みなさまこんにちは☆彡

お元気ですか。

いきなり秋ですね!(・v・)


リブログ記事です。


きのう書いた、

「お金は、循環。」

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12209139960.html


について。

自分なりにも生きる中で考えて、やってみてきたことを、

再確認して、その上で、さらに大きく希望が持てた、


「ああ、わたし、この道で、間違ってなかった。」

という確信を持てた、価値観のお師匠様はこのお方↓

心身調律セラピストの岡田哲也さん。

そして、奥様の子宮委員長はるちゃん。


「人の想いの乗ったお金」の循環の神様。



このブログ記事の、

【「はじまりの村」だけを一生涯うろうろしている状態】を

一個人レベルでの「貧困の固定化」って言うと思うんだ。


知っている世界が小さいと、「知っている知恵」が頭打ちになる。


「視野が狭い」状態であり、

「生存のためのセーティーラインが極めて細く、少ない」状態。


みんながそれぞれに自分の今日が苦しくて必死だし、

自分の将来の先が不安だから、隣の人とも助け合わない。


「お金がないから」→「使わないから」→「引きこもるから」

→「ますます誰にも、自分がここに生きてることさえ知られない状態」。


座して死を待つ。


今日の今、

今ここにまだ

生きているのに

自分の心を絞め殺すほど

生きていて 怖いことはない。


でも でも でもね


「お金がないから、なんにもできない」は、ゆうべも言ったけど

嘘だ。


「お金がないから」→「使わないから」→「引きこもっているその間で」

→ブログを書けばいいじゃない?


それは、「ひとりの困窮当事者が、そこからどう、再起してゆくか」の

オンラインリアルタイムのルポなんだから、

支援者の立場の人が俯瞰で書いたインタビュー集よりも、

きっと本にして売れるはず。


だってなにごとも<実践者、本人の声>が一番強いから。


で、

「お金がないからケータイも料金が払えなくてもう止まってるしパソコンも買えない」っていう人は

「存命が危ない事態」に、もうなっているから

少なくともこのブログが今読めているうち

パソコンやケータイが今使えて

電気とか水道とかが止まる前!に

行政窓口とか反貧困ネットワークとかに

自分で調べて、駆け込んで?!


村人が、一つの村の中のことしか知らないでいると

どこかで 知恵が、頭打ちになる。


それでは、何かの負荷が想定外に加わったとき、

<知恵のやわらかさ>がないゆえに、村ごと死にやすくなる。

一個人レベルでも同じ。


「うちの村ではこうやってたけど、

あっちの村ではこうだったよ。」


と、人や場所や知恵をたくさん知っていると、

生き残る力が増える。


お金はね、たったいっこしかない命、

たった一回しかない人生を、

輝かすための「道具」。


それをだれもひとりも欠けることなく、

「お金を貰っているだけの人」なんて、

ほんとうは ほんとうに だれもいなくって、

<この世の全員>で、ただまわしてるだけ。


どんなにか障害の重い人だって

「だからこそ」

存在だけで、

生きてるだけで、みんな「循環」に参加して、生んでる。


役目をもうすでに果たしているの。
障害のある人もない人も、老若男女、

みんなだよ?


だから、お金は、

低所得や生活保護に生きている人も、

「自分の手元に置いて使わない」より、

むしろそんな人こそ先に、

無理がない、できる範囲で、堂々と使う

(自分のところで決して止めずに、循環させる)ほうが、

生きられる世界が拡がる。


これは、人生使って実践しての確信なんだ。

これをますます広げたい、ということが今のわたしのやりたいこと。


岡田さんのブログの1コーナー「みんな大好きお金の話し」、

「お金(と、人の想い)の循環」について、

考えたい人におすすめです☆

他、ぜんぶの記事、おすすめです。


わたくしも、実践を続けます。