「春江さん、いろいろと考え直した方がいいわよ」
「貴里子、ほっといてよっ。私は私のやりたいことをやるの。もう帰るわっ」
私はテーブルにお札を一枚置いて店を出て行った。出たところでふぅっとため息。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。なんだか苦い。さっき飲んだコーヒーと同じ味がする。帰り道、歩きながらいろんなことが頭をよぎった。私、やっぱり間違っているのかしら。貴里子やマスターの言ったとおりなのかしら。次々と悪いことばかりが浮かんでくる。お金なんて持っていたって、こんな気持ちばかり味わっていたら苦しくて仕方ない。
どこかで気晴らししようかな。お金ならあるんだし。街はもう夜のにぎわいを見せ始めた。どうせ夫は今日も遅いに決まってる。なのになぜか毎晩、ご飯は家で食べるのよね。宝くじに当たってもその習慣は変わらない。節約にはなるけど、もうそんなこと気にしなくていいんだから。世話をするこっちの身にもなって欲しいわ。今日は外で食べてきてってメールしよう。そしたらこのまま私も気晴らしに飲みに出かけられるから。そう思ってメールをしようとしたとき、逆にメールが届いた。
誰よ、こんなときに。携帯を取り出して見ると、なんと夫からだ。
「今、こっちに来ているんだろう。よかったら一緒に食事でもして帰らないか」
えっ、食事の誘い? どうして私が街に出ていることがわかったんだろう。まぁいい、せっかく夫から誘ってきたんだから断る理由もないし。OKの返事をメールで送信。すぐに待ち合わせの場所と時間が送られてきた。時間は午後七時、場所はデパートの前。
「時間つぶしにデパートにでも行くか」
あと一時間以上あるのでぶらぶらすることにした。デパートに行くと、私は今まで立ち寄りもしなかったブランドもののコーナーに足を運んだ。ほんの数週間前までは、このコーナーは別世界の人が行くものだと思っていた。私が行くのはバーゲン品の名も知れぬメーカーのところばかりだっだ。それが今は一流品を身にまとえるようになったんだから。で、何も買わないつもりだったけれどさっきの喫茶店でのやりとりのモヤモヤが頭に残って、六万円のバッグを衝動買いしてしまった。
そうこうしているうちに約束の時間。まだいまいち気乗りがしないけれど、夫のところへ行くことに。
「おっ、来たか」
「で、どこに連れて行ってくれるの?」
「おまえが行ったことないところだよ」
そう言うと夫は黙ってどんどん進んでいく。行き先はよほどの高級料理店か、それとも料亭か。そんなことを期待しながら夫の後を追いかける。
「ついたぞ」
えっ、うそっ。私は目が丸くなった。
夫が連れてきたのは小さな居酒屋。とてもきれいとはいえない。どう見ても安月給のサラリーマンが訪れるところだ。
「らっしゃい、あっ、毎度どうも」
「こんばんは、今日はウチのやつを連れてきたよ」
口ぶりからすると、夫はしょっちゅうこの店を利用しているようだ。
「なんでこんなところに…」
私は不満をついもらしてしまった。
「まぁいいから、そこに座れ」
店はカウンターしかない。さっき行ったカフェ・シェリーよりも狭い。
「ビール、飲むか?」
「えっ、うん」
「じゃ、オヤジさん、ビールと、あとお任せするから適当に。特に好き嫌いはないから」
「へいっ!」
お店のオヤジさんはニコニコしながらそう答えた。年は夫とそんなに変わらないように見える。
「あらあら、いらっしゃい。今日は奥さんを連れてこられたのね。はい、お通し」
奥から現れたのは、ここのおかみさんらしき人。かっぽう着を着て、いかにもってスタイルだ。