『神風が吹く』
あまり良く考えずに普通に使う言葉ですね。でも、実際には深い意味があるようです。
代表的な神風は、学校の歴史で勉強した元寇の際の神風です。
元寇は、1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の2度、当時の中国大陸を制圧していた大国、元が、日本に攻めて来て、戦争となったものです。
二度の戦いとも、戦力面で圧倒的に有利な戦いをしていた元でしたが、二度突然の強風(台風?)によって元軍の軍船が大破し、それによって日本軍が勝利したという史実が伝わっています。この風が神風伝説に繋がっています。
元寇の神風は、台風だったのではないかとも言われていますが、二度も起きた偶然性、また台風ならば前兆があるので逃げる余裕があったはず、など、実際には神風は吹いていないのでないか、という議論もあるようです。
結論から書きます。
『神風は吹いた』、のです。
そして、神風を起こした人物がいたのです。誰でしょうか?
これを調べるにあたり、私は元寇のことを知るため、元寇と関係が深い福岡市にある有名神社、筥崎宮(はこざきぐう)を参拝することにしました。
筥崎宮の中には元寇の際の遺物が展示されていることを知ったからです。
楼門の上部に掲げられている額には、「敵国降伏」と書かれています。元寇に関係の深そうな言葉です。
境内に天智されている蒙古軍(元軍)の軍船の碇に使った石だそうです。
元寇の際、元軍の侵略を防ぐための防塁です。筥崎宮は当時は海岸線にあり、そこに防塁を埋めていったのでしょう。福岡市では西部の海岸にも防塁跡が見られます。
筥崎宮を参拝して、これらの元寇の遺跡以外では、亀山上皇の大きな木像がありました。そこには、元寇の際、亀山上皇が、「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をしたことが書かれていました。
亀山上皇の像は、福岡市東区にある東公園にもあるようなので、そこへも行ってみることにしました。
確かに、東公園には大きな亀山上皇像がありましたが、特に神風に関わる手掛かりはありませんでした。
ところが、同じ東公園内には、亀山上皇像とは別にさらに大きな日蓮上人の銅像がありました。こちらです。
異様な神気を放っていました。拡大したものがこちらです。
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案内板には、「日蓮上人はいち早く元軍の襲来を警告しました」とありました。
日蓮は元寇を予言していたようなのです。
もしかして、日蓮が神風に関わる何かの謎を握っているのではないか、と考え、日蓮を調べましたが、その時はそれ以上、元寇に関わることは分かりませんでした。
しかし、日蓮は物凄い法力を持っていたこと、実際に処刑される直前に雷によってその難を逃れ生き延びたこと、など超人であったことが分かりました。まさしく、ワンピースの世界です。
筥崎宮、東公園を訪問した数週間後、たまたま福岡市の志賀島にある志賀海神社を参拝しました。
本殿を参拝した後、まだ何かの神気を感じたので、車で裏側の山道を登ってみました。少し登った所に、「火焔塚」という案内板を見つけました。
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車を降りて、林の中の細道を火焔塚まで進んでみました。近づくほど尋常ではない神気がありました。
そこには、祠のようなものが祀ってありました。
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この祠から少し上ったところで、元寇の際、高野山の僧侶が日本の勝利を祈祷したようなのです。
私は、この場所に日蓮が来て、法力(サイキック)によって神風を起こしたのではないか、とインスピレーションが湧きました。
後で、天に確認しました。
すると、その通りでした。
元寇に危機感を持った亀山上皇は、元寇を予言していた日蓮に策がないか相談したのでしょう。
日蓮は、そこで志賀島のこの地に来て、高野山の僧侶とともに祈祷し、そして法力によって神風を起こしたのです。
その結果、元軍の軍船はほぼ全滅し、日本を逆転勝利に導いたのです。このことは歴史からかき消されています。どこにも書かれていないと思います。
覚醒すれば、日蓮のような法力を使うことが可能になるのです。人の真の能力は無限の可能性を秘めているのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。