皆様こんにちは。

 

お元気でおすごしですか。

 

こないだの、この記事ね、↓↓


Facebookにも、ファンクラブで集まった誕生日当日の写真をUPしておきましたら、いいね!のスタンプが300名を越えまして。

300人の人が同じ写真を見てくれて、気持ちを共有してくださったんだなあ、と

うれしくて、あたたかい気持ちになりました。

 

『親亡きあとにも生きていく』。

 

これは、わたしが3冊目のエッセイ、

「車いすの歌姫ー一度のいのちを抱きしめてー」(KKベストセラーズ)の中にも目次の一行として書いた言葉です。

 

車いすの歌姫 車いすの歌姫
1,512円
Amazon

 

この本、商業的には全然売れなかったから短期間で絶版になってしまったし、

これが出た渦中にはまだ、

介助の法律も今とは180度違って

 

障害をもつ当事者には

「障害者自殺支援法」とまで言われた悪法

「障害者自立支援法」の元での暮らしを強いられた時代でした。

 

生活保護を受けてる人 イコール 悪

 

ライブをやりたいなんてお遊びであり、

健常者と同等に働いてもいないくせに、とんでもないわがまま

 

介助福祉の現場に従事する人の中にさえも、

口に出して露骨にそんなふうに言う人たちがいくらでもいた時代でした。

 

ほんと、よく生きた、よく自殺しなかったよな・・・ ・・・

 

という 障害者には人権なんてまるでないような世間様の言われようの中を

当時生きていたし

 

この本はそういうわけで、「世間様への顔色伺い」と、「書きたい本音」のせめぎ合いの中で

書いていたので

すごくけっこうもう書いている時点から「本音を全て全力の全出しではさらけ出せなかった」という意味では

すごく辛い本だったのですが

 

それにしても そんな中でも

「書いたこと」

だけは

自分の魂を何度でもホント抱きしめて讃えたいし

 

「親亡きあとにも生きていく」

というこのことばや、

 

生活保護を受けて生活をしています ということ

でも ライブをやっています ということ

 

そこを 当時にして 隠さなかったことは よくやった と 思っています。

 

なんかもう

 

スピだろうがスピじゃなかろうが

 

<神様のお導き>ってことは あるんだよ。

 

すごいでかい口を叩きますけど

 

尊敬している編集者さんやミュージシャンの方に わたしは何度も

 

「だっこさんは一番速い。だっこさんが書いて、

時代があとから変わる」

と 言われることがあって

 

そのことは 心のすごく深いところで 自分を 揺るぎなく 信じています。

 

当時、文章はまだまだ 今と違って ぶりっ子してるし 稚拙だけど

今にして、これすごい本だなあ と 思っています。

 

当時は書いても叩かれるばかりだったけど、

 

今にして、生活保護を受給している人は、シングルマザーやご高齢の方々など

障害の有無を越えて216万5000人。

50人にひとり

というから

ライブ会場のお客様に わたし以外にもひとりふたりはいるのかな?

という

隠さなくてよい存在になったし

 

障害者自立支援法は、

当時

「これでは、娘の介護費用が、高すぎて払えません」

と、障害をもつ娘さんを、お母様が絞殺してしまった事件などを経て廃案になり、

 

今では、障害者虐待防止法もできて、

 

障害をもつ当事者の、「人間の尊厳」が、守られる法律がいくつもできた。

 

それで、4冊目「バリアフリーのその先へ!-車いすの3,11」(岩波書店)からのわたしが

 

皆さんのよく知っている、全力全出しの わたしです。

 

でね。

 

「車いすの歌姫」の本の一行だった言葉だけれど、

 

ずっとずっと、少なくとも(特別支援学校の)中学校くらいから、

『親亡きあとにも生きていく』は、ずっとずっと、わたしの命題だったと思う。

 

そして自分であえて誓いとして書き留めたこの言葉が

 

20代より30代、30代より、今から先。

 

親も高齢になってきて、現実味を帯びて迫ってきます。

 

ふと、実感を持って、先の人生が不安になり、本当に心細くなることもあります。

 

障害をもつ子とその両親、特には母と子かな、その繋がりは、

介助や看護を通じて、身体的な身辺自立の早い、

体に障害のない子供たちと親御さんの関係性よりも

特殊で強いのではないか と 自分の体験から感じる部分もあります。

 

でも、生きることに対する、疑問や、不安や、不便など、ネガティブな感情や要素が

自分の中に見えたときこそ

 

「じゃあ、その、親亡きあとに、

たとえば、親には失礼な話ですけど

親が死んだと仮定して

わたしに必要なものって、なに?」

 

介助さん。

 

まず介助さんだよね?

 

「どんな」、介助さん?

 

自分の家の中に入る人なんだから、

どんな人格の人でも、だれでもいいです、ってそんなはずないよね?

 

じゃあ

介助さんがいるとする。

 

介助さんがいれば、オールオッケー?

 

あとはだれも要らない?

 

たまにはさ、友達に会いたいと思うときだってきっとあるよね?

 

誰が大事?

 

何が大事?

 

生活は?

 

移動手段には?

 

お金は?


使える社会制度は?

 

使うためには、どこへ相談に行けばいい?

 

「ちょっと知恵貸して!」

って 言ったとき

 

だれがいる?

全国のどこにいる

だれの顔がぱっと思い浮かぶ?

 

「朝霧 裕さん。

ああ、あの人か。」

だれかの心に わたしの顔、わたしの、車いすで生きるこの姿が浮かぶ。

 

そうしたら

こんっなにも

ひとりでトイレも着替えも寝返りもできない人間でも

 

親が死んだら親子心中、、、

ではなくて

 

会う誰かと 生きることができるかもしれない。

 

そしてこの思いや不安や不便さってもしかして

 

わたし以外の障害のある人や、障害のある子どものお母さんお父さんも

 

毎日は言わなくても 胸の中に持っているかもしれないし

 

身体が不自由という意味では、ご高齢のかたにも 相通じるところも 少しあるかもしれない。

 

そう思って

 

生きるために朝霧 裕を名乗って

 

生きるために人前に出まくって

 

生きるために公式ファンクラブ(オンラインサロン)陽の下会を作った。

 

書いて歌って、誰に会えるかは、もうこれは今後とも神の采配。

 

多様な仲間、ごちゃまぜの仲間、

地球家族、アースファミリー、ボーダレスファミリー、

同志、友達、パートナー、ソウルメイト、

 

だいすきで大切な目の前の人への

呼び方、呼ばれ方は

どれでもいい

 

ただ、生きていく。

 

この姿勢に、共感してくださる個人のひとりずつと共に

バリアフリーな、世界を作りたい。

 

知的、精神、身体、その他

どんなに重度の障害や病気のある人も

また、今は健常者であるだれかが障害を負ったときにも。

 

親亡きあとも、

生きていける世界。

 

人目から隠されて

世の隅に生きるんじゃなく

 

どんなに動けなくたって

生きる喜びの中を。

 

文字で書くと安っぽいけど。

ほんとうに。

 

ほんとうに作りたい。

 

作る。

 

そのために、これからも共感してくださるかたは、共時を生きる仲間であってください。

 

(で、オンラインサロンよかったら できる限りに できるだけ 入ってください

全力でお待ちしてます❤❤❤❤❤)

 

ダブルハタチでございますけど

 

まだわたし、死んでなんからんない。

 

でも、障害は進むから

 

これからも

 

みんなと生きていきます。

 

★朝霧 裕公式ファンクラブ(陽の下会)では、

障害の種別や、有無、世代や、距離を越えて、ゆるやかにつながり、

バリアフリーな社会を自分たちから発信し、作る。そんな仲間を募集しています。

一か月1000円の年会費制です。

ご投稿いただいた、オンラインサロン内の投稿内容は、

口外をしない約束で運営しておりますので、どんな相談も受け付けます。

介助のことなども、知恵を出し合う場のひとつとして、ご活用ください。

★朝霧 裕公式ファンクラブ(オンラインサロン)陽の下会はこちらから★

 

朝霧 裕エッセイ4冊目。

車いすで被災、都内での帰宅難民を経験した東日本大震災。人工呼吸器ユーザーや車いすの仲間の状況を聴きに仙台へ…。

ひとり暮らしの家の中で起きた虐待のこと。自分を蔑ろにしないことへの思い。

「だれもがいのちを尊びあえる世界」へ向けての、祈りの本。