今更ですが、観てきました!!! | 男46歳のダイエット!!!

男46歳のダイエット!!!

自分がデブだと気が付き、血と汗と涙のダイエット日記

私が幼稚園や小学生の頃、春休みや夏休み恒例東宝映画祭りみたいな催し物で、ゴジラを映画館で観た記憶がある。

なんか、ミニラとかいうゴジラの子供やゴジラが戯けるシーンだが、今観れば「馬鹿にしているのか!!!」となるのだが、子供の頃は、怖い怪獣の優しい面や親しみやすさが良かった記憶が蘇った・・・

 

私的に記憶に残っているのは、"地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン"と"ゴジラ対メカゴジラ"である。

ゴジラ対ガイガンのM宇宙ハンター星雲人が、実は巨大な知的ゴキブリであった事には、子供ながらに衝撃を覚えた!!!

ゴジラ対メカゴジラは、私が小学校4年になる前の春休みであった。

当時9歳であったのだが、沖縄海洋博覧会を舞台に、キングシーザーという怪獣も登場して、ゴジラと共闘して強敵メカゴジラを倒した話は面白かったし、この年の夏に、家族旅行で沖縄海洋博覧会に行ったのだ。

 

先日、実に約49年ぶりに映画館で、ゴジラを観たのだ!!!

その後のゴジラシリーズ等は、日本映画CH等で観ていたし、恐らく録画してBlu-rayにコピーしてコンプリートしているはずである。

 

事の始まりは、昨年のLAから始まる。

私はネット情報で、"Godzilla -1.0"の存在を知って、プロモーション動画観て面白そうだと思った。

Harley仲間のカズちんは、完全なミリタリーオタクであり、ハーレーに乗る際も迷彩のシャツとパンツ、更に米兵が身につけている万能ジャケットを着て、なぜだか意味不明だが、ヘリパイ用のヘルメットを被っている。

一見怪しい兵隊なのである。

 

通常は、ナチスドイツの制服や戦闘服の方が格好いいのだが、カズちんは何故か、"砂漠の狐"(湾岸戦争)以降の米陸軍のユニホームを好んでいる。

ツーリンの時も「ねえねえ、これ見て、これは砂漠の狐作戦の砂漠用迷彩服・・・」と言われても通常の人には見分け付かんわ!!!である。

ある時「金出すからさ、本物のヘリコプターパイロット用のヘルメット買ってきてよ」と頼まれたことがある。

アメ横辺りのものは数万円だそうだが、実は本物はかなりの高額である。

私のヘリパイの友人もこのようなヘルメットを被っているが、なんで被っているのか聞いたら、「日焼けしたくないから」と女性らしい応えであった。

彼女にヘルメットのことを尋ねたら「数千ドルする」というのだ。

まあ、私のヘッドセットも900ドルぐらいであるので、当たり前と言えば当たり前である。

因みに、ヘリコプターも小型機も音がうるさくてヘッドセット無しでは会話が出来ないのだ。

 

まあ、値段事をカズちんに放したら「えええ???高いなら要らないや〜」との返事であった。

 

さて、LINEで「Godzilla -1.0が面白そうだけど、観に行くの?」と聴いたら「怪獣映画なんって興味ないよ。絶対に観ない」と素っ気ない返事が来た。

 

先週、カズちんから「Godzilla -1.0ってアカデミー賞とったよな? 観に行ってくるぜ」という手のひら返し、卓袱台返し的なLINEが来た・・・

 

「おいおい、待てよ、お前、絶対に観ないと言っていたよな?」との問いに「そんなこと言ったっけ?」といいながら、観に行ったらしい。

 

「ゴジラすげ〜おもしろかった」と興奮が伝わってくるLINEが入っていた。

更に「早く観れば良かった」とか「ゴジラのテーマ音楽が終盤で流れところがあるんだけど、鳥肌ものだった」と続けざまのLINE報告が来た。

 

そこまで言うのなら私も行くかと昨日、日比谷で観てきた。

先ず、ゴジラが銀座で暴れるシーンがあったが、この映画館の位置も破壊された!!!と妙な臨場感があった。

 

これより私の個人的見解と感想であることをご承知ください!!!

敷島は特攻の途中で機体故障と偽り小笠原諸島の大戸島(架空の島)に不時着して、守備隊兼整備隊と合流するが、その世、島民が"呉爾羅"と呼び畏れている恐竜に襲われる。

体調の橘に零戦の20mm機関砲で射殺して欲しいと頼まれ、コクピットに着くが、呉爾羅と目が合い、恐怖で動けなくなり、結果自分と橘以外は全滅状態であった・・・

まあ、俺なら射ったな〜と思うのと同時に、呉爾羅は唯々人間を殺していたが、通常の野生動物ならば間違いなく、捕食するでしょう?

なんでわざわざ海から上陸して人間を殺すの?が私の疑問であった。

やはり呉爾羅が人間を食べるべきだったのでは?

 

東京に復員すると、一面焼け野原であり自宅も焼け落ち更に、両親も焼死していた。

掘っ立て小屋を建て生活を始めると、大石典子と彼女の連れてた乳飲み子明子をふとした頃から同居を始める。

こので不思議なのが、戦後直後の昭和20年からゴジラ出現の昭和22年まで、Hせずの同居ってあり得る?

 

私の訊いた話だと、この当時男女比だと圧倒的に男性が少なかったので、毎晩夜這いがある意味義務的になっていたという。

要するに、未亡人が圧倒的多数に対して、Hが頑張れる男性の数が少ないのだ。

詰まり、極端な話、男子は年寄りと子供しか残っていない状態であったというのだ。

 

隣家の住んでいた太田澄子(恐らく30代後半から40代くらい)とも、Hする関係になる筈である・・・

 

敷島は、呉爾羅のトラウマがあると言うが、あるからこそ性的欲求って高まるでしょう?

 

まあ、この辺が映画なんだな〜と逆に白けのだが・・・

 

ゴジラが東京に上陸したのだが、ここで疑問なのが、どうして日本にやって来るの?

この質問を投げかけてしまうと、全ての日本のヒーロー物の設定が崩れ去るのだ。

例えば、マジンガーZだが、Dr. ヘルは地中海のバードス島に本拠地があるのに、何故毎週わざわざ日本の、それも富士山麓を狙うのか?疑問である。

世界征服を狙うのなら、先ずは欧州を征服した方が早いでしょう?

地政学的見地から見ても、地球の裏側の日本へ行くよりも、欧州制覇の方が断然早い。

その後に、ソ連邦と共闘してアメリカ合衆国を征服した後にソ連を攻撃すれば、東西から日本を挟み撃ちできるのに・・・

仮面ライダーのショッカーも、日本には強敵の仮面ライダーがいるのなら、先ずは欧州と北米大陸の制服が先でしょう?

その後、世界中の人間を改造してから仮面ライダーと戦わせれば、何十億人対仮面ライダー1号、2号なのだから勝敗は火を見るより明らかである・・・

 

ゴジラが銀座を破壊するのだが、その意図は何?

餌を探しに来て、人間を食べていくのならば理解できるが、唯々破壊のみってこれは動物のやることではない・・・

更に、核での放射能汚染の敵を討つのならば、アメリカを攻撃するはずである・・・

 

ああ、深掘りしてはならないのか・・・

何故ではなく、今偶然に起こった事象を受け入れれねばならないのか!

 

最初の方で、巨大化した呉爾羅から逃げる敷島達に、巡洋艦高雄(たかを)が救援したのだが、ゴジラにやられてしまうのだが、接近からの艦砲射撃に感動を覚えた・・・

 

最期に敷島が正気に戻り、対ゴジラに命を掛けるために乗った戦闘機が震電(しんでん)であった。

押井守監督のアニメ"スカイクロラ"にもこれを参考にした戦闘機が出てきた。

敷島が搭乗するのはまあ良いが、実際には操縦できないであろう・・・

飛行機って実は繊細な乗り物で、同じ機体でも個々に違っているのだ。

 

私も経験があるのだが、セスナ172という有名な機体がある。

同じ172でも年式で違うし、個々でも違いがある。

一番気を付けねばらないのは、V0とV1の速度である。

これは失速速度なのだが、これが違うと墜落してしまう・・・

通常姿勢での失速速度とフルフラップでの失速速度は覚えておかないとヤバいのだ。

同じような機体に見えても182という機種があるのが、これはプロペラブレードが3枚あり、尚且つ可変ピッチである。

写真のセスナ172は、固定ピッチなので、速度調整するのは、"Powerの調節=プロペラの回転数"であるが、可変ピッチとは速度調整はプロペラのチッチ角度の調整になる。

構成の分、操作も複雑になるのだ。

 

さて、敷島は零戦のパイロットであるから、零戦は可変ピッチの3枚ブレードである。

しかし、震電は可変ピッチの6枚ブレードである。

詰まり、Powerが段違いと言うことである。

更に、零戦は前輪のほうが後輪より遙かに高いから、機体が地面に対して斜めになっている。

加速していくと機体が地面と平行になり、離陸速度で操縦桿を引くと浮き上がるのに対して、震電の機体は地面とほぼ平行である。

 

これって、実際は練習しないと飛べないでしょう?

感で飛ぶ奴は基本いない・・・

まあ、死を覚悟していれば、着陸は考えないから、問題ないのかもしれない・・・

 

もう一つ面白いのは、飛行機の操縦を観ていると、その動きに合わせて自分の身体が動いてしまうのだ・・・

例えば劇中で操縦桿を右に倒せば、私的には同じく右に傾くのと同時に右足も踏み込んでいたのだ。

操縦桿を右に倒すと、機体は右に傾くが、これでは機体は曲がらないのだ。

機体を曲げるのはラダー(垂直尾翼に付いていて左右に動くやつ)、詰まり足の操作が必要なのだ。

大きく右に旋回する場合は、操縦桿を右に倒すのと同時に右足でペダルを踏み込む必要ある。

 

この映画の面白いのは、現代の日本政府に対する当てつけなのか「政府もアメリカも当てにはならないから、我々民間(国民)がやるのだ」という事である。

 

政治家の汚職や脱税を糾弾できない司法、既に政府として機能していない。

だからこそ、ゴジラが政府を叩き潰すのである。

これこそ革命であり、大政奉還なのである。

 

私はそういうメッセージを受け取った気がした・・・

ゴジラは単なる怪獣映画でなく、既存の物の破壊と再生を意味しいてると思った。

 

さて、皆さんはどう思いましたか?

 

間違いなく、面白い映画であったと言える。