今日は久しぶりに
「快晴」の福井です。
それでは、
【弥陀の本願】
昨日のつずきです。
『お釈迦様』は
【阿弥陀仏】の「本願」を
聞こうと思う心の起きる不思議さを
こんな譬えで説かれています。
それは、
「ヒマラヤの山頂、8千メートルから
糸を垂らして、
その糸の先を麓の針の目を通すよりも
まだ難しい事なんだよ」
と、 言われています。
8千メートルを超す山頂から垂らした糸を
麓の針の目を通すなどは、
絶対不可能な事と言っても過言ではない事です。
私達が【阿弥陀仏】の
「本願」を聞かせていただくという
この有難さは それ以上なんだと
書かれているそうです。
また、こうも書かれているそうです。
世間にはせっかく有難い人間に生まれながら
『釈迦』の教え「仏法」に無縁の方のなんと
いかに多い事でしょうか。
それと、
たまたま
『釈迦』の教え「仏法」と
宣伝しながらも
『釈迦』の教えの一部分を指して
これが、
「仏法だ!」と吹聴しているものばか
り・・・
『釈迦』の出生本懐である
【阿弥陀仏】の
「本願」が正統に説かれているのは
雨夜の星よりも少ない。
この悲惨な現状を見聞きするたび
『仏法聞き難し』と
『お釈迦様』の御遺訓が
つくずく心に浸透します。
と、「善知識・渡部隆史講師」が仰っていました。
(以上は渡部隆史講師のお話を参考に書かせて頂きました)
それでは、
本日はここまで。