世の中にはたくさんの理不尽があって
其々の問題で苦悩したり
闘ってる人達がいる
僕等は今、「子供の連れ去り問題」で
最善の解決を目指してます。
他の社会問題も世の中には多く存在します。
医療・福祉の問題
原発、被災地の問題・・・
其々の現場で、それぞれの当事者が
周知活動や陳情に駆けずり回ってます。
その多くが「生命と子供の未来に関わる問題だから」
つまりは「命がけ」で問題に取り組んでおられる。
自分さえよけりゃ「取り組まずに済む問題」でもあるわけで・・
ですが活動しておられる方々は、こうおっしゃいます
「自分がやらんとダメでしょ、政府や自治体任せでは
自分等の幸せ、子供達の未来に確信が持てんでしょ」・・と。
自治体や政府を仕事で動かすのが、我々市民の権利
であり、義務でもあると私は考えているので
まさにその通りであると思いました。
我々はその仕事をさせるにあたり「投票して任命させてるのですから」。
いろんな分野での問題を解決に向け努力して
いる皆さんにも、それぞれ仲間もいます。
ですが仲間の支援は、けっして慰めや同情ばかり
ではないのです。
支援を受けられる器でいてもらいたいもんです。
一番の問題は「内なる自分の声」なのです
辛い・苦しいなどの嘆きばかりでは、解決の未来
はありえませんから。
最善の解決のみらいは僕等自身の手の中にあると
私は思います。
現在(いま)を大切にしようという思いならば
嘆いている暇はないでしょう
嘆く時間があるならチキンラーメン食いながら
お笑い番組観てる方が有意義です。
まずは自分としっかり向き合い、思い描く未来の
為にどうあるべきか考えてみる事も大切かと思います。
生きている時間には限りがあり
サッカーのようなロスタイムは人生にはありません
人生は終了のホイッスルが鳴ればそこでジ・エンド。
現在(いま)は昨日の未来であり明日では過去の時間・・
現在をどう生きるかで明るい未来か暗い未来か決まるのです
選択の自由は自分自身にあるのです。
今、私や貴方の置かれている状況は
そうした選択の自由から自分自身が招いた事。
状況も影響したでしょうが、自分自身に責任がある
事も忘れてはいけません。
裁判官が無能なのは社会も認知してます。
ならば考え方は二通り・・
裁判官と関わらないよう生活するか
裁判官を正すかです
平穏に暮らす多くの市民は、裁判官と関わる
事などありません。当然司法の理不尽を知っていても
改善など考えません・・当然です、関わる事のない様
平穏に暮らす選択をしているのですから。
それでいいと思います。
平穏に暮らしてはいても、別の分野で問題を抱えてるのですから。
災いな事に僕等は司法の理不尽の悪影響をまともに受けた
だから、周知して貰うのはいいが賛同迄求めなくともよい
と思うのです。
世の中には各々が違った問題と向き合ってますから
僕等は僕等でこの立ち位置から逃げずに解決しなければ
ならないと思うのです。