シン・ゴジラを観たい | コーヒーブログ

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福井県小浜市にある珈琲屋すいしょう(旧喫茶SVZ)店長のブログです。

日本でのゴジラ復活作「シン・ゴジラ」が公開されていますね。
観にいきたいのですが、なかなか映画館に足を運ぶ余裕がなさそうです。
結局TV放送か、DVDを買う(レンタルは嫌い)ことになるんだろうなー

シン・ゴジラは昭和29年の第一作もなかったことになっているようです。
これまでのゴジラは、途中がなかったことになったり、完全な一話ものであったりしましたが、一貫して昭和29年にゴジラが東京に上陸したことになっていました。
それがなく、人類が初めて見るゴジラの扱いになるだけでも興味をそそります。
また、第一作と1984年版以外では全て登場していた敵怪獣も登場しない(と思ってる)こともあって、第一作のような何かのメッセージ性が強くあるのでは、エヴァンゲリオン等で人間の心理描写を哲学的に描いた庵野監督なので、そう言ったものもあるのでは、と期待が膨らんでおります。

わたしは1962年の「キングコングVSゴジラ」を除いて、ハリウッド版を含めた全てのゴジラを観ていますが、第一作は怪獣映画と言うよりホラー映画、そして反核のメッセージを強く打ち出した作品で、他のゴジラとは一線を画すると思っています。

当時社会問題となっていた第五福竜丸(ビキニ環礁での水爆実験・キャッスル作戦により船員が被爆した)の一件も制作される動機になったと言われています。
作中には「原爆マグロ」「放射能雨」と核兵器による被害を連想させるものや、「長崎の原爆から命拾いしてきた」「また疎開か」などの戦争を思い出させる単語も登場します。
また、ゴジラが二度目の上陸を果たし、甚大な被害を与えた場所・ルートは東京大空襲と同じなのです。
ゴジラ襲撃の際、ビルの下で小さな子供を抱えて「お父ちゃまのところへ行くのよ」と言う母親の演技は真に迫っており、空襲なり戦争なりで父親を亡くしていることも容易に想像させます。
ゴジラが去った後、負傷者が多数運び込まれ、野戦病院と化した場所は戦争当時の状況を知る人たちによって生々しく描かれています。観る側も多くが戦争を体験した人たち。その悲惨さをよりリアルに、身近に感じたことでしょう。
そして、ゴジラを倒せうる兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を偶然開発してしまった芹沢博士の苦悩も真に迫っています。
もし、この大量破壊兵器を使用し、世に知れてしまったら戦争の道具にされないわけがない。
例え設計図を焼いてしまったとしても、自分の頭の中には残っている。人間とは弱いものだ。もう一度作ってしまわない保証がどこにある。
と、周囲や権力者にごり押しされてしまったら、どんなに強い決意や信念を持っていても折れてしまいかねない、と。
現代と違い特高による弾圧などを経験した世代の言葉です。非常に重みと真実味があります。
そして最後に「あのゴジラが最後の一頭とは限らない。もし水爆実験が続けて行われるなら第二、第三のゴジラが現れるかもしれない」との言葉で締めくくられます。

このように社会問題や戦争の記憶、そしてアメリカへの抗議も盛り込まれているのがゴジラ第一作です。
いろいろと考えさせられる作品ですので、是非、一度観ていただきたいです。

そして、第一作同様、初めて人類の前に姿を現すゴジラ、敵怪獣との怪獣プロレスがないゴジラ、と言うことで「シン・ゴジラ」はとても興味があると言う話でした。
決してゴジラ第一作の紹介ではありません。
どうしてこうなった…