脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月、後遺症にショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2 | 2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室【大阪心斎橋駅から6分/長堀橋駅から3分】

2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室【大阪心斎橋駅から6分/長堀橋駅から3分】

お料理もお菓子も作れて☆親子で一緒にクッキング&試食も楽しい♪教室です!
子供の好き嫌いを改善する調理法や、食事マナー、しつけなども合わせて学ぶことが出来ます。

・脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月、後遺症にショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2

 

こんにちは!

 

「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。

 

前回は、リストラ、そして翌年には母親が脳梗塞で倒れ、介護に明け暮れる毎日スタート!~パート1、でした。

 

 

今回は、脳梗塞で倒れた母親の介護に3ケ月余り・・・後遺症の大きさにショックもリハビリを続ける母のサポート~パート2、です。

 

 

母親が倒れたのが年末だったこともあり、彼女のリハビリ治療は1週間近く遅れることになりました。

 

その1週間のあいだ私が見たことは・・・、

 

「完全看護」の病院でもお年寄りが家族からほったらかしにされたら病状が良くなるどころか【痴呆が進む】という現実でした。

 

 

「身体のケア」以上に、「心のケア」をできる人が絶対に必要!

 

いまの母には私しかいない!!

 

という気づきでした。

 

 

幸い病院が家から歩いて5分だったので、私は朝晩病院に行って朝ごはんと晩御飯の介助をしました。

 

左手だけでは一人でちゃんとごはんを食べられなかったからなんです。

 

 

 

病院で私が他にしていたことは、日常生活の動きの介助です。

 

 

歯磨きを手伝ったり
 

・オムツを取り替えたり 

 

・下着やバスタオルの(洗濯)替えをしたり・病院内のリハビリ訓練室への送り迎えをしたり
 

・車椅子に母をのせて病院内を散歩したり
 

・1階ホールのテレビでニュースを一緒に見たり、新聞を読んだり

 

・字を書く練習をして、右手のマヒを改善していったり

 

・一緒に世間話をしたり、いま流行ってることを話したり

 

 

 

 

ヘルパーさんたちが、大きな声でゆっくりと病人に話しかけながら仕事をしている様子を見て、それをお手本にしました。

 

 

:母がマヒで発声が出来なくなっていたとはいえ、私は今まで通りに母親に話しかけ、オシャベリをしていました。

 

時々母親が私を見つめながらフフフっと笑っていることが・・・、

 

 

「なんで?なんか面白いこと言った??」

 

「学校から帰って来たら毎日、今日はこんなんあったー!って話してた時みたい。毎日、幸ちゃんの報告を聴くのが楽しみやったゎー!」

 

 

とニコニコして言いました。

 


私が入院中の母にオシャベリしていたのは単なるストレス発散ではなく、ちゃんと話題を選んで明るいお話しだけをしていました。

 

それは、彼女が言葉を忘れないように、社会復帰した時にフツーのしゃべりを取り戻せるように・・・という理由からでした。

 

 母はその時84歳。

 

 84歳の人生を生きてきた女性がゼロ歳児みたいにしか動けないことに忸怩たる思いをしているのは娘の私よりもほかならぬ本人自身でした。 

 

 

身の回りの世話を娘にしてもらっているのが申し訳なさそうな顔つきの母に、私は毎日明るく言い続けました。

 

 

「子供が母親のお世話をするのは当たり前でしょ、順番じゅんばーん!」(*^-^*)

 

分かりやすく言えば母は、身体的にはゼロ歳児、・精神的には母親のプライドを傷つけないように注意しなければならない!のです。

 

 

2ケ月が過ぎ、辛いリハビリ訓練を頑張ったこともあり、もうすぐ一人で杖を持って歩けるようになるところまできました。

 

それに備えて、リハビリ用の靴を新調したり、身長に合った杖を注文したり・・・。(*^_^*

 

 

クリニックに(倒れる前日まで行っていた)また手伝いに来てほしい」という次兄の言葉を伝えると、母親の目にチカラが入ったのをハッキリと覚えています。 

 

 

いくつになっても自分(の存在)が求められている、ということが生きる支えになるのですねー。

 

 

「生きてられるだけで丸儲け」とは思っていましたが、

3ケ月近くの介護生活の疲れはたまっていったようです。私の潰瘍性大腸炎の病状悪化が、このころ静かに始まっていました。

 

 

この続きは、また明日18時に!

 

 

 

 

 23歳の時に難病の潰瘍性大腸炎と診断されるも、その時から結果的に47年間、生きてきた【私中村幸子の人生のストーリー】を、このブログでお話しています。

 

 

潰瘍性大腸炎で苦しんでいる状態から抜け出す【やり方】があります。

 

また、こういう状態から抜け出す【考え方】があります。

 

 私の人生のストーリーから、それらの【やり方】と【考え方】を盗んじゃってください!(^_-)-☆ 

 

そして、あなたは、「私には、夢も希望もある!その実現の為に、自分の人生ではコレをやりたい!」 をぜひ実現させてくださいね。(*^-^*)

 

 

 

いま苦しんでいるあなたは決して一人ではありません。

 

難病の潰瘍性大腸炎? 大丈夫!きっと良くなる♡私のように♪ 

 

23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま、「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。