・寝たきりになった母が私に語った最後の思い出とは?母のサポート~パート3
こんにちは!
「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。
前回は、脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月余り・・・後遺症の大きさにショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2、です。
今回は、寝たきりになった母が娘の私をジーッと見つめながら嬉しそうに繰り返した最後の話をご紹介します。
・「学校から帰ってきて、今日習ったことや、
(幼稚園から小学生の頃の私を見ていたようです)
・「一緒によ~う旅行したー。
(家にいるより、外を出歩く方がほうが嬉しそうでした。
・「女学校で毎日お友達と遅うまでテニスをして遊んだ。
(スポーツ大好きな母でした)
特に最後の女学校ネタというのは、70数年前のことなのに、
・・・ということは、
もし私が脳梗塞などで倒れたらどうなる??
私が18歳以降から勉強したフラン
と想像すると、「ぎょ~~~っ!」でした。
しかし、それ以前の小さい時のこと・・・、
たとえ痴呆になったとしても、自然に身体が動いて出来ることは何なんだろう??
そうそう、そう言えば、17,8歳のころ、「
いままでに自分のやりたいことは殆どやってきたけれど、
母に「クリニックに(倒れる前日まで行っていた)
添乗員みたいに話す私を、ニコニコして見つめていた母。
私が、話すネタで先に楽しいことをいっぱい並べたのは、母の「生きるチカラ」にして欲しかったから。
それから海遊館に遊びに行って、美味しいものを食べて、
3月末になって、
もうすぐ晴れて退院---!\(^o^)/
ところが、
数日後に容体が急変。
顔色が悪く、食事を受け付けず、涙を流してしんどそう・・・。
「一体どうなったんですか?もうすぐ、退院というのにー!?」
担当の先生は静かにこうお答えになりました。
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
母はそれから数日後に亡くなりました。
母親を亡くすというのは、
とりわけ母と私は一卵性双生児みたいに仲良しだったので、
しばらくは、「これから何をして生きていったらいいのか?」とボーゼン・・・。
(≧▽≦)
「生きてられるだけで丸儲け」とは思っていましたが、
潰瘍性大腸炎の症状が・・・。
母親との思い出を回想したり、遺品整理をしながら、
23歳の時に難病の潰瘍性大腸炎と診断されるも、その時から結果的に47年間、生きてきた【私中村幸子の人生のストーリー】を、このブログでお話しています。
潰瘍性大腸炎で苦しんでいる状態から抜け出す【やり方】があります。
また、こういう状態から抜け出す【考え方】があります。
私の人生のストーリーから、それらの【やり方】と【考え方】を盗んじゃってください!(^_-)-☆
そして、あなたは、「私には、夢も希望もある!その実現の為に、自分の人生ではコレをやりたい!」 をぜひ実現させてくださいね。(*^-^*)
いま苦しんでいるあなたは決して一人ではありません。
難病の潰瘍性大腸炎? 大丈夫!きっと良くなる♡私のように♪
23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま、「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。