は大津宮で国政を安定させますが、天智天皇崩御後は、また、金星系が動き出し、壬申の乱へ繋がるのです。天武天皇、藤原不比等あたりには深い謎があると考えています。
近江神宮参拝の後は、比叡山に行くつもりでカーナビをセットしてレンタカーで走りだしました。
ところが、カーナビが途中で、比叡山方向でない場所にナビゲーションしてしまいます。カーナビが壊れているのではと思い、何度もセットし直しますが同じです。
仕方なく、カーナビに従って車を走らせてみると、車一台が通れるような細い道に入りました。そこを先に進んだところに「宇佐八幡宮」の看板がでてきました。
宇佐八幡宮といえば、八幡神社の総本山。大分県の宇佐市にあります。
大津にも宇佐八幡宮があるとは思いませんでしたが、カーナビが壊れているのではなく、天の采配だろうと考え、神社を参拝することにしました。
小高い山道を20分くらい登ったところに宇佐八幡宮がありました。物凄い神気でした。
ここに、八幡様(仲哀天皇、神功皇后、応神天皇)が封印されていたのです。
カーナビを操作する天の采配は凄いです。
最後は、石山寺をご紹介します。石山寺には行く予定はなかったのですが、先日記事にした佐久奈度神社参拝後、ランチをとろうとそば屋に入ろうといたら、その隣が石山寺の駐車場でした。
大きなお寺であることは知っていたので、これも天の采配と思い参拝しました。
こちらは楼門です。
毘沙門堂。いきなり巨大なオーブが出現しました。
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多宝塔。こちらにもオーブが。大日如来像が安置されているそうです。
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石山寺はオーブのオンパレードでした。素晴らしいお寺です。
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