寝たきりになった母が私に語った最後の思い出とは?母のサポート~パート3 | 2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室【大阪心斎橋駅から6分/長堀橋駅から3分】

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お料理もお菓子も作れて☆親子で一緒にクッキング&試食も楽しい♪教室です!
子供の好き嫌いを改善する調理法や、食事マナー、しつけなども合わせて学ぶことが出来ます。

・寝たきりになった母が私に語った最後の思い出とは?母のサポート~パート3


こんにちは!

 

「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。

 

前回は、脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月余り・・・後遺症の大きさにショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2、です。

 

 

今回は、寝たきりになった母が娘の私をジーッと見つめながら嬉しそうに繰り返した最後の話をご紹介します。

 

 

・「学校から帰ってきて、今日習ったことや、お友達とこんなんして遊んだ・・・って毎日聞くのが楽しみやったゎー」

 

(幼稚園から小学生の頃の私を見ていたようです)

 


・「一緒によ~う旅行したー。念願のスイスに行って郵便バスに乗ったり、アルプルのおとぎ話みたいなホテルに泊まったり・・・」

 

(家にいるより、外を出歩く方がほうが嬉しそうでした。そりゃー、4人も子供がいたらねー(笑)

 


・「女学校で毎日お友達と遅うまでテニスをして遊んだ。これが楽しくて楽しくて・・・あのころが一番楽しかったー!」

 

(スポーツ大好きな母でした)

 


 

 

特に最後の女学校ネタというのは、70数年前のことなのに、昨日のできごとよりよく覚えていたのです!!

 


・・・ということは、

 

 

もし私が脳梗塞などで倒れたらどうなる??

 

 

 

私が18歳以降から勉強したフランス語やフランス語教師としての経験などすっかり飛んでしまうってこと!?(≧▽≦)

 

と想像すると、「ぎょ~~~っ!」でした。

 


しかし、それ以前の小さい時のこと・・・、

 

台所で毎日おしゃべりしながら母親のお手伝いをしていた頃の楽しい記憶なんかが出てくるのかしら。

 

 


 

 

たとえ痴呆になったとしても、自然に身体が動いて出来ることは何なんだろう??

 

 

お料理をしたり、お菓子を作ったり、クッキング全般に関すること・・・こういうことなら「クッキングネイティブ」だから出来るはず。

 


そうそう、そう言えば、17,8歳のころ、「ごはん屋さんをやりたい」と言って母親に猛反対されたっけ・・・

 


いままでに自分のやりたいことは殆どやってきたけれど、お店を持ってプロの「ごはん屋さん」、コレはまだやったことがない!

 

 

母に「クリニックに(倒れる前日まで行っていた)また手伝いに来てほしい」という次兄の言葉を伝えると、母親の目にチカラが入ったことがあった。

 

 

いくつになっても自分(の存在)が求められている、ということが生きる支えになるのですねー。


 

ニコニコ

添乗員みたいに話す私を、ニコニコして見つめていた母。

 

 

私が、話すネタで先に楽しいことをいっぱい並べたのは、母の「生きるチカラ」にして欲しかったから。 

 

 

「あと2週間くらいで退院できたら、まずはクリニックに行く前に家でゆっくりしましょ。

それから海遊館に遊びに行って、美味しいものを食べて、そばのホテルに泊まって、大阪港を沈む夕日を見て・・・」

 

 

 

3月末になって、病院内で桜のお花見を他の患者さんたちと楽しんだ幸せな週末を過ごせました。



もうすぐ晴れて退院---!\(^o^)

 

 

ところが、

 

数日後に容体が急変。



顔色が悪く、食事を受け付けず、涙を流してしんどそう・・・。

「一体どうなったんですか?もうすぐ、退院というのにー!?」

担当の先生は静かにこうお答えになりました。

 

 

「高齢になると、容態が急変することがあるんです」

 


・・・

 

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 


母はそれから数日後に亡くなりました。
 

 

母親を亡くすというのは、子供にとっていくつになっても最大の不幸のような気がします。

 

 

 

とりわけ母と私は一卵性双生児みたいに仲良しだったので、なおさらこたえました。(>_<)

 


しばらくは、「これから何をして生きていったらいいのか?」とボーゼン・・・。

(≧▽≦)

 

 

「生きてられるだけで丸儲け」とは思っていましたが、

100日余りの介護生活の疲れに加えて母親が亡くなったことのショックが加わり、またまた私の病状が悪化。

 

潰瘍性大腸炎の症状が・・・。

 




母親との思い出を回想したり、遺品整理をしながら、私は自分の人生の「棚おろし」もしていました。

 

 

 

母の写真や想い出の品を見返しているうちに、これからの「私の使命はコレだー!」を感じることに出会ったのです。(*^_^*)

 

 

 

この続き&【まとめ記事】は明日18時に。お楽しみに~!

 

 

 

 

 23歳の時に難病の潰瘍性大腸炎と診断されるも、その時から結果的に47年間、生きてきた【私中村幸子の人生のストーリー】を、このブログでお話しています。

 

 

潰瘍性大腸炎で苦しんでいる状態から抜け出す【やり方】があります。

 

また、こういう状態から抜け出す【考え方】があります。

 

 私の人生のストーリーから、それらの【やり方】と【考え方】を盗んじゃってください!(^_-)-☆ 

 

そして、あなたは、「私には、夢も希望もある!その実現の為に、自分の人生ではコレをやりたい!」 をぜひ実現させてくださいね。(*^-^*)

 

 

 

いま苦しんでいるあなたは決して一人ではありません。

 

難病の潰瘍性大腸炎? 大丈夫!きっと良くなる♡私のように♪ 

 

23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま、「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。