しかし、2012年を焦点にした世界的な終末思想が広がってきているなか、キリスト教や新約聖書、旧約聖書については触りだけでもいいので知識を吸収すべきかと思いつつあります。
また、イエスやモーゼがかつて日本で修行した可能性が高いようです。
<参照:イサヤ①>
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-120.html
<参照:イサヤ②>
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-121.html
従って、古神道とキリスト教の繋がりがアマテラスやスサノオ以降の日本の歴史に大きな影響を与えているのは間違いなく、歴史の解明には幾分かのキリスト教の知識が必要だと思っています。
そんな折、クローバーさんからキリスト教に関する情報をいただきましたのでご紹介します。
その前に、まず、聖書の構成について簡潔に説明します。
私は全くキリスト教の知識がなかったものですから、本屋で教科書になるような書籍を探し、次の本を選びました。
![]() |
名場面で読む聖書
(2009/12/16) 中見 利男 商品詳細を見る |
この本は旧約聖書、新約聖書に分けて聖書を簡潔に分かりやすく説明しており、入門書にはピッタリでした。
まず旧約聖書の構成を本書から転載します。
![旧約聖書](https://stat.ameba.jp/user_images/20110609/08/calseed/46/a5/j/o0800065711279469738.jpg?caw=800)
旧約聖書は紀元前1400年頃に書かれた出エジプト記から始まり、紀元前400年頃に書かれたネヘミヤ記までの約1000年間に書かれた39冊の書物で構成されているようです。
一方、新約聖書の構成は次のとおりです。
![新約聖書](https://stat.ameba.jp/user_images/20110609/08/calseed/a9/d4/j/o0800155711279469754.jpg?caw=800)
イエスの誕生以降に書かれた4冊の福音書から始まり、西暦90年頃に書かれたヨハネの黙示録までの約100年間に書かれた27冊の書物で構成されています。
ただし、現在の新約聖書は397年の第3回カルタゴ会議により「新約聖書聖典」として定められたもののようです。
それまでにもニケア公会議などにより、当初のイエスの教義からはかけ離れたものになっているようです。
クローバーさんからいただいた情報の一つは、新約聖書のマタイの福音書に関するお話です。
クローバーさんは、数名の不思議世界と接触できるご友人をお持ちだそうです。
ちなみに、私はクローバーさんのとお会いして以降、ブログ経由で3名の不思議体験者とお会いする機会がありましました。不思議な縁ですね。私自身が別次元に来たような感じを受けています。(笑)
そのクローバーさんのご友人がつい最近、別次元の存在から次のような話を教えてもらったそうです。
「新約聖書には偽物のキリストがいずれ出てくると書かれているが、その人物が最近ウィキリークスで一躍有名になったジュリアン・アサンジである。」
マタイの福音書第24章24節には次のように書かれています。
「偽キリストたちや偽預言者たちが現われて,できるなら選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,しるしと不思議な業を行なうからだ。」
終末には偽キリストが出てきて、世界中の政治を混乱させるという意味のようですが、それが最近一躍有名になったウィキリークスのジュリアン・アサンジ氏だそうです。
少しでも目の肥えた人であるならば、アサンジ氏は胡散臭いと思うはずですが、マスコミの洗脳報道を見るといかにも正義の味方が登場したかのように祭り上げているように感じます。
大方の人はアサンジ氏は正しいと思っているかも知れませんね。
アサンジ氏は終末に向けたNWOの手先の可能性が高いですね。
NWOの連中は、聖書に書かれたことを実行しつつあるようです。
従って、私も聖書を勉強してみようと思った次第です。
そして、ここから今回の本題、最後の晩餐です。
「最後の晩餐」はダヴィンチがイエスの最後の日のシーンを描いた有名な絵ですね。
キリスト教に無知な私でもこの絵の事は知っていました。
<WIKI:最後の晩餐>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90_(%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89)
![最後の晩餐](https://stat.ameba.jp/user_images/20110609/08/calseed/03/8f/j/o0600030711279469759.jpg?caw=800)
前述の本によれば最後の晩餐のシーンの解説は次のようになっています。
~転載開始~
イエスは過越祭(すぎこしのまつり)が近づくと、弟子に食事をする部屋を用意させた。一同が食事をしているとき、イエスは賛美の祈りを唱えて、パンを裂き弟子たちにこう言った。
「取って食べなさい。これは私の体である」
そして、ぶどう酒を取り感謝の祈りを捧げ、杯をまわして言った。
「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」
このときイエスは、パンを自分の体に、ぶどう酒を自分の血にたとえたのだ。そして。この最後の晩餐においてイエスは次のように断言している。
「ここの座っているあなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」
動揺する弟子たちを前に、イエスはパンをちぎってユダに手渡してみせるのだ。
イエスは自分自身の霊魂がパンとともに弟子たちの体の中に入っていき、やがて一つに結ばれていくということを諭し、ぶどう酒にたとえた血を飲み干すことで、いかなる迫害にも耐える勇気を弟子たちに与えようとしたのである。
つまり、このときイエスは永遠に「与える人」として存在し、すでに神の境地にあったのだ。
だから、これから罪を犯すユダに対しても、他の弟子たちと同じようにパンを「与えた」のである。
~転載開始~
これに対して、クローバーさんが突然体験した最後の晩餐に関するヴィジョンは次のとおりだそうです。
私はあるときテレビでヨーロッパ旅行の番組を見ていました。
その中で、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の絵画が出てきました。
私はそれを見た瞬間に、こんな光景がテレビの画面に重なって見えてきました。
場所はヨーロッパの大食堂のような場所。
調理場と食べる場所が一つになった場所で、天井が少し丸く細長いかまぼこ型。
30~50人ほどの多くの人がいて、女性はご飯を作り男性(女性もいたかもしれませんが)はご飯を食べていた。
食べていたのはパンやその他の料理(この料理が何なのか分かりません)。
食べる場所には長テーブルがあって、みんなで一列になるように座って食べている。
そのテーブルの端の方に、浅黒い顔(結構汚れている)で髭を蓄え痩せた男が一人いる。
その男は、ある考え事をしていた。
この日(この食事で)、ある人物がパンをちぎって食べたら、
お前(髭の男)を裏切ると言われていたから、それが気になって仕方なかった。
パンをちぎる人物は男性、金髪でカールした髪の毛、髭の男性とは対照的にぽっちゃりと太っている。
その金髪の人物の男性の周りには2~3人の男の仲間がいた。
金髪の男性と2~3人の男は髭の男性とは仲間同士。
金髪の男性が率先して、髭の男性をダシにして人々を引きつけ、物を巻き上げていた。
人々は髭の男性を信じ、まさか金髪の男にダシにされ、
さらに自分たちの財産を巻き上げられているなんて思ってもいない。
ドキドキしながら髭の男性は金髪の男性を見ていた。
髭の男性は金髪の男性や仲間のことを信じていた。
なんとも言葉に表しにくいのですが、誤解を承知で言うならば、
髭の男性は金髪の男性に色々なことをされてきていたけれど、
面と向かって何か嫌なことをされたこともなかったし、他の仲間は(他にも仲間がいた)優しい人も多いし、
金髪の男性が意地悪い奴と知っていたけれど、まさかそんな裏切り(凄く大きなことらしい)をするなんて思えなかった。
金髪の男性は笑いながら食事を取っていたが、髭の男性が見ていると気付くと、
ニヤッと不敵な笑みを浮かべてパンを見せつけるようにちぎった。
髭の男性はそれを見るなりショックで、その後のことも分からなくなるくらい呆然としてしまった。
それからはずっと呆然と何も考えられなかったと思う。
ちなみに絵の真ん中がイエス。
左から3番目の黒髭が裏切り者とされるユダ。
4番目の白髭がペトロ。
5番目(イエスの左側)の金髪がヨハネ。
髭の男は他にもいます。
金髪でカールは、ヨハネの他には左から2番の小ヤコブだけ。
クローバーさんは、このヴィジョンが何を表現しているのか分からないそうです。
私もにわか知識でよく分かりませんが、どうもユダが裏切り者ではなく、金髪のヨハネか小ヤコブが裏切り者ではないかと思ってしまいます。
皆さんはどう思われますか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。