味覚というもの。 | 潤 文章です、ハイ。

潤 文章です、ハイ。

俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

 

味を覚え、記憶する。さらに、覚醒と言うように、何かに

目覚めることも含んで、味覚、

 

えー、さて。東京が長かったからか、東京の味覚が染みつ

いてしまってる。美味いと言う。なるほど美味いのはいい

のだが、いったい『何が美味い』のか。

蕎麦を例とすると、江戸の味覚は味が混ざることを極端に

嫌う。ざる蕎麦はいかん。海苔の味が混ざってしまう。

東京で蕎麦といえば、まず『もり蕎麦』。海苔のない蕎麦

だけであり、ツユだって、尻尾にちょっとつけるだけで、

まずは蕎麦そのものの味を愉しみ、最後にツユの混じった

味を愉しむ。したがって蕎麦のデキがすべてってことにな

るわけですよ。

 

といったあたりを基本としてるもんで、俺がつくるもんも、

いつしかそうなってしまうわけだね。うん。

材料(調味料含む)を混ぜれば混ぜるほど味は平均化して

いくものであり、いったい何が美味いのかがわからなくな

っていく。

そのへんの寿司屋(廻るヤツだぜ)へ行くと、ダシ醤油、

昆布醤油、生醤油と置かれてある店があるんだが、俺は生

醤油しか使わない。マグロにカツオダシ醤油では、何が美

味いのかがあやふやになってしまい、安いマグロの素性を

ごまかしてしまうだろう。

(うーん、しかしである、高いマグロは食わんよ。だって

高いんだもーん)

 

へへへ。 ま、いいや。

 

てコトがあってですね、フルーツパフェのフルーツソース

に疑問をもって、近頃ではやめてしまった。ピーチソース

をまぶしたメロンが美味いのか、ってコトですよ。

 

あー、めんどくさっ。これでケッコウ、面倒な男なんデス。