久高島の謎 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

不思議世界や謎を探求するようになり、霊地として文献などに頻繁に出てくるの沖縄の島々です。
なかでも久高島や宮古島は聖地とよばれているようですし、霊能者も多いようです。

与那国島周辺の海域には、大規模な海底遺跡も見つかっています。

yonaguni.jpg

何故、沖縄諸島は霊的な場所なのでしょうか?

私が推測するに、この沖縄周辺の現在では海底に沈んでいる部分がムー文明の中心地だったからではないかと考えています。

次の地図をご覧ください。

nippon2.jpg

黄色の線は、かつて1万5000年前までの海岸線、今より2000メートル海岸線が低くなっています。
従いまして、黄海や東シナ海は、当時は陸地で植物が生い茂っていたはずです。
<参照:太古地球の姿>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-137.html

逆に、今の日本の陸地はほとんど植物はなかったようです。
当時の海岸線から1500メートルくらいまでしか植物はなかったようです。
これは当時の気候と植物の種類の違いに起因しているのでしょう。

そしておそらく、当時の人類は、今の日本列島の陸地部分ではなく、現在の海底部分の一部(大陸棚の部分?)で暮らしていたはずです。

地図の赤い点が与那国島ですが、この辺りの海底もムー文明の一部だったと思われます。
海底遺跡はそのときの名残りではないでしょうか。

または、大洪水を予知した人々が当時は2000メートル級の場所に、マチュピチュのような避難所を造ったけれども、それ以上の大洪水で沈んでしまったのかも知れません。
それがこの海底遺跡?

<参照:大洪水とマチュピチュ>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-8.html

いずれにしても、与那国島周辺の海底になんらかの文明があったのは間違いありません。

(ちなみに、ムー大陸は太平洋上に浮かぶ、大きな大陸だったという伝説がありますが、少なくとも1万5000年前はそうではなかったようです。もっと太古は分かりません。)


一方、沖縄本島の南端右側、ピンクの点が久高島です。

久高島は、霊的な島で有名だそうです。
私は浅川氏のサイトで知りました。
そして、先日、浅川氏セミナーに参加したときに、この久高島について浅川氏が自費出版した本『祈りの島「沖縄・久高島」』という本が売られていましたので、買って読んでみました。

浅川氏のサイトに載っています。
http://www.y-asakawa.com/index.html

この本によると、久高島では「島創り神話」「人創り神話」が伝承されているそうです。

神女(しんにょ)と呼ばれる人たちによって、祖霊や自然神を祭る祭祀が続けらてきており、現在でも行われているそうです。

また、久高島には20カ所超える「御嶽(うたき)」と呼ばれる祈り場があり、そこでは霊的能力を持った人が祈りを捧げているそうです。
同書には浅川氏が真栄田さんという女性の「祈りの人」と出会い、実際に祈りを捧げる情景を見たシーンが書かれています。

また、浅川氏は真栄田さんの霊的能力も見せられています。
真栄田さんが海の小魚に向かって「おはよう、おはよう」と挨拶すると、小魚の集団が彼女の所に寄ってきて飛び跳ね始めたそうです。

空飛ぶカモメに呼びかけると、カモメが上空に来て舞いだしたそうです。

こういった霊的能力は、一般には信じられないと思いますが、最近、私もそのような状況に遭遇しましたので、今では間違いなく存在する能力だと思っています。

また、久高島に伝わる「創世の神話」は次のような内容だそうです。

~転載開始~

昔、アマミキヨ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方ニライカナイから久高島にやって来た。ところが久高島は、東の波は西に越え、西の波は東に越えて海水の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこでアマミキヨが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで点から槌(つち)、石、草、木を降ろしてもらった。そうして久高島は誕生した。

~転載終了~


これは、久高島が誕生する過程を表現しています。

前述の地図を見れば分かるように、ムー文明時代は現在の久高島は、2000メートル級の山だったはずです。
それが大洪水によって海岸線が2000メートル上昇し、島になってしまったのです。

大洪水後、数百年(確かではありません)くらいは地球の自転や、地殻自体が安定しなかったようですから、大洪水直後の久高島は、常に海水の大波に洗われ、人が住めるような状況ではなかったのでしょう。

数百年経過し、人が住めるようになった。
そして最初に到達した人々、それは恐らく、以前、この地ムーに住んでいた人々である倭人の末裔。


大洪水後の日本に到達したグループは、以前も書いたとおり、今の青森(山内丸山遺跡周辺)と阿蘇周辺の大きく2つのグループがあったようです。


また、これとは別にインドからインドシナ半島を経して沖縄諸島にたどりついた倭人のグループもいたそうです。
このグループが久高島や宮古島、沖縄本島などにたどりつき、新たな文明を造っていたようです。


それらの人々は、ムー時代の霊的能力を伝承してきた人々なのでしょう。
そこで、久高島を始め、独自の祭祀や祈りが伝承されてきたのだと思います。

他にも久高島にはキムジナーと呼ばれる妖怪伝説や、沖縄にはヒムジナーと呼ばれる精霊の伝説があるようです。
これらは、単なるオカルト話ではなく、霊的場所である証だと私は思っています。

日本に古来から伝わる天狗や河童なども、そういう類の別次元の存在ではないかと考えています。

私は久高島や宮古島には行った事がありませんが、機会があれば是非、訪問してみたいと思っています。
何か新たな発見があるかも知れません。


最後まで読んでいただきありがとうございました。