丸山眞男という思想家[評論家というべきでしょうか?]の言葉です。
この国の自由と権利、近代化の失敗等について語ったものだったと記憶しています。
「である」ことと「する」ことを私流に考え少しだけ語ってみたいと思います。
「私は君の夫である。」と言っている私は君に「何をしている。」
いつも、妻に言われていませんか「夫なら・・・・してよっ」
この国の国会議員と称している彼、彼女らに大声で叫びたい
「議員である、というのなら議員としてのするべきことをやってますか?」
さてここから少しこんがらからないようにしてください。
「である」ことと「する」ことの順番を変えて考えてみましょう。
「する」ことばかりの社会、日常、組織、文化等を想像してみてください。
本来「である」ことなんか考えないで「する」ことのみのこんな状況が日常かもしれません。
そんな日常で無意識のうちに「である」ことの意識が発生、発想されていませんか?
いいとか悪いとかの問題ではありません。
「する」社会で、おそらく普段は考えないであろう
「である」ことを考えてみませんか?
「する」ことによって「である」ことが、なんとなく見えてくるよりは、
「である」ことをまず考えると、「する」ことが見えてくるのではないでしょうか?
応用編として
自分の人生を、「このようにして生きていこう」と考えたら
そのために、そのように生きていくのには、「いま何をするべきなのか」が見えてきませんか?