心の境界線引けない人は。。。 | 凸凹ママの日常~我が子たちと描く凸凹な世界

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発達障害と不登校。それに向き合ってきた私と子どもたちの凸凹な世界を描き続ける、直感表現アーティストである私のブログです

こんにちはニコニコ

アーティストの

でこぼこまま

です

 

 

普段は

高校生、中学生の

2人の凸凹息子たちの

お母さん

しています

 

いつも読んでくださって

ありがとうございます。


こないだは楽しみにしていた

カズ姐さんのライブ配信がありました。

https://www.youtube.com/live/hBrhu87ifUI?si=1A-yNwIbdIZjDUr_ 


私は

親との

心の境界線

引けていなかった



私は、母とは共依存関係でした。

回転寿司に行けば

食べきれないからと、

私と半分こ

背丈も体格も全然違うのに

衣服を共有されて、

パンプスがズブズブになって変形したこともありました。


なぜ私は

母との境界線を引かなかったんだろう?


私は、

母のが近すぎて嫌だなと思わないくらい、

その近すぎる距離が当たり前になっていました。


ただ高校卒業した頃から

何かおかしいな

と思うことはありました。


服の共有は

体格差もあって

かなり違和感がありました。


二十歳をこえて、私が社会人になったころ

父の肝炎での入退院、

弟の大学の学費

そして母はうつ病発症で

家のお金のやりくりは相当厳しそうでした。



そんな時。

母は泣きながらマイナスの通帳を私に見せて

「どうやって生活したらいいのかわからない」

と、私に言ってきました。


大変だ!

と思うと同時に

おかしいなと

違和感を感じました。


こんなにやりくりが大変なのに

行ってたんです。

夫婦でパチンコに。


私が両親をパチンコ屋まで送迎していました



さすがに私でも、

お金のやりくり変じゃない??

と思いました




私は母に言われて

どうしたらいいか分からず

何も言えませんでした。




後になって

それだったら

パチンコへ行くのを減らせば良いんじゃない??

と思っていました。




今から考えると、

母自身も私と境界線が引けなかった。


あの時。

母が泣きながら通帳を見せた時。

母にとって

私という存在は、

娘ではなく

母の母役だったんだなあと



母はこの半年後くらいに亡くなりました。

亡くなった時

なぜか私のセーターを着てたんです。



なんで私の服なの



正直戸惑いました。



なんで?

なんでなの??


母は何を言いたかったんだろう。。。。




おそらく

お互いに境界線が引けなかったけど、

依存度が高かったのは

母の方

だったんだな



私も小さい頃から何も分からなくて、

親の言われるままだったけど




たとえ家族でも、夫婦でも。

境界線はしっかり引いたほうがいい



私は私の体験で思うことですが、

境界線が引けないと

心が病む


人に依存しすぎると

心が病む


ホントに思います。



秋ですね🌾

今日も見てくださってありがとうございます。