「そっか、そうなんだ。大丈夫、大丈夫よ。あなたは今、ちゃんと生きているって瞬間を感じているから」
そう言ってアキをぎゅっと抱きしめた。アキは声にならない声を出してさらに涙を流す。店員はアキの背中を、まるでお母さんが赤ちゃんを落ち着かせるかのようにトントンとたたく。
すると不思議なことに、アキは次第に落ち着き始めた。それを見て、店員もアキから一旦離れる。
「ありがとうございます。ごめんなさい、ごめんなさい」
謝るアキに店員はにこりと笑ってこんな言葉を伝えた。
「今泣けたってことは、今の瞬間を感じている証拠なの。それが生きているってことを感じるという意味なのよ。泣きたい時には泣いて、笑いたい時には笑って、怒りたい時には怒る。それでいいのよ、それで」
店員さんの言いたいことはわかる。だが、今のアキにとってその言葉はどれほど有効に伝わっただろうか。
「そんなあなたに、おすすめのコーヒーがあるの」
「それ、どんなコーヒーなんですか?」
私の方がそのコーヒーに興味を持った。
「口で説明するよりも体験したほうが早いですよ」
ここは店員さんの言葉を信じてみよう。私はそのコーヒーを二つ注文した。アキは平常心を取り戻したようだ。
「ねぇ、ご主人様」
「ん、なんだい?」
「今の感情に素直になるっていうのが今を生きているってことだって、さっきのお姉さん言ったよね」
「あぁ、そうだね」
「でもさ、わたし泣いてばかりいたくない。どうせなら笑っていたい、楽しんでいたい。そういう願望を持つのは今を生きることにならないのかな?」
アキの話はちょっと哲学めいている。私の知恵のない頭ではアキの質問には即答できない。けれどこれは言える。
「アキと一緒にいると楽しいよ。アキはどうかな?」
「うん、わたしね、ご主人様とこうやって外に出られたことがとてもうれしい。一人じゃつまんなかったと思うの。ご主人様、ありがとう」
アキはそう言って私に腕組みをしてきた。なんてかわいいのだろう。このかわいい命が、あとわずかだなんて信じられない。今はこの時間を、この瞬間を楽しもう。腕から伝わるアキのぬくもりを目一杯感じ取ることに意識を集中させた。
「おまたせしました。シェリー・ブレンドです」
店員さんが注文のコーヒーを持ってきた。店員さんがすすめたこのコーヒー、一体なにがあるのだろうか?
「飲んだあと、よかったら感想を聞かせてくださいね」
私はブラックで、アキはさすがに慣れないのだろう、砂糖とミルクを多めに入れている。
こうやって飲むコーヒーは久しぶりだ。会社ではインスタントか自動販売機のコーヒーばかりだし。
香りが鼻をくすぐる。そしてコーヒーを口に含む。うん、素人の私にでもこのコーヒーがおいしいというのがわかる。なんだろう、おいしさがどんどん口の中で広がる。と同時に、ワクワクしたものが心の奥から感じられる。
そのワクワクを誰かに感じてもらいたい。そんな衝動にかられた。なんだか不思議な感覚だ。
ふとアキを見ると、目を丸くしている。一体どうしたのだ?
「アキ、どうした?」
声をかけてみたが、アキはまだびっくりした表情のままである。
「アキ、おいアキっ」
私はあわててアキを揺さぶった。そこでやっとアキは正気に戻った。そして私の顔を見るなり、急に泣き出してしまった。
「アキ、一体何があったんだ? おい、このコーヒー、何か変なものが入っているんじゃないだろうな?」
私は思わず店員を睨みつけた。
「大丈夫ですよ。きっと何か見えてきたのね」
店員はアキの背中をさすりながらやさしくそう言った。アキはまだ泣きながらも、私にこう言ってくる。