2019年11月2日 〜世田谷城址 | カイザーのブログ

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3連休中の天気の良い1日を使って、東京都内の古城巡り。

豪徳寺から世田谷城址公園へと回りました。

 

世田谷城は、足利氏の一族である吉良氏の居城であり、1366年に築城

されたとも言われていますが、詳細は不明。14世紀後半には吉良氏の

所領となり、14世紀末に居館として整備され、15世紀には鎌倉公方に

仕えて、扇谷上杉家家宰の太田道灌と協力し、道灌の江戸城と共に

世田谷城が武蔵国の中心拠点であったようです。

 

ちなみにこの吉良氏は奥州吉良氏(武蔵吉良氏)で、忠臣蔵の吉良上野介

の系統である三河吉良氏とは別系統ですが、足利家連枝という立場は変わ

らず、後北条氏の傘下を経て、徳川幕府のもとでも一旦旗本になるも

のちに高家として明治期まで存続したそうです。

 

それはさておき、世田谷城は烏川が三方を囲む舌状台地の上に築城された

平山城で、豪徳寺から世田谷城址公園一帯が中世室町期の世田谷城跡のよう

なのですが、あまり保存状態は良くなく、住宅街に飲み込まれています。

現在見られるのは上記の図面の最南端に当たる郭(F)の周囲の空堀と土塁のみ。

 

郭を隔てる空堀

 

土塁。石垣部分は現代の保存工事で整備されたもの。右側が二段になっています。

 

空堀と空堀に挟まれた尾根状の土塁の上の部分。

 

居館部分と舌状台地を堀切で切って、防御力を高めた部分からなる中世の大名屋敷の構造

なのですが、正直現地でその面影を追うのはやや難しい場所でした。