それは、どれくらい大事ですか?
私はよく身近な人、そして周囲の人から
「話が長い!」(怒)
と言われます・・・。
確かにそれは真実です。
「私の話は長い!・・・かもしれません」
振り返ってみると大抵、私が長い話をしてしまった時の
気持ちには、主に3つの原因があると考えられます。
1つ目は、
会話を純粋に楽しむ気持ち
普段、色々と考えていることを人に話すことが出来る
のは私にとって、本当に楽しいことなんです!
また、それが聞く相手との相乗効果によって深まったり、
発展していくことは、私にとって大きな喜びです。
2つ目は、
相手との会話を通して、自分自身と対話をしている
話をしやすい方、信頼できる方とお話をしていると、特に
その方からアドバイスを受けているわけでもないのに、
自分自身の話を通して、大きな気づきを得ている、という
瞬間があります。
そして最後は、
「しっかりと、伝えられているのだろうか?」という不安
相手の反応を見ながら、「ちゃんと伝えきれているのだろうか?」
「分かり易い説明になっているのだろうか」と思い、つい話し過ぎて
しまうことがあります。
確かに、
時間が限られているような状況では、要点を
つかんで、話を短く切り上げる技術が必要でしょう。
確かに、
人によっては端的で、非常に短い会話を好む方も
いらっしゃるので、短い話をする技術は必要でしょう。
しかし、それは必要なことですが、充分なことではないと
感じます。
むしろ、極端に効率的でムダのない会話をしようとすることは、
状況にもよりますが会話の本質、その生命を潰してしまうよう
に思います。
それはなぜか。
それは、会話の本質は・・・
「その人にとっての真実」を”まるごと”感じ、理解すること
「お互いにとっての真実」を”まるごと”感じ、理解し合うこと
「皆にとっての真実」を”まるごと”感じ、理解し合うこと
にあると思うからです。
そして、「○○にとっての真実」の話の中身は
効率的・論理的というよりむしろ、非合理的な面
や矛盾が多いのではないでしょうか?
例えば・・・
・うれしかったこと、楽しかったことを伝えたい!という気持ち
・漠然とした不安や問題点を伝えたい!という気持ち
・相手のことが好きだという気持ち
・夫婦間の会話
など、挙げればキリがありません。
・ムダを徹底的に省いた効率的な会議の場では、どれ程の
創造が行われるでしょうか?
・ムダを徹底的省いた夫婦間・恋人間の会話によって、どれ程
の愛情が生まれる、また深まるでしょうか?
・ムダを徹底的に省いた「ものづくり」で、どれ程の安全性を確保
できるのでしょうか?
効率性が必要ないと言っているのではありません。
むしろ、効率性は必要です。
なぜなら、私たちはその効率性によって、こんなにも
豊かな暮らしを享受しているですから。
しかし、それを追求するあまり・・・
地球環境汚染、食品偽装、そして機械のトラブル事故など
様々な問題が起こっているのも事実です。
つまり、一番重要なことは
目的と手段を間違えないこと
にあるのではないでしょうか。
会話・議論の目的はあくまでも物事の質を追求すること。
地球環境、お互いの人間関係、製品の安全性などの質を
じっくりと追求していくこと。
効率性は、そのための手段に過ぎません。
効率性は例えるなら、
「手術で使用される鋭利なメス」
のようなものです。
人の生命を救うには不可欠なものですが、使い方を
間違えれば、人の命をも奪いかねません。
「その人にとっての真実」を”まるごと”受け入れ、
必要な時には効率性のメスを使って、問題解決が出来る。
そんな生き方と技術を身につけたいな
と感じる今日、この頃です。
(by Hiroshi)
