みなさま こんにちは。

 

お元気でおすごしですか。

昨日の記事「空人海人」

https://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12350739051.html

 

を 書いていてふと思ったんだけどね。

 

わたしにはできないことがたくさんあるの。

それは、身体的なことではなくって

 

たとえばわたしは それが得意な人から見れば

「頭おっかしいんじゃないの?」

と たびたび言われたことのあるレベルの方向音痴。

「だっこあなたちょっとおかしいよ?」

と。

 

ただでさえ身体的なことも

「うまくやる」

「早くやる」

ということは 動作において 何もできない。

でも

「でも、時間がかかっても、人より上手に 丁寧にできます」という特殊技能でもあればいいけど

手も不器用で なんにもない。

(「紙を ハサミで まっすぐに 切ってください」ということを 全力集中でやってみても

まわりの人がやったやつより、曲がっちゃうとか)

 

あと 手書きで手紙を書こうとすると すごい頻度で

たとえば「拝啓」を「啓拝」って書いちゃうとか 文字をね 逆さに書いちゃうの

(ほんとパソコンがあってよかったなと思ってる)

 

空港と航空の違いとか

道路工事なのかロード工事なのか とか

(文字にすればわかるよ。)

 

ぱっと言われたことを 頭の中で 自分がわかるように組み立てなおして映像と繋げて理解するのに時間がかかる

 

だから人に対しても

 

ちゃっちゃちゃっちゃとものが言える人はいいなあ

なんでも器用で

速くうまくできて

「あんたそれっておかしいんじゃない?」

とか すぐ言えちゃう人っていいよなあ 悩みなさそー って

 

思って もう 距離を取るか

 

「ごめんねー

ほんとわたしって

不器用だし

ぼけっとしてるし

バカなんだよねー

わたし頭おかしいよねー

頭バカなんだー

ごめんねー」

って ヘラヘラしてるしかできなかった。

 

「いじられキャラ」で。

ほんとはイヤだったけど

「それ、いやなんだけど?」

って 言えないなあ と 悶々と 不快に耐えていた毎日があったんだよね。

 

世の中は強くてなんでもできるような人しか生き残れない

弱肉強食の世界で

かくもできないことが多いと

生きずらいなあ

 

と 思っていたけど

 

そのころは、

でも それは 「自分が頭おかしいしできないことばっかでバカだから、自分が悪いんだ」

って

 

思ってたんだよね。

 

でも今にして

<自閉症スぺクトラム>とか

<大人の発達障害>とか

 

「あなたってそんなこともできないの?

そんなこともわかんないの?

このくらいわかるのがフツーでしょ?

ちょっとあなたおかしいんじゃない?」

 

って 煽る人の人数比が多い世界の中に身を置いてしまった場合には

 

「障害手帳の取得に認定をされるほどではないけれど

生きづらかろうねえ」

 

という人が

 

身体的には一切障害がない人の中にもいーーーーっぱいいて

 

自分以外のだれかが、現状や気持ちや困りごと、

そして どう人生を拓いていったかを

 

カミングアウトしながら生きている様子を綴る

ブログや本を希望にしながら

 

生きていることを だんだんに知った。

 

そうです、わたしのように。

 

でも すごく何でも得意でそつなくこなせて起用な自分であったら

それをずっと目指そうとし続ける自分であったら

 

、、、、し続けてもどっかで必ず倒れるか死ぬと思うから

「目指し続ける」は無いかもだけど 

 

もし 社会に適合できる という意味での デキるオンナ であってしまったら

 

それはそれで楽しかったか そこはわからないけど

 

マジでそれは「別の自分」だから

 

詩を書いていないし

本を4冊出すこともないし

ファンのみなさんにも会わないし

ツダユキコちゃんにも

子宮委員長はるちゃんにも

音楽の仲間にも

「今の自分に必要な人」にも出会わないし

 

そうしたら 人生にタラレバはないけど

 

でも

 

「今の自分」で わたし最高じゃん って 思うんだよね。

 

いろんなことが できなかったから

詩を書いた

いろんなことが できなかったから

本が出版できた

 

最初から 例えば 人とコミニュケーションを取る ということに

わたしが何の難儀も抱えていない

ちょーーーーーーー押せ押せの強気な性格だったなら

 

、、、 、、、まず 本 出てないよ。

 

わたしは 対面の会話よりブログのほうが(文字のほうが)

自分の考えや思いを 落ち着いて 話しやすいし 自分が理解しやすい。

(電話よりチャットのほうが、もおなじ)

 

ライブのときや講演のお話のときは

ファンのかたへ会いにゆくんだから

「みなさんこんにちはーーー!!!!!」って

人前に出るけど

 

ライブでないとき

友達といるときは

自分が話すより聞き役のほうが好き。

 

「そうか 今のこの自分 だから

わたしは詩を書くようになったんだ。

それが一番

苦がなく

ことばを伝えられる

手段だったから」

 

 

ツダユキコちゃんの歌声を聴きながらほんとに思い

 

今 あるがままの その人のままで できることや好きなこと を

やったときにこそ はじめてそれは武器になるし

 

そのことの体現者として

楽しく時を歩める人と

これからも生きてゆこうと思いました。

 

そしてそれを思うと

「できない」レッテルを他者から貼られ続けていたわたしすら

「ただのわたし」であり

できない部分 自分がしなくていい部分を他者が 補って 

目的地まで それこそまさに「神の采配」で 運んでくれて

 

自分だけの 劣等感とか アタマで考えた先入観とかを

はるかに超えて遠くまで運んでくれて

 

自分と 他者との補いとで 自分の居たい世界を創出できることを自覚する。

 

その自覚をもって歩める自分でさえいれば

 

人と比べてどうだとか 見える障害・見えない障害にかかわらず

あんたのどこがどうだとか 非の打ち合いみたいな世界はもはやどうでもよくて

 

「わたしが世界を目指していく」んじゃなくて

「世界があっちから寄ってくる」のだなと思いました。

 

(だれか、伝わりますか?(・v・))

 

わたしはこうやって ブログを書いている時間と

ひとりでじーーーっと詩を書いている時間が

一番好きです。

人のペースで追立てられると頭の中がパニックになってしまうからできないし

でもわたしのような人間を

わたしだから好きなんだと言ってくださる人もいれば

そばにいるとイラつく という人もいることはもう知っているから

 

詩を書いて

ブログを書いて

もうあとは すべて手放し

あとはもう神様にお任せ

自分と他者を

信じていれば 気持ちいい人にだけ会えるよ ということを 信じています。

 

よかったなあ 生きてきてよかったなあ

っていうよりも

よかったなあ 死ななくてよかったなあ

自分でいることを

あきらめないでよかったなあ

自分を棄てないでよかったなあ

 

お前の詩 意味わかんないし おかしいから こことこことここ 「直せよ。」 っていう人や

ゆめコンはスタッフさんの仲良しごっこで「ビジネスとして意味ないものはやめたら?」 とか

なんでもっとがんばればできるのに「障害に甘ったれて就職しないんですか」

とか

人生の折々

 

強い言葉で 私から私自身を奪おうとしたり

一番好きで大切な友達と仲たがいをさせようとしたり

いろんな いろんな人がいたけど

 

間違った指導者についてかないで

「自分に」 ついてきてよかったなあ

 

という気持ちが ユキちゃんの歌を聴いていたら あふれてきたので 書きました。

 

それでは今日も げんきでおすごしください(・v・)/~~~

 

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最終回 彩の国 ゆめコンサートクラウドファンディング

残り48日です 絶対に叶えたいので

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