こんにちは
アーティストの
でこぼこまま
です
普段は
2人の凸凹息子たちの
お母さん
しています
いつも読んでくださって
ありがとうございます😊
私は大学卒業してすぐ働いた介護の仕事を通して
社会福祉士になろうと思い
23歳の時に、
通信制の社会福祉士養成学校へ入学しました。
入学直前の3月に母が亡くなりました。
正直入学辞退しようかって思いました。
母が亡くなった悲しみ、
四十九日、初盆、1周忌までの法事を
私と弟でこなさなければならない現実
父は
自己愛で自己中で発達障害で、
お金の管理が全く出来ません。
この父の相手をしながら
父が家のお金を持ち出してパチンコに行かない様に見張りながら金銭管理をする事が
母の代わりに私が出来るのか?
家族を失った悲しみを抱えながら。。。
父はお葬式から
自分が可哀想だと
きょうだいや周りにアピールして
時に自分も◯にたいと
私や弟の前で言うので、
私は父が良からぬことをしないように
目が離せませんでした。
↑
後になって
◯ぬという人は
絶対に◯なない
これは人格に歪みがある人の常套句
なんだと気づきました
何重にも大変なことがあるのに
資格の勉強が出来るのか?
すごく悩みました
でもこの時、
亡くなる直前の
母の言葉を思い出したんです。
あんたが決めた道なら
良いんじゃないの?
私が生きててきた中で
数少ない
母の応援の言葉でした。
後で知った話ですが
何回も未遂を繰り返していた母。
そんな中で、
私の資格取得を応援してくれた事
私はこの逆境を逆手に取りました。
お母さんが応援しているんだから
頑張らねば❗
そして
4月、養成校に入学。
フルタイムで仕事をしながら
家事や、家の金銭管理をしながら
法事をこなし、
もう若気の勢いで
馬車馬のように
勉強して
スクーリング、実習に取り組み
勢いで
ストレートで
社会福祉士国家試験を
受験、合格。
合格した時は
お母さん、
私頑張ったよ
と仏壇に報告しました
カウンセリングを受けている今は
あの時の自分とは違う思いがあります。
おそらく、あの時。
未遂を繰り返してた母にとっては
娘の進学は上の空だったかと。
どうでもいいと思っていたからこそ、
仏様のような心境になっていたんじゃないかと。
おそらく母の心は
あの世とこの世を彷徨う
そんな上の空だったからこそ
私の進学を応援する言葉が出たんだと
思います。
今思えば