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私の感謝は「経験できたことへの感謝」

2 日目の弐 「 義理の息子 」

彼に初めて会ったのは8歳の時。
先妻の3男である彼が 私の初めての子育てといってもいいだろう

そんな彼は『アリゼイヤ』と名付けた小さくて顔がペッチャンコな
クマのぬいぐるみを抱いて寝ていた

男の子なのにぬいぐるみで寝るのか?とか

毎日お昼にサンドイッチって飽きないのか?とか

なんでマクドナルドばかり食べたがるのか?とか

基地の中のアメリカしか知らなかった私の
渡米後すぐにして
本当のアメリカ生活を 余すことなく体験させてくれたのは、

新婚当初 食事やら何やら私に気を使ってくれた相方でなく
息子のほうだったと思う

日本では見たこともないマカロニチーズを作り

バーガーヘルパーを作り

アワードをとったと学校に伺い

サマーキャンプに行くからと
相方が作ったランチリストに沿って
食べたことのない カップに入った食べ物を詰め込む

何もかもがカルチャーショックで
それまでの人生
子供と無縁な生活が長かったので 戸惑いながらも
その後の我が家の国際色豊かな家系が出来上がる最初の一歩は
あなたとアリゼイヤのおかげだ。


実は 今だから言うが 私はあなたに嘘をついていることが1つだけある

あなたが9歳の時だった。

相方と息子の3人でレンタルビデオ店に行った時のこと。

私は、大好きなデンゼルワシントンの映画を品定めしていた

そこへ彼がやってきて
「ねえ デンゼルと 僕のダディと どっちが好き?」とキラキラした目で聞いてきた。

『もちろんあなたのお父さんよ』と私は優しく答え 彼は大きくてキラキラした目でニコニコしていた、、


ゴメン 息子よ! でも本当は、デンゼルワシントンのほうが好きだ。
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私の感謝は「経験できたことへの感謝」
2日目の 壱 「 いじめられっ子」

「 私たち大人は

子供の世界は自分たちの延長線上にあると思っているが

子供達の学校生活の世界は

実は床のタイル1枚の大きさほどの狭い世界の中にいる

私達とは別世界だ 」


その頃の私は、妙に正義感が強く、
そして人と同じであるということは自分の個性をそぎ落とされたようなものだと思っていた。

親も大人も大嫌い!自分達は、ちっともそう出来ていないのに子供に出来ることを求める、、と
そんな斜め45度目線は上級生からも同級生からも鼻につくもので、
空から石や靴が降ってくることから始まり だんだんとそれはエスカレートしていくのです。
狭いタイル1枚の世界にいながら 実感のわかない外の世界に思いをはせていたそんな子供でした。

いつか目の前をベンツで走って見返してやる!!
いじめられているという自分を認めるのも嫌だったようです
なぜベンツなのかはわからないがそんなぺらっぺらな野望を支えに高校生活を送っておりました。

と、いっても笑顔で卒業できるほど私の出席日数は足りておらず
恥も外聞も捨て 規則正しい制服で 冬休み真面目に学校に通ったのでした。

そんな私の微々たる変化を考慮していただき先生方には、
なかば 多数決のような形で卒業を認めていただいたのです。

「数学なんて嫌いだよ~ん」 と白紙の答案用紙に書いて提出したら
卒業するまで会うたびに
「あなたのような生徒は 初めてですっ!!」とヒステリーを起こしていた先生
真剣に 私の将来を考え向き合ってくれた先生
軽く計算しても 皆さん今頃 お空の方々。ご迷惑ご心配をおかけしました。

卒業後
バリバリ働き始めた私は ある日

まるで銭湯帰りのような風貌で銀行から出てくる
いじめっ子を見かけたのです。
その当時
あんなに周りに怖がられていたのに 影も形もなくなってしまったその人を見た時
自分の今いる世界の広さと
この床のタイルと同じ狭さにいた学生時代に気がついて
唖然としました。

あまりに狭くて、、出口がなくて、、 選択肢もなかった、、、。

そこから出れば 下は地下から上は宇宙までつながっているというのに、、


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「あなたの息子さんは、だいぶ落ち着きましたよ。」

1日目の参「義理の母」

1言で言えばチャーミング。

いやいやそれよりもっと破壊力のある
エネルギーのようなチャーミングさを持った方でした。

豪快な笑い声や 周りの空気を一気に自分に向かわせるところなど
5回の結婚歴が十分にそれを表現している人でした。

どこの馬の骨ともわからない
出会って2週間で結婚を決めた
英語もまともに話せない日本人の私を
よくぞ嫁と認め 受け入れたことに感謝申し上げます。

日本を発展途上国だと思っていたくらいの日本無知だったが
つたない英語の私の代わりに 庇って戦って守っていただけたことのお礼は
面と向かってしたいので あの世で今しばらくお待ちください。


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「いつか私が年老いて
自分の寂しさの為に娘に"嫁に行っても近くに住んで!”とは言わないわ。」

1日目の弐参「父」

家族とコミュニケーションをとるより1人静かに部屋で過ごす
とても寡黙な父でした。

母が亡くなった後から 父と過ごす時間が多くなり
旅行に行ったり 食事に行ったり 飲みに行ったり 自宅で料理を作り合ったり
こんなに明るくて楽しい人だと知らず
なぜもっと前からこんな風に父と付き合えなかったものかと思ったものです。

最高の飲み友達でした。

同じ屋根の下で生活していても心を通わせることがないと
何十年住んでいてもわかり合えることはないんだなと思うね。

私の結婚が決まり 相方を父に会わせた1週間後
父が、癌で余命3か月ということが分かり、、

私は、それでも渡米した親不孝な娘です。

その時期、その状況 たくさん考え出した答えなので後悔はしていないのですが、


「国際結婚がうまくいかなかったから 帰ってきたよ~
なんて泣きついたってもう実家はないよ。腹をくくっていきなさい」

と言われたように感じたのです。


父は、最後の入院の前にお隣さんに
『少し留守にしますがお盆には帰ってきますので』と言った通り
命日が8月13日になりました。

父が、叔父 叔母たちと生前最後の旅行に行った時

「今度生まれ変わったら もっと友達のたくさんいる 明るい人になりたい」
と つぶやいたそうです。
それを叔父から聞いたときは切なくなったよね。母が亡くなってちょうど3年
寂しかったんだろうね。私の想像以上に
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私からの感謝は その経験をすることができたから
この言葉が浮かんだことの感謝 [経験できた感謝]
をつづっていきたいと思います。


 「私もこうやっていつか死ぬんだ。 じゃあどんな人生を
私は生きていきたいのだろうか?」

1日目の壱 「母」

母が30歳の時、私が誕生し 
私が30歳の時に母はお宙に帰っていきました。

線路の上を一度も踏み外すことなく 生きてきた人で

線路はぶち壊すためにある と生まれてきた私を娘に持つことは

母にとっては苦労の連続であったのではないかと思っております。
幼稚園では (そんな猿まねのようなことは私はできない!)
とお遊戯を拒否
子供会に参加することもなく大きくなり
高校生になると売られた喧嘩を買って停学になり
母は、学校で頭ばかりさげておりました。

母が末期のがんで入退院を繰り返していた時も
仕事が忙しいのを理由に見舞いにもあまりいかなかった
なぜだろう、、死なないと思っていた
病院のベットで ずっと横になっていても
ずっと死なないと思っていたのです。
ずっと生きていてほしいと思ったのか、、
あの気の強い人が 弱くなっていく姿を見たくなかったのか、、

意識の混濁の続く最後の1週間
日々大量の注射を打たれている母の
小さな変化に一喜一憂する親戚のおばちゃん達

そこから離れた病室の一角で 私は大量のお花を買い込んで1人黙って
ありとあらゆる器と花瓶に、花を活けておりました。
「きちんと送らないと 最後はきちんと送らないと」
そればかり考えておりました。

あのたくさんのきれいな花は、 見えていたでしょうか、、

母が亡くなって 最初に感じたことは、

「帰るところが無くなった、、」

実家で父が1人元気に暮らしているというのに
「子宮が無くなった」と そういう表現のほうが近いかもしれない
子供にとっての「母親」とは やはり偉大なのだ。

そんな中、母の亡くなる少し前に とてもいい光景を見せてもらいました。
支えあっていたわりあっている 夫婦の姿でした。
まだまだ若かった私でしたが こんな夫婦になりたいと
結婚っていいものかもしれないと思ったものです。

私の人生にとって とても大事な人をなくしたのに

病院の外に出るとそこには昨日と変わらない
いつもどうりの町の光景があって

通勤の人でごったがえし車が通り過ぎていく

何もなかったかのように自然なことの様に時間が過ぎていくのをみて

私もこうやっていつか死ぬなら やりたいことをやらないと。
と強く思ったのです。


先日お風呂上がりに通りかかった姿見を見たら 
鏡の中に母がいた。
びっくりして 声をあげ 飛び逃げたら  
母そっくりに程よく老けた自分の顔だった

若気の至りで母に数々の暴言を吐き
絶対に こんな親にはならないと強く思ったその当時の自分は
今、母の口癖だったことわざを交えて娘をさとす
母によく似た自分に仕上がっている。

本当に手のかかる 娘だった。きっと今でも心配しているに違いない。
でも ご心配なく なんとかかんとかやっています。

3日目 なにげにジェイソン氏と世間話をしてる時


『プライベートタップ』


という文字が頭に浮かんだので

そういえば娘は常にプライベートクラスだったと思い

(不安神経症の人嫌いなもので、、、)


忙しいジェイソン氏に私も何を思ったか無謀にも

娘に1時間プライベートクラスをしてもらえないかと聞いてみた


得意げダメもとだ 思いついたんだからしょうがない

いきなりで ビックリされていたが

すんなりとOKして頂けた、、

言ってみるもんだ、、


音譜あの1時間は 娘ともども 夢のようだったよ、、

しっかりビデオも撮ったけど

公開するのはやめた、、それぐらい

幸せな時間だったからだ、、天使



そのおかげ様


プライベートクラス中に娘がいつもの様子に戻っていき

最後は笑顔でジェイソン氏のタップに必死で

習得しようとする様子を見ることが出来た。


2人並んで同じステップを踏んでいる光景は

きっと娘の新しい引き出しにいい経験として納まったことだろう


最後にお褒めの言葉もいただき本人の自信になったのだろう

次の日から クラスに参加し始めた


このキャンプに参加して思ったことが

先生方スタッフがとてもフレンドリーであったこと

ジェイソン氏もニコラスさんも

毎日娘を 気にかけて頂いて

特に 


Ivery Wheeler氏60歳と高齢だが現役のタップダンサーだ。

娘のタップをとても目にかけて頂いて

とても素敵な方だった、、


タップキャンプが終了し その集大成として土曜日に行われた

LA TAP FEST コンサートを見て

(2014年は最高に素晴らしかった、誰かアップしてくれないかなぁ~

You Tube で検索していただくとどんなコンサートか見ることが出来ます)

娘が帰り際に  「、、楽しかった、、」 と1言、、女の子


ほら、、にひひ 不安神経症より タップ大好きが勝ったでしょ?

今思い出しても 幸せな時間


先生方皆様 本当に有難うございました。

 




やってきました!


Debbie Allen DANCE ACADEMY


    

きっと元レッドロブスター(レストラン)

であろう建物、、




館内は 4つのクラスに分かれていてタップは

ビギナーからインターミディエット

アドバンストの3クラスがあり

そのほかにヒップホップや

アフリカンダンスのクラスも、、




このアカデミーにはアメリカ国内にとどまらず

海外からもこのキャンプに参加しに来るのです

なぜなら。。。


講師は


世界的なタップダンサー

Jason Samuels Smith 氏

このアカデミーのDirectorです。


しかも Co-Director は

Cathie Nicholasさん


タップ好きならわかるかも、、
ニコラスブラザーズのお孫さんです

その他 アメリカ中からそうそうたるメンバーがこの1週間

先生としてこの学校に集まってくるので

クラスの中は無類のタップ好きばかり



見ているだけで とにかくワクワクしてくる


「タップはアート」なエネルギーのようなものと


「タップが大好き」というエネルギーのようなものが


とにかくクラス中に充満していて

先生たちもアーティスト!所構わず踊りだすし

生徒とタップバトルは始まるし

ワクワク感の濃厚なこの空間にいたせいか

旅の間もいろんなことが

うそのようにスムーズに進んでいった、、


、、、、、、、、、、、、、、

娘?    女の子

得意げ不安神経症全開で 小窓から教室の中を見ることも

ままならない状態だったわよ、、、

そんな状態で2日目が過ぎていく、、


続く、、、



娘がタップダンスを始めて早7年


サンディエゴのダンスタップもいいが

そろそろ タップはアートだという見方を

体験してみるのもいいだろうと


「Debbie Allen DANCE ACADEMY」


1週間タップキャンプ とやらに申し込んでみた

ご存じのとおり 

娘は 不安神経症に ADDの入った発達凸凹!


初めての食べ物 人 場所 がとにかくだめで

家から出たくないお方

好きな場所はホコリ臭い押し入れの中という方である


大金をかけて知らないタップキャンプで

知らない人たちとタップを踊れるのか?

とクマさんも聞いてきた。

たしかに、、、、無理かも、、


しかし 親ばかだと言われても構わないが


この娘さん 私が同じ年のころに比べて

なにかしら多才なのである


そろそろ本人の好きな

タップやアニメやピアノの本物を体験させたい

と思うようになったのです。、、


すべての自分の作品を隠したがるが

この人の人生には 自分をもっと表現する為という

テーマのようなものがある気がしてならない、、


親の私が出来ることはこんなことしかない

本人の大好きなことを サポートをすることだけなのだ

そして彼女の経験という引き出しを増やすお手伝い


人を怖がって1度も踊ることなく終わる1週間かもしれないが


本人は 常に足が止まらずいつでもステップを踏み続け、

学校でも怒られっぱなしな程 タップが好きなのだ


不安神経症よりタップが勝つに決まってる、、


  続く、、



娘と幼馴染のBくん

サマーキャンプに参加できる最後のお年頃

しかも今日はそのキャンプの最終日晴れ


以前からわが娘女の子宇宙人の宇宙人ぶりは

過去ブログなどで書いてきましたが

その上を行く宇宙人ぶりを日々発揮しているBくん男の子宇宙人


得意げ「2人のお世話をしているとき 

なんだか妖精のお世話をしているような気がする、、」


と言うとクマクマさんが隣りで笑いながらうなずいてる



来年から サマーキャンプに参加することはないんだね、、

帰りの車の中 後部座席からこんな声が聞こえてきた


娘 女の子「最近特に たくさんの人が

     いろんな能力を使えるようになってきたよね」

Bくん男の子「実は 僕は 人の魂が見えるんだ

      じゃあ、、君のエネルギーを読み取っていくよ、、」


娘 女の子「イタタタ、、抑えすぎじゃん、、」

   (目を瞑った娘の瞼の上に一本ずつ指を乗せ

         読み解っているらしい、、、)


Bくん 男の子「読めないな、、」

    しっぽフリフリ(今度はその指を目じりに置き、上がり目~下がり目~

    の犬の目!まるでチャウチャウの目にされていた)


その様子がバックミラーからちょこっと見えたもんだから

運転する手も笑いをこらえるのに振るえるよね、、にひひ


Bくん 男の子「君は黄色とオレンジが輪になった

エネルギーを持ってるよ、、


     この間見た OOさんは君と同じような色だったけど

     真ん中が暗くて悲しそうだった。


     本人も悲しいって言ってたよ


     しかも君のは真ん中が友達のOOさんと違い

     光で満たされているんだ、、


     そうだ!まるで太陽のようなんだよ、、」


おぉ~偶然なのかわからないが あながち間違ってはいないのだ

娘の漢字の名前の意味が太陽であることを

日本語が分からない彼が知っているわけはないが、、


こうやって 2人を見ていると

時々小劇場のミュージカルのようなものを見せられる


そうでないときは 言葉を額面道理に受け取ってしまうので


ダイニングテーブル近辺を片づけたいとき

『片付けるからちょっとここから出て!!』と言ったら

家から出て玄関に立っていたことがあった、、


変わった人が大好物な私には

4歳から見続けている 2人の成長は楽しくてしょうがない

このままこの感性のまま 大きくなってほしいよね、、宇宙人




投稿したら 秋山眞人氏に読んで頂いた、、
私の投稿 見つけて頂いて感謝申し上げます。




亡くなった母が小さい頃よく読んでくれた絵本は

『かぐや姫』と『マッチ売りの少女』

両方とも 実際の人生とすると結構濃厚な人生だよね

あなたもそこそこ濃厚な仕上がりになるからと

母が無意識で選んだ本じゃなかろうかと

今更ながら本を手に取り 想う今日この頃得意げ