「である」ことと「する」ことを私流に考える | 伊豆高原の風 Cafe Be captain

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伊豆高原にある「Cafe Be」を知ってますか?
美味しいピザ・パスタ、もちろん薪の石窯です。
そのCafe Be のCaptain太郎が、
勝手気ままに本音を書いてます。
えっ、そこまで、そんなことも書いていいの? って感じでね。

丸山眞男という思想家[評論家というべきでしょうか?]の言葉です。

この国の自由と権利、近代化の失敗等について語ったものだったと記憶しています。


「である」ことと「する」ことを私流に考え少しだけ語ってみたいと思います。


「私は君の夫である。」と言っている私は君に「何をしている。」

いつも、妻に言われていませんか「夫なら・・・・してよっ」



この国の国会議員と称している彼、彼女らに大声で叫びたい

「議員である、というのなら議員としてのするべきことをやってますか?」



さてここから少しこんがらからないようにしてください。

「である」ことと「する」ことの順番を変えて考えてみましょう。


「する」ことばかりの社会、日常、組織、文化等を想像してみてください。

本来「である」ことなんか考えないで「する」ことのみのこんな状況が日常かもしれません。


そんな日常で無意識のうちに「である」ことの意識が発生、発想されていませんか?

いいとか悪いとかの問題ではありません。


「する」社会で、おそらく普段は考えないであろう

「である」ことを考えてみませんか?


「する」ことによって「である」ことが、なんとなく見えてくるよりは、

「である」ことをまず考えると、「する」ことが見えてくるのではないでしょうか?


応用編として

自分の人生を、「このようにして生きていこう」と考えたら

そのために、そのように生きていくのには、「いま何をするべきなのか」が見えてきませんか?