・脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月、後遺症にショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2
こんにちは!
「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。
前回は、リストラ、そして翌年には母親が脳梗塞で倒れ、介護に明け暮れる毎日スタート!~パート1、でした。
今回は、脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月余り・・・後遺症の大きさにショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2、です。
母親が倒れたのが年末だったこともあり、彼女のリハビリ治療は1週間近く遅れることになりました。
その1週間のあいだ私が見たことは・・・、
「身体のケア」以上に、「心のケア」をできる人が絶対に必要!
という気づきでした。
幸い病院が家から歩いて5分だったので、
左手だけでは一人でちゃんとごはんを食べられなかったからなんで
病院で私が他にしていたことは、日常生活の動きの介助です。
・歯磨きを手伝ったり
・オムツを取り替えたり
・下着やバスタオルの(洗濯)替えをしたり・病院内のリハビリ訓練室への送り迎えをしたり
・車椅子に母をのせて病院内を散歩したり
・1階ホールのテレビでニュースを一緒に見たり、新聞を読んだり
・字を書く練習をして、右手のマヒを改善していったり
・一緒に世間話をしたり、いま流行ってることを話したり
ヘルパーさんたちが、
:母がマヒで発声が出来なくなっていたとはいえ、私は今まで通りに母親に話しかけ、オシャベリをしていました。
時々母親が私を見つめながらフフフっと笑っていることが・・・、
「なんで?なんか面白いこと言った??」
「学校から帰って来たら毎日、今日はこんなんあったー!
とニコニコして言いました。
私が入院中の母にオシャベリしていたのは単なるストレス発散ではなく、
それは、彼女が言葉を忘れないように、
母はその時84歳。
84歳の人生を生きてきた女性がゼロ歳児みたいにしか動けないことに忸怩たる思いをしているのは娘の私よりもほかならぬ本人自身でした。
身の回りの世話を娘にしてもらっているのが申し訳なさそうな顔つきの母に、私は毎日明るく言い続けました。
分かりやすく言えば母は、身体的にはゼロ歳児、・精神的には母親のプライドを傷つけないように注意しなけれ
2ケ月が過ぎ、辛いリハビリ訓練を頑張ったこともあり、
それに備えて、リハビリ用の靴を新調したり、
「クリニックに(倒れる前日まで行っていた)
「生きてられるだけで丸儲け」とは思っていましたが、
23歳の時に難病の潰瘍性大腸炎と診断されるも、その時から結果的に47年間、生きてきた【私中村幸子の人生のストーリー】を、このブログでお話しています。
潰瘍性大腸炎で苦しんでいる状態から抜け出す【やり方】があります。
また、こういう状態から抜け出す【考え方】があります。
私の人生のストーリーから、それらの【やり方】と【考え方】を盗んじゃってください!(^_-)-☆
そして、あなたは、「私には、夢も希望もある!その実現の為に、自分の人生ではコレをやりたい!」 をぜひ実現させてくださいね。(*^-^*)
いま苦しんでいるあなたは決して一人ではありません。
難病の潰瘍性大腸炎? 大丈夫!きっと良くなる♡私のように♪
23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま、「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。