腰が痛い、股関節が痛い…と5~6年前から、
毎朝感じることが多くなった。
私の場合は「からだ」の痛みで、鎮痛剤を使いながら、
なんとかコントロール感を維持している。
でも、鎮痛剤が効かないときは不安感でモヤモヤしてくる。
こんな些細な自分の経験から、ふと「痛み」について考えた。
それは「痛いところから、見えるもの」(頭木 弘樹著)![]()
と久しぶりに出会ったからだ。
以前、頭木氏の「自分疲れ」「食べることと出すこと」「絶望読書」
の本から「絶望」について学んだ。
私はふだん、
相談者の痛みをお聴きし、その痛みの対処を一緒に考え、
お手伝いをするカウンセラーをしています。
カウンセラーの場合は、「心の痛み」の領域を担当。
痛みは「心とからだ」のふたつの領域から発生してきている。
心とからだは繋がっているので、
痛みの所在を明確に分類するのは難しい。
まず、「からだ」から対処するのが先。
からだの不調が良くなれば、心も良くなる場合が
多い。心に責任や負担をかけすぎてはいけないからです。
「痛いところから、見えるもの」(頭木 弘樹著)![]()
に共感したことは…
・人は痛いとき、「痛い」と言えるのが大事
・痛みにもさまざまな種類がある
・伝えやすい痛みもあるが、当人も初めて経験する痛みで、
今の痛みにあてはまる言葉がみつからないことがある
○理解しているのは自分の痛みだけ(痛みは個人的体験)
相手の痛みを知るためには、自分の経験した痛みから
類推するしかない
つまり、「経験していないとわからない」という壁がある。
自分が経験しないとわからない。
たとえ経験したとしても、相手と自分の経験は同じではない。
話を聞いてくれた人が、
「その気持ち、凄くよくわかるよ」
「もうそろそろ、その悩み吹っ切ったら」と
軽く言われてしまったとき……
なんか私の心はモヤモヤしてきた。
「そんなに簡単に自分の気持ちがわかるはずはないし、
簡単に吹っ切ることもできない」と反発していた。
・痛みの原因がわからないこともある
・原因はわかっても、痛みを取り除くことができない場合もある。
痛みが蓄積していくのでさらに痛みが増す
・「痛い、痛い」とずっと言っていると、人が離れていきがち
・痛みをわかってもらえなくて精神的に孤独になり、
さらに人が離れていって実際に孤独になる
◆痛い上に、孤独がもれなくついてくる
からだの痛みだけでなく、
自分の心の痛みを相手に話してもわかってもらえないと、
ほんとうに孤独になると思った。
自分が話している言葉を相手が理解していない、
相手が理解しようとしていないとわかると、
もう相手に話そうという気力も失せてしまう。
◆痛みは人と人を切り離すが、
その一方で人と人をつなぐ力も強い
これは自分と全く同じ痛みではなくても、
痛みを分かち合える人と出会えると、
「自分が見ている現実」との一致感がある、
「痛みを話しても聞いてくれるんだ」という安心感がある
・いろいろな悩み、痛みを抱えている人たちの
自助グループがある意味を実感した。
◆相手の痛みを聞くときは…
「相手のことはわからない」という前提に立つ(謙虚さ)
を心がけようと思った。
◆痛みを伝えられない人と、痛みをわかってあげたい人
痛いときは、見えてくるものが違う
痛いときには何も見えなくなるともいえるが、
ずっと痛みを抱えていると、
どうしたってものの見方が痛くない人とは違って来る。
「痛みでねじくれた見方」になっているかもしれないが、
いろいろな方向から多面的に見た方が、
とらえがたい現実の理解が進むと思った。
「心に痛みを与えた出来事について、
痛みが与えたものついて、しっかりと言葉で明らかにする」
◆痛い人と痛くない人のあいだに
「自分の気持ちはこれに近い」と痛い人が説明したり、
「こういう痛みなの?」と痛くない人が質問したり、
お互いに「相手のことはわからない」を前提に、
一生懸命に話し、聞き合うようにしたいと思った![]()
「自分だけの痛み」で抱え込んでしまうと…
私も相手も、ほんとうに孤独になると思った。