この度「福笑屋」は開業してから10年となりました!

苦しいことや楽しいこと、

そして苦しいことなどいろいろありました、、


まさかこんなに続くとは思っていませんでしたが

やりたい事が次から次へと湧き出て

10年なんてあっという間!



そしてこの10年という節目にちょっとお知らせです。

まずはお店の名前から。

許可証の登録自体は「福笑屋」なんですが、

活動自体は「モバイルカフェ福笑屋」として動いてました。

最近ではカフェと言うよりは

ロースターとしての活動が大きくなってきたこともあり、

思い切って「福笑屋珈琲」として

名前を少し変えて活動することにしました。

いっぱしの珈琲屋さんぽくていいでしょ(笑)



ロゴも一新します!

ロゴを手がけてくれたのは

イラストレーターの山田タクヒロさん。


福笑屋の名前の由来となる故郷の福島。

その福島市内から見える吾妻山。

その山に春になるとうさぎの形に雪が残るのが風物詩。

今までその雪うさぎをずっとロゴに

ひっそりと入れてたんですが(結構認知されてない…)、

今回は雪うさぎを活かしたロゴにしてもらいました。

コーヒーカップから立ち上がる湯気も『F』になっててにくい演出。

これからこのロゴが

福笑屋の顔となりますので

どうぞよろしくお願い致します。




そして10年という節目に

キッチンカーもリニューアル!

実は福笑屋号の中身が新しくなっております!

こちらは木工作家のwood C fullsunにお願いして

味のあるかっちょいい感じに

仕上げてもらいました。




見た目だけじゃなく

細かなところが本当にぴったりに作ってあって

これぞプロの手仕事!

ぜひ細部まで見ていただきたい。


そして一緒に看板も作ってもらいました〜


シュッとしてカッコ良い。

ロゴもいい感じにいれていただきました。

出店するときにウキウキ感がまた一段とアップ!



そしてそしてこの度焙煎機も新しくなったんですよ🔥

今年に入ってから納品してもらいました〜。

正直まだまだまだ調整したい部分など

課題は山積なのですが…

でもいいマシン買っちゃいました!

アメリカ製のDIEDRICH 2.5kg釜です。

大きい釜ではないのですが

このくらいが扱いやすくて

私にはちょうどいいのかなと。



焙煎は悩んで凹む事が多いけど

バシッと決まるとテンションもあがるので

苦しみからの楽しさへと変わる瞬間がゾクゾクします(笑)


今まで使ってた焙煎機も並行して使っています。

かなり焼き方変わるのでちょっとまだ大変💦

がんばります。


焙煎機を入れるにあたって

焙煎機を置く台も必要になるわけですが、

こちらは元大工の建築士バウマンさんに

作っていただきました〜。

バウマンさんには以前

コーヒー生豆を置く棚を作ってもらったんですが、

何10キロとある生豆を置いても

未だにたわむ事もなく

かなり頑丈に作ってくれました。


焙煎機となると200キロくらい。

それに耐えうる作業台がこちら。


こちらもかなり頑丈に作ってくれた模様。

足はアイアンです。


こう見ると焙煎機ちっさいですね。

今までのはもっとちっさい。

4倍は多く焼けるようになりました。



とまぁ長くなりましたが

こんな感じでいろんなことを

新しくしましたというお知らせでした。


これからもいろいろトライアンドエラーを続けて

いいお店に一歩一歩近づいていけるように

日々精進します。


今年も新しいことやるよ!

2021.4.11

福笑屋店頭に置いてある募金箱のお金を

先日送金させていただきました。


送金先は2013年から寄付させていただいている"NPO花見山を守る会"。


http://hanamiyama8141.web.fc2.com/index.html


少しの間ですが震災当初私が

ボランティアをさせていただいた場所です。


花見山を守る会では震災孤児となった子供たちへ4月と12月に寄付をおこなってます。


今回の送金額は

皆さんからの募金箱で集めたお金+αで

ぴったり¥20000

です。


花見山を守る会への送金額は

総額¥ 428,146となりました!


コツコツコツコツ

チリも積もれば!


いつも気にかけてくれてお釣りを募金箱に入れてくれる皆様のおかげです。

私がお礼言うのもなんだけど本当にありがとうございます。


これから電子マネーが主流になってきて

募金箱ってどうなっちゃうんだろう。

そんなこともちらっと思ったり。


東日本大地震から10年。

福笑屋を初めて10年。


確実にあの日の出来事は私の人生の中で大きな一日となりました。

そういう人は結構多いんじゃないかな。


福島の実家の被害自体は小さいものだったけど食料不足で煽られる不安、原発の爆発、

死が近づいたと本気で思った期間でした。

(原発が爆発した時に爆風がくるもんだと思ったw あぁ無知よ)


私が地震の次の日に福島に帰ってから再び千葉に戻ってくるまでの1ヶ月間は濃くて長く感じたものになりました。


いわき市の四倉に炊き出しに行った時のあの惨劇。

忘れもしない、人の家の匂いがそこら中からしてた。

そこに住んでた人は私なんかと比べ物にならない位生活が一変したんだなぁ。


今にも潰れそうな家から出ようとしない老夫婦、あの老夫婦は今もご健在なのだろうか…


いろんなことが頭を巡る。


知ってしまった以上無関心ではいられない。

大袈裟に聞こえるかもだけどちょっとした責任みたいなものをあの日から背負ってる感覚。


あれから10年。


みなさんはどんな10年でしたか?