皆様へ☆彡お元気ですか。


7月9日の、古民家ギャラリーかぐや 写真家・齋藤陽道さんコラボレーションコンサート「手から手へ」の

純利益7万円を、熊本地震被災地であるNPO法人 オハイエくまもとへ。


9月10日の、第9回 彩の国ゆめコンサートの純利益 これは金額は

まったくの偶然の一致だったのだけど やっぱり7万円を ふれあい福祉基金(さいたま市)へ。


それぞれに、寄付をすることができ、わたくし、今年も、夢が叶いました。


本当に本当に感謝です。


で、その企画や(ゆめコンは主催実行委員会にわたしも入っています)


開催、出演をしている、わたし本人は、この2つのコンサートは、わたしは、自主企画ノーギャラ。


(「手から手へ」については、趣旨からともに考えてくださった齋藤陽道さんも!)


自分自身で主に舞台側の内容の企画からやって、趣旨がチャリティーで、これで儲けよう、自分の収入にしようという考えが、この2つのコンサートについては、趣旨ありきのために、ないから。


でね。


そんなわたしは、私生活では、

もちろん、コンサートや講演にお呼ばれして、歌い語るときの収入は収入になるけど、

まだまだそれは不安定なものだから、

障害基礎年金も受給しているし、家賃について、生活保護も受給しています。


だからね。


殊、ゆめコンをはじめた当初(14年前よね!)


「自分が生活保護や年金で生きているくせに、人さまへチャリティーっていうのは、

順番が違うんじゃないんですか?」


って ほんっとうに 批判もされた。


もう 私の価値観そのものを 間違った悪い考えと決めつけられたり


タブー視される っていうかさ。


わたしみたいにやっている人が私しかいなかったから。


(今もほんとにいないかも)


でも


わたし、このふたつのチャリティーコンサートを

やりきってから絶対にこのブログを書きたかったんだけど


「貧困の固定化」っていう言葉を聞くことない?


生活保護や、年金のみでの生活とか、一般よりも低所得に生活をしていて、


「私には、お金がない。」


って 思う生活をしているとね


ないと思うから使わなくなるのですよね。


外にも出なく。


電車に乗るのも、電車賃にビクビクするほどの生活、、、社会制度を一切使わなかったら、


そうだよね?


公的に使える制度を使ってさえも、いますでにすごくお金持ちの人と自分とをくらべっこしたら、


そりゃ、ゆとりはまだないよ、と、思いたくもなってしまうかも。


でも、それでも、


絶対に、人も、ものも、お金も、すべてには大きな「流れ」があって


人の間を<循環>しているだけなんだ、というところに、


わたしは なぜか 経済学とか一切学んだことはないけど、確信があった。


それは、わたしの命が、人の手に手に生かされていて、


他者の存在がなければ 存命ができない。


だから


「人、一人の自力だけ」でできることには、限りがある、貧困問題にしろ介護問題にしろ


「一人の自力だけでやれ」ということを推奨する社会は、私の価値観では間違いで


生活保護制度でも、各種福祉手当でも


自分が、もし、「人間の尊厳のもとに生きる」という最低限・最底辺の生存に窮したら


孤立無援の内に死ぬ前に大いに使え


それで その上で


そうやって


国に支えられ


他者に支えられ


社会制度に支えられて生きているわたし


「だからこそ」


自分のところで財布のひもを閉じないで


今ある、使えるお金を使って(無理しない範囲でね!)


電車に乗って人に会う


会場借りて ライブする


そしてそこで得たお金を


必ずまた他の誰かにも使う


自分の家のところで


「人の想いの乗ったお金」の<循環>を


ぜったいに止めない


って 決めてるの。


わたし、思うんだけど、


「貧困の固定化」って 一個人レベルで がっちり かたまっていっちゃう ものなの。


「お金がないから、使わない。」


と 思った瞬間


自分の乗り得る 流れ 循環が 全部 止まっちゃうのよ。


「本当に生存に窮するほどにない」なら、


絶対に 死ぬより前に 生活保護制度は使え って わたしは思うし


制度を使うのが恥ずかしいことなんじゃなくて


そのあとの


生き方じゃない?


「どうすべき」とかはないけど


ただ 腐らないことだよ


せっかく 人様に支えられて 生かされている 命だって


社会制度を多く使って 生きている人は 深く 知っているはず。


自暴自棄になって


「わたしなんかどうせもう人生おしまい、生活保護にまでなっちゃって」

「おれなんかもうなんにもできない、こんな要介護になっちゃって」

「だってお金もないし」

「だって仕事もできないし」

「一人じゃなんにもできないし」


って 人生を 自分で腐って棄ててしまわないことだよ。


、、、、だってわたしから見たら、そんなのぜんぶ、書きものや講演の内容としたら


すごいネタだよ?!


生活保護世帯なら生活保護世帯の

要介護者なら要介護者の


わたしが わたしを 生きてきて 人生丸ごと


この身を生きて やってきたこと、感じたこと。


それを 当事者として伝えていくのが


ね?


あなたにできる、あなたの仕事じゃん?


わたしは 上記のようなすべてを


「わたしに」、言いたくて、


それから、伝わるべき人にだけは伝えたくて


このブログを書いてきたし、講演では話してきたし、


誰が何を言っていようが、朝霧裕として表舞台に立つことを止めなかったんだ。


「お金がないから、何にもしない。」


と、


「貧困の固定化」が


本当にマジに 固定化を するのよ。


生活保護制度を使ってさえもまだお金がない人もいるのか 


それは 個々の状況が もちろん あるかもしれないけれど


世に出る人って(わたしの身近にもいるけど)


借金1000万円あったところから再起する とかさ


やっぱり 根柢に


「腐らない」精神があるのよ。


そりゃ いっときは 不安になったり 焦ったり 捨て鉢になったりしても。


私が人に支えられているのだからこそ チャリティーコンサートをやることは


わたしにとっては 当たり前。


むしろやらないほうがおかしい。(自分の中ではね。人が、じゃなくて。)


「お金がないから、なんにもできない。」は、嘘。


嘘だと思う。


少なくとも「なんにも」じゃないんだ。


「なんにもできない人」なんて、この世のどこにもいないんだよ、私の価値観では、マジで。


どんなに重い重度重複障害の仲間たちとか、


「仕事もできないくせに」と括られている無職の人とか


ほんと ありとあらゆる すべての人に対して


人生は望めば望むだけ輝く って 本当に思ってる。


私自身にも。


「仕事」ってなに?

「人に必要とされる」ってなに?

「あなたの役目」ってなに?


なんのために この世に 生まれてきたの?


あのね。


だれもね ほんとはね


「その人の、やりたいこと」が「役目」なの。


ああ これがわたしの道なんだ!!!


っていうものってね


ほんとにほんとに楽しくて


たとえばこうやっていくらでも話せて時間を投入できて湧いてきて


いのちが喜んでいるのが自分でわかるから


自分が、わかるよ?


人のことばの、ああすべき・こうすべきじゃなくって。


わたしは、家を出るとき、(14年前ね!)


生活保護制度を使っていることは、公に言っていいことじゃなんだから、

世間から隠しなさい、「言うもんじゃないこと」って、親にさえ言われたし


「なんで病院や施設があるのに、アパートに暮らしたいんですか」 って

ほんっとうにいろんな人に聞かれたの。


(これは、「あなた病院と家どちらで暮らしたいです?」って必ず返したけど、、、。)


でも


低所得世帯の当事者であることや


介護を必要とする障害者であることが そもそも


世間から見て(? っていうか だれだよ世間て。 ねー?)


「恥ずかしい」とか「人目から隠れて生きていろ」という価値観が


当時の、世の中の当たり前なのだとしたら、


それって絶対 わたしの価値観では間違っているから


この身体の この今の


「ここからやってやる。」


と 思ったのよね。


だって わたし ほんと<クラウドファンティング>が世にあるよりも前から


「お金がないからなんにもできない」というのなら、


「お金は、お金がある人から出してもらえばいいんじゃないの?」と


思ってたしね。


「やらない言いわけの固定化」


が固定化すると もう にっちもさっちも 足が沈んで動けなくなってしまうしさ。


表現を出せる人 技を出せる人 人材を出せる人 お金を出せる人


物質的資源を出せる人

(イベントやるなら場所は貸すよとか)


「出せる力」は人によってみんな違うしさ。


それで、「ひとりでがんばる」んじゃなくて、


個々が出せる力を惜しみなく出して、あるものを持ち寄る。


そしてできたものを がめつく自分の手の内にだけに止めないで


できる範囲で だれかに まわす。


それがね、


「できる形で仕事をする」っていうことだよ。


いのちの仕事。


「神様に命じられた仕事」って言ってもいい。


だって、「人に嫌々やらされていること」じゃないからね、それらは。


好きでやってるんだから。


「循環」

「仕事」

「いのちの仕事を支えてくれるチームメイトを選ぶこと」

「何につけ、やりたい想いを、誰よりも自分自身が肯定すること」


そうすると、大きな大きな流れにのって、

いのちの仕事は、叶ってゆくこと・・・ ・・・。


伝えたい。

書き残したいことがたくさんあるんだ。


そのために。


「何がどこまで叶うのか」を私自身が知るために、

「叶った時どんな気持ちがするのか」を味わうために


自らの身を投じた実験のために。


私はすべての表現活動を(このブログも含めて)


しています。


仲間に加わりませんか?


、、、って 書いてて自分でも なんのだよ?(-▽ー)って思うけど


たった一回きりの人生。

「自分を生きる」。


悔いなく生きる、ことを試みる、仲間です。



いつもありがとう。