みなさまこんにちは。

お元気でいらっしゃいますか。

 

前回のブログ、「親亡きあとにも生きていく。」

https://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12444693999.html

 

FBなどで、たくさんのかたに広めていただき、ありがとうございます。

 

前回も書きましたがわたしがブログを書いたり本を書いたり

表現活動をしているのは

魂の部分にある思いは、

「わたしが生きるため」です。

 

恐れや不安から強迫観念で何かをやるのはよくないと

心理学の世界などで言われることもありますが

 

これは、障害当事者として生きてきたわたしの強い直感、

生存本能の部分です。

 

黙っていれば

なんにも言わず

声を発さずにただ

おとなしくしていれば

 

障害者は

着替えや外出などの

最低限の介助も満足には得られない。

 

特別支援学校から、進路先として病院や福祉施設へ行って

街の人の目に触れながら生きることもない。

 

親御さんがもしも倒れたら、はいそれまでで、無理心中をするしかない。

 

それがわたしが、少なくとも、10代20代のすべての

生きた時間の背景にある時代です。

 

もちろん、ほんとうに障害が重度で重複しているなど

介助さんに自分の意志で指示を出しながら

アパートなどに住むことがむずかしい障害当事者の仲間だってたくさんいます。

だから、入所施設だって、特別支援学校の併設された専門病院だって

必要な人がいる。

それは否定すべきことではありません。

 

だけど

自分の障害の状況や体力にあわせた生活の場を

ご家族や、サポートしてくださる行政の方々と真剣に協議して

できる限りの「納得をして」暮らしの場所を

「自分たちから発信し、熟慮して、踏み出して、選び取る」のと

 

「そこしかないから

しょうがない。」

 

「だってわたし、障害者だし。」

 

 

選び取ることを放棄して

下を向いて

 

一択に決めつけられるのとでは

雲泥の差です。

 

でもわたしが10代、20代を生きた時代はもう過去の話しで

 

今は、各種介助制度もあるし

障害者虐待防止法もあるし

 

路線バスも電車もほんとうに乗りやすいし

乗車拒否なんかざれないし

 

いい時代になったから

 

オールオッケーですか?

 

若い時には自分自身が障害をもつ子どもの側の立場で

 

エッセイとかにも

 

「うちの母は着替えやお風呂や外出などの介助を介して

着る服も下着もぜんぶわたしの意志を無視して母が決めちゃうし、

娘を支配する節のあるけっこうな毒親だったわ。」

 

と たびたび書いてもいましたが

 

今、居が離れて、親とわたしの関係性は、離れたことでやわらかくなり

むしろあと何年、お正月とか会えるかな?

という年齢に親も子もなり

 

若い頃は、

「だっこさんのように一人暮らしや歌の活動をしたい!」という

少し年下の障害をもつ女の子たちが本やブログ(昔はmixiだったよね!)

を読んでくださることが多かったですが、

 

 

わたしの活動の味方になり、後押しをしてくれる層の多くが、

今度は、

知的障害や発達障害など、

「足は歩けるし走れるので、外出支援などの介助時間が逆に少ないために困っている」

という、障害をもつ娘さんや息子さんを抱えたお母さんやお父さんになってきました。

 

「ほんとうは、この子が街の景色の中に、

いて当たり前なんだという社会であり世界であるように

一般のアパートに暮らさせたいけど

うちの子の障害では、金銭管理が自分ではできないからどうしよう?」

 

という相談を受けることもあるし

 

やはり車いすや人工呼吸器や、身体も含むいろいろな障害のかたから、

「これはもしかしたら言葉に夜虐待かもしれないという言葉が

介助さんから繰り返しあってどこへ相談していいのかわからない」

とか

 

「介助を突然、人手不足だからと、介護事業所の都合で、打ち切ると言われて困っている」

 

など

 

わたしひとりの知恵ではとてもじゃないけど足りないから

せっかくに今はネットが全国の個人につながる以上、

みんなでシェアして考えていきたい

 

という難題もあります。

 

そして、それらの相談は、見聞きする言葉や誰かの状況は

親の介助には頼らず、

24時間体制での介助を必要とするわたしにとって

およそどのような内容であれ、

「明日は我が身」として考えられる、自分事です。

 

今はちょうどまさに世の中が

オリンピック・パラリンピックで盛り上がりを見せていますが

パラリンピックのスポーツアスリートや

世の中へ出て、タレントさんのように動けたり、活動するかたは

身体的にもかなり自由度が高く

知的には障害がないかた

障害をもつ人の中でも、知的にも身体的にもエリートの方々が多い。

 

特別支援学校を出て

大学は行ってない

トイレ、着替え、風呂、全介助で

介助さんが1日家に来なければもう死亡(ホント、1日でも死亡よね)

 

すべてすべてが劣等生っていうか

社会から置いてきぼりにされる他ないような

 

専門学校を出たんだけど就職の面接40社ぜんぶ落ちて

 

もうホントわたしの人生なんだろうっていう絶望感からの人生の歩み出しだったわたしには

 

「わたしとして、何をやりたいのか?」

 

自問して胸に浮かんだ

 

音楽活動については

 

自分の前に手本が本当にいなくて

 

自分が見たい自分自身に

自分がただなっていくしかなかった。

 

だけど

幾人か

「親の手の介助から離れても

ボランティアさんを自分で集めて

病院を出て

地域にひとりで生活をすることができるよ」

暮らしのほうは、本を書いていた大先輩たちがいたので

 

(北海道の、脳性麻痺の当事者で、小山内美智子さんや

仙台の、進行性筋ジストロフィーの、故・山田富也さんや

東京の、安積遊歩さんらが、わたしが10代のころからずっと

世の中へ向けて本を書き続けていた障害当事者の方々です)

 

そのかたたちを見て

まずは暮らしのほうから

がんばってみようと始めました。

 

歌の仕事では、

 

さいたま、東京、山梨、長野、大阪、京都、和歌山、、、、、と

主催様の場所が段々遠くなって(笑)

 

沖縄県南城市にコンサートへお呼びいただけるまでには

18年かかりました。

 

「でも、叶う。」

って 証明ができてよかった。

 

私の活動は、音楽やコンサート企画をはじめてすぐの頃は

時代的にもめずらしがられて

新聞に載ったり

テレビに出していただいたり

メディアの方々が一番最初に応援をくださって広まったことが

最初の足掛かりになりましたが

 

今は、もう、車いすで歌を歌っている人や

ダンスをしている人などが今はたくさんいて珍しくないし、

 

どうやって

北海道の人へも

沖縄の人へも

わたしの名前が伝わっていっているかというと、本やCDを買ってくださった方か、

もしくはこのブログを読んでくださった個人の方からのクチコミです。

 

たとえば、

大きな会社一社が、ボーンと大きなお金を出して宣伝をしてくれた。

ものすごくお金持ちのかたが1億円くらい出して宣伝をしてくれた。

 

それだって広まります。

 

でもそうしたら

 

心のどこかで

 

「この人ひとりに、たくさんお金を出してもらったのだから

この人の言うことを聞かないと」

 

と 意識下にも 無意識下にも

 

今のわたしはまだ思ってしまうんじゃないかな。

 

そして活動は、そのひとりのひとが

「もうあなたのことをスポンサーしないね」

と たった一言言ったら終わり。

 

それでは

 

わたしであり

 

わたしの活動いろいろな形で応援し、サポートしてくれる

ファンのみなさん、、、、「みんな」を含めての、

「わたしたち」の活動は

 

意味がない。

 

ずっとね、書くことと音楽活動を通して

自分の中では<ひとりNPO法人>みたいな気持ちで

 

知的・精神・身体他その種別を問わず、

重い障害をもつ仲間たちが

舞台や運営の中心になって活躍するような音楽舞台やライブつくり

 

障害のある人とない人、双方が持っている知恵をつなぐきっかけたる活動

 

を したいと思って また してきましたが

 

ここへきて

 

もっともっと書けること 伝えられることばに

わたしに心でつながってくれるみんなとともに

 

もっともっと影響力を持ちたいと願うようになりました。

 

もし、だっこさんと知恵や力(ご自身のできること)や

「今、胸の中に願ったり、考えていること」

を分かち合いたい

 

見たい舞台を一緒に作ったり

見たい世界を いっしょに作る仲間でありたい と思ってくださる方がいたら

朝霧 裕公式ファンクラブ オンラインサロン<陽の下会>

どうか応援してください。

 

特に障害当事者やその家族が、

学校や、

契約している介護事業所等の所属を越えて

気軽に自由に話したり、集まれる場って

社会の中に、なかなかないから

話したいことを話し

書きたいことを書いていただければとてもうれしいです。

 

それから、「生活が大変で、お金が払えないから、入りたくても入れない」という声もいただきますが

そんな方々はどうか自分を責めないで

ご自身の生活を大切になさってください。

 

陽の下会については、「必要時、知恵と力をみんなで分け合い、出し合うシェアハウスのひとつ」

という気持ちで、運営してゆきます。

 

話題が変わりますが、

さきほど、大好きな歌手、ツダユキコさんのPVを見ました(・v・)これです↓

わたしも1枚だけ写真で出演しています❤

 

 

2019年3月11日に、デジタル配信音源をリリースなさるとのことです。

 

映像を見ながら、聞きながら、

「かみさま

わたしの魂も

この世で成すべき仕事を成すための

なんらかの かみさまとして

いまここに

 

この身体とともに

 

あるのだとしたら

 

これからも

わたしの後押しをしてください。

 

そして会うべき人に会わせてください。

行くべき場所へ

連れて行ってください。

 

ここから先は すべてかみさまにお任せします」

 

 

祈りました。

 

でも見たい景色を見る時は

障害の種別や 有無 世代 住む場所 宗教観や政治的思想

それらを越えて

人として

手をつなげる

みんなで見たい。

 

今これを読む

あなたと景色を見たいなあと思っています。

 

あなたに会えますように。

 

未来をひらいてゆくために、心の手をつなげますように。

 

★朝霧 裕公式ファンクラブ<陽の下会>はこちらから★


★朝霧 裕エッセイ4冊目★
車いすで被災、都内での帰宅難民を経験した東日本大震災。

人工呼吸器ユーザーや車いすの仲間の状況を聴きに仙台へ…。
ひとり暮らしの家の中で起きた虐待のこと。自分を蔑ろにしないことへの思い。
「だれもがいのちを尊びあえる世界」へ向けての、祈りの本。