東海道五十三次の謎 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

昨年はブログ書いて終わった一年といっても過言でないくら嵌りました。
今年は、いよいよ大変な年に入るのではないかと予測していています。

しかしながら、危機をあおるだけでは能がないので、今年は一旦少し力を抜いて、冷静にできるだけ面白そうな話題を取り入れ記事を書いてみようかと思います。もちろん内容は冗談ではなく真剣に書きます。

ただし、本当に危機が来そうな場合は、その旨を書くつもりです。
記事に興味があり、面白いと思われる方にはご拝読いただければ幸いです。



今年の第一弾は、歌川(安藤)広重東海道五十三次が盗作ではないか、という話題です。

昨年の終わりごろ、東海道五十三次には暗号が隠されているのではないか、という記事を書きました。
<ヒロシゲ・コード>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-149.html

これに対して、広重の東海道五十三次は盗作ではないかとのコメントをいただきました。
私も前回の記事を書く前にネット上でそういう話題があることを認識していました。
ただし、当時は盗作であるかどうかが問題ではなく、この絵に込めらた謎を探索するというのが目的でしたので、盗作の話題はスルーしていました。

ところが、これがシンクロなのでしょうか。(私には、昨年十一月頃からシンクロする話題が続いています。)

元旦にニューイヤー駅伝、天皇杯サッカーと久しぶりにTV漬になった後、他に地デジでは面白い番組がなさそうだったので、たまたまBSに切り替えてみました。

その瞬間「歌川広重 天才の真実「東海道五十三次」は盗作だった!?」とうタイトルの番組が目に飛び込んできました。

「おおっ~」と一人声を出しながら、二時間番組に嵌ってしまいました。

後で知ったのですが、2年前の再放送だったようです。
しかし、半月前に記事にした内容がTVでやっており、それもマイナーなBS。たまたまチャンネルを変えたら飛び込んできた。
こんなシンクロがあるでしょうか?
これは新年早々何かの縁と思い、新年最初の記事にすることにしました。


まず、盗作疑惑の内容です。

広重の書いた「東海道五十三次」は55枚あるそうですが、それに酷似した絵、これも同じく55枚が見つかっているそうです。
全く異なると思われるものは、たった4枚だけだそうです。

番組では、盗作の元になったとされる絵(原画)の一部を紹介していました。
例えば、広重の書いた蒲原(かんばら)の絵。
gamahara.jpg

この絵と原画では、山の形状が異なるだけで雪景色、人物の容姿、人数は同じでした。


また、次の広重の沼津の絵。
hiroshigetengu.jpg

原画と言われている絵でも、同じように背中に天狗の仮面を背負った人物が描かれていました。
とても偶然とは言い難いものですね。


また、番組では広重の絵と盗作の原画の、どちらが実物の風景に近いかを取材していました。

前述の蒲原の雪景色の絵ですが、広重の絵と同じように山が見える場所を探す試みを行っていましたが、結局同じような風景の場所は探せませんでした。
一方、原画と同じ絵は地形を探索するPCソフトによって探し出していました。


また、次の広重が書いた由比ヶ浜の絵。
hiroshigeyui.jpg

この絵は、富士山の右側のすそ野の山は、海につながって水平線に消えていますが、実際には陸地がずっと続いています。
明らかに広重の絵は間違っていると番組では結論づけていました。

原画は縦長の絵のため途中で切れており判明できませんでしたが、原画の方が五十三次の実物を描き、広重はそれを盗作した可能性が高いように番組では放送されていました。


それでは、この原画とされる絵は誰の作なのでしょうか?

番組では、この原画を共同保管している美術研究家の方が取材に応じていました。

この原画の作者は、司馬江漢(しばこうかん)という江戸時代の画家だと話していました。
蘭学者であり、浮世絵師としての名は鈴木春重。
確かに聞いたことがあります。

<WIKI:司馬江漢>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B1%9F%E6%BC%A2

司馬江漢は、広重より50才年上で、広重が五十三次を書いたとされる1832年よりも随分前の1818年にすでに亡くなっています。

もし、司馬江漢が原画を書いていたとしたら1818年以前になりますから、広重が盗作した可能性はあり得ます。

また、広重が実際に五十三次を訪問して書いていないとう説を証明するため番組では京都の三条大橋の絵を取り上げていました。

ちなみに原画とされる京都の絵では三条大橋は書かれておらず、京都御所の絵が書かれていました。
(全く異なる4枚の絵のうちの1枚です)

sanjou.jpg

番組では、この絵の三条大橋の橋脚に注目していました。
絵では橋脚は木製で書かれています。

ところが、現在の三条大橋の橋脚は石製

「それはそうだろう。最近、木製から石製に置き換えられたのだろう」と思いましたが、何と石製に変えたのは豊臣秀吉だそうです。
1589年のこと。三条大橋のそばの石碑にも記されているようです。

広重がこの絵を書いたのは1832年ですから、そのときはすでに石製の橋脚。広重は明らかに間違っています。
実物を見て書いたものではないのでしょう。
後年、広重は別の絵で三条大橋を書いているそうですが、その橋脚は石製であることを番組では紹介していました。

番組では、明らかに広重は現場で見て書いたものではなく、盗作していると結論づけていました。
(この三条大橋に関しては東海道名所図会からの盗作ではないかとしていました)

<参照:東海道名所図会>
   http://www.himoji.jp/database/db07/tokaido/


そうすると、「ヒロシゲ・コード」ならぬ「コウカン・コード」になりますね。


しかし、この番組では、そうは簡単に問屋が卸さないようでした。

司馬江漢は有名な画家あるため、贋作も多く出回っているそうです。
原画は贋作の可能性もあるため、検証を行っていました。

筆跡鑑定、印影分析、絵具を最新の科学技術を使って司馬江漢のものであるか分析していました。
結論は出ていませんでしたが、贋作である可能性が高そうなイメージを受けました。

結局は永遠の謎である方が研究者の方も研究のやりがいがあるのかも知れませんね。

「コウカン・コード」ではない?

しかしながら、仮に司馬江漢作でなかったとしても、これらの浮世絵にはなんらかの意図が隠されているのは間違いないことです。

趣味の世界でない限りあまり深入りする必要はないですが、興味はひかれますね。
新年早々はシンクロの話題でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。