みなさまこんにちは☆彡

 

お元気でおすごしですか。(^▽^)

 

きのうたまたま、

「障害や生活保護への劣等感から来るがんばりすぎで、うつになった体験」を、記事に書いたら↓↓

『陽の下会15人になりました』

https://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12319226899.html

 

他者からの助けの手を受け取り拒否してしまう過程を

見事すぎる漫画にしていらっしゃるかたがブログにいました!

龍たまこさん❤❤❤

この絵!!!この黒いやつ見て?

これは

「育児を人に頼らず自分でがんばらなきゃ!!」

と思いすぎてしまってうつに、、、という実体験の漫画家なんだけど

 

「頼ったら、相手に迷惑がかかる」

「みんな 自分でやっているんだよ?」

 

という このささやきね、、、、(-▽ー)

 

この自分で自分を呪っている黒い影 が うつの正体だよね。

うつは がんばり屋で生真面目な人がなりやすいというけど 

ほんとだと思う。

 

あと

「頼るのは甘え、怠け」

「一人でできるのがいいこと」

「無理をしてでも、がんばることがいいことだ」

と 親や学校の先生や テレビとか いろんなもう無意識にも、、、というくらい日常レベルで 刷り込まれて 

それをかたくなに信じてきた人たち。

 

数年前 わたしがうつに陥ってしまった時は

わたしの場合は

当時いた介助さんの一部に

 

「生活保護は甘え」

「(体力ないのも)障害を理由に怠けているだけ」

「障害者は人の税金で年金をもらって遊んでいられてズルしてる」

 

と わたしの障害ゆえの体力のなさや

生活保護や障害年金を受けて暮らしていることを

まるで敵視するような人がいて 

 

その人が家の中に介助にくるものだから

もう 理由がそれ(精神的な虐待)以外なかったんだけど

 

でも もしも そのできごとが

なかったら

もっともっとやりたいことを早くからできていたか?

というとね、

 

やっぱりわたしは

「自分は健常者より(身体的に)劣っているから

ほかのどこかで勝たないといけない」

というような

 

人を優劣で見る

身近な人から別に責められてもいないのに

自分で勝手に 自分に劣等感を持つ

そんな心のくせを

持ち続けて生きていたと思う。

 

そのできごとが あってもなくても 「がんばり教」で

まわりの人に頼れなくて

 

「自分を一番に大事に」を

できるようになる前に

やっぱり

体をさらに壊して もしかしたら 今頃死んでいたかもしれない。

 

「自分がどうしたいか?」

を 誰が何を言ってこようが

「もう譲らない」

という 心の軸ができるまで

なにか 宇宙が一回だけ試練をくれた

っていう気さえ 今はしてるんだ。

 

過去のわたしは

たとえば テレビで 

「生活保護の当事者の人が 昼間からお酒を飲んだりパチンコしたりして依存症になる」

というような 

「生保の人ってお金の管理や健康にルーズなダメな人ばっかりね」

というような刷り込みを煽るような映像があるとするでしょ?

 

そうすると

それを

「朝霧裕さんは」

って わたしが 名指しで 言われたのではまったくないのに

全部 自分個人がが言われたみたいに

 

人一倍怒り狂った気持ちを抱え込んだり

 

その反動で

「生活保護を受けている人だって

全員がギャンブルやアルコール依存症ってわけじゃないんだから

わたしが生活保護の人や、障害当事者の代表にならなきゃ!」

と 自分に課して

「こうすべき」

「こういきるべき」

「世間様に恥ずかしくないように」

とか 自分で勝手に思い込んで どんどん 自分をべきべきに囲い込んでいった。

 

こうして今、文字にするとよくわかるけど

「世間の目」

「常識的」

「わたしが同じような経済的、身体的状況にある人の代表に、、、」

 

そんなことばっかり時に考えて

 

一見ね 自分という御旗を立てるふりをして

 

、、、 、、、基準がね

 

「わたしが 他人の目から見て どう思われるか?」

 

に どんどん どんどん ずれていくんだよね。

 

ほんとに<べきべき人間>だった。

 

自分で 課して

自分で 責めて

自分で しょげては

自分で 体調ぶっこわしてるだけ。

 

本当の自分と片思いだったから

助けてくれる人が現れても

 

「いいです!一人でできるんで!」

 

、、、 、、、って

 

「障害者だからってまわりの人にちょっと頼りすぎじゃない?」

「負担かけすぎなんじゃない?」

 

とか

 

言われたくない!

 

って

 

言われる前から

 

言われてないのに

 

先に考えて

 

助けの手の受け取り拒否、たくさんしてた。

 

『一人でできないと』

自分はダメだ

欠陥品だと思っちゃう。

 

上の龍たまこさんのブログと同じ。

 

わたしの場合は、講演のお仕事を得るための営業とか

コンサートのための準備とかが全部そうだった。

 

今は ブログを書いたり、facebookに

「手伝ってー!」

って 素直に書けば

「前々から ブログやSNSを見て

だっこさんのことが気になっていて手伝いたかった!」

という人が 必ず手を挙げてくれるようになった。

 

でも 障害の有無にまったく関係なく

ひとりきりで何かをやるのが大変な時に

 

「ちょっと手伝おうか?」

って声をかけてくれる人のことを

 

「相手の迷惑になりたくない!」

要するに

「相手に嫌われたくない」

という潜在的な恐れから

 

受け取り拒否!

 

しちゃう人がきっとまだ世の中には本当にたくさんいるんだろうな。

 

だから 今 うつが 現代人の 国民の病とか言われるんだろうな と

 

改めて納得しました。

 

だけど 誰かから

「ちょっと手伝おうか?」

って言われたときに

 

「いえ、そこまで頼ったら、悪いから、いいです」

「ご迷惑をおかけしても悪いから」

 

「受け取り拒否!!」してしまうのって

 

一見 相手のことを考えているようだけど

 

「結構です、わたし あなたのこと必要ありませんから。」

 

って言っているのと 

 

けっこう おなじなんじゃないかと今は自分に対して思ってるんだ。

少なくとも

誰かにとってはそれが「育児」で

わたしの場合だったら

「制度だけでは補いきれない場合の介助」とか

コンサートの場づくりとかになるんだけども 時に大変に感じる内容も含むお手伝いって

 

そもそも ほんとに迷惑だなと思っていたら

手伝うよ!!

なんて言わないし

 

キライな相手に対しては

お助けの立候補の手は挙がらない。

 

だから

「わたし 手伝おうか?」

って 誰かの手が上がる時点で

 

その人 相当 相手から愛されてるから

 

「いえいえそんなそんなきっとご迷惑でございますと思いますから、、、、」

 

って 後ずさりして 拒否しちゃうのって

 

なんか 相手も さみしいんじゃないかなと思う。

 

だって人は 人から必要とされたら

迷惑どころか すごくうれしいもんね。

 

世の中には

「今ちょっと助けてほしい!」って願う人もいれば

育児なら育児

介助なら介助で

「あ!わたし、その分野、大好きで得意だから、やらせてほしい!

っむしろ手伝えたら喜びです!」

っていう気持ちでかかわってくれる人が 

必ずいる。

 

わたしも 本当の意味で 人生が豊かになってきたのは

 

「ちょっと助けて。手伝って。」

が 言えるようになってからでした。

 

昨日も書いたけど

 

世の中は

厳しくていばらの道で辛いもの ではなくって

 

世の中は

優しいもの

 

で いいと思ってる。

 

育児が大変な時 親にでもお友達にでも うんと甘えて

いいと思ってる。

 

心や体の 調子の悪い時 

誰にでも甘えて 好きなだけお休みをして

いいと思ってる。

 

障害に甘えて いいと思ってる。

 

心を 身体を 甘やかして いいと思ってる。

 

うんと誉めてあげていいと思ってる。

 

だって

 

『わたしの』

 

心と身体だからね。

 

今 世の中の「がんばれ教」の人たちはまだまだ

辛くて苦しくて孤独でひとりで

育児でも家事でも介助でも

ひとりだけとか 家族だけ とかで

「自分を犠牲にしてまでもがんばるのが美徳」

って思ってる。

 

、、、 、、、とくに介助福祉関連は そういうこう

お母さん「だけ」が死ぬほどがんばってる

「ワンオペ介助美談」のドキュメンタリーみたいなやついっぱいある。

 

でも お手伝いの手の

「受け取り拒否!!」って

相手もちょっと さみしいかもよ?って

ちょっとだけ思いをはせてみた上で

 

「本当は、手伝ってほしい。」って 本音では 思っているんだったら

 

何事も

人を巻き込んで いいかもよ?!

 

私自身が

何かを手伝ってほしいなというとき

「受け取り上手」でありたいな

 

「いえ!!けっこうです!!!要りません!

まだがんばれます!!大丈夫です!!!!」

よりも

「手伝ってくれて、ありがとう」

って どんどん言える自分でありたいな

 

と 思う願いと

 

龍たまこさんが育児からうつになった体験のブログが

「がんばり癖」というところで

とってもリンクしたので 書いてみました。

 

読んでくださっているみなさん いつもありがとう。

 

★朝霧 裕エッセイ4冊目

「バリアフリーのその先へ!-車いすの3.11-」(岩波書店

表紙・挿絵 柚木ミサト 写真 桐生眞輔 帯 大野更紗)

 

都内で東日本大震災を体験後、

「いつ死ぬかわからないなら、自分を生きる!」と歩み出した車いすの著者の歩む日々。

介助・介護を要する人、生活保護世帯のかたや、困窮の中に今ある人、いじめやDVの中に今ある人

自分の叫びを 胸に抱えて

今を生きるあなたに届きますように。

 

 

★朝霧裕公式ファンクラブ陽の下会はこちら★