私のブログを昔から見ている諸兄はご存じだろうが、私はクリスチャンでもある。
私は「罪多きものであるが故、聖餐の儀式を受けている」
そうした立場の私は好きな映画がある、「コンスタンティン」と「処刑人」の2本。
パチンコでブレイクした雨宮慶太監督の「牙狼」シリーズも好きですね。
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アメリカでは問題作にされたけどいい映画だと思いますよ。
世の善良な市民の多くは、誘惑に負け、自身の欲求を満たす事を目的とし、またそれを自身の「幸」とする。
そこに「内なる自身・・魂(神)は無く、ただ目の前の現実に一喜一憂をくりかえす」
邪心を満たす事が何故ゆえに「幸」なのか。
試練も無く、汝自身を裁く事無く、人を欺き、非難し、裕福に恵まれる事を望み、欲望が満たされる事に至福を感じる者は、そこが、それこそが魂の地獄であると気付かぬまま、悪魔と契約し永遠の闇に魂を委ねる・。
欲望に果ては無く、欲を満たさんとする魂は常に餓え、そして不安とともにある。
この世で肉体と共にある魂は、満たされぬ欲望の苛立ちと、病と死を恐れ過ごし、時を迎えた肉体はやがて寿命を迎え、死と共に朽ちてゆく。
そして闇に委ねた魂は、裁きを受け、永遠の闇に葬られるであろう。
魂、光と共にある時、満たされ、不安も無く常に満ち足りた安らぎを感じるであろう。
満ち足りているが故、欲望もなく、災いすら試練とし自身の成長の糧として、天に感謝をおぼえる。
たとえ寿命を迎え肉体が朽ちようとも、光と共にある魂は栄光へと上げられ、闇に堕ちる事は無い。
人は傲慢になり過ぎた。
恐れ多くも、天や道理よりも、人の示す律法をなによりとした。
貧乏も餓えも許す
怠慢も堕落も許す
だが、不正は許さん
殺すな 姦淫するな 盗むな ・・・
天の掟、人としての道理を守る事は、人としての基本的な振る舞いだ
守れぬ者は、魂の死をもって報いよ
罪悪にも程度がある
それが軽い罪悪なら咎めはしない
だが、許されざる罪悪は地獄の果てまでも裁きをくだされるであろう。
・・・光る剣を振り下ろす時、我が手は審判を得る
そして我が敵を倒すであろう