縄文文明が世界最古の文明であると、多くの人が気づき始めている。

縄文時代は約15000年前から紀元前1000年であり、その後は弥生時代に続くとされている。

 

これは、神武天皇が日本国開闢したより長い5倍ぐらいの間が縄文時代であったと言うことになる。

 

国史、竹内文書らによると、スメラミコトが地球にやって来て、神々による統治を神代七代と呼び、この期間が179万年である。

スメラミコトは大地を作り、五色人という巨人族を作っり、何度目かで元人類になっている。

この後、天孫降臨により瓊瓊杵尊が地上に降り立ち、直接統治を始めたのだが、これが所謂"ウガヤフキアエズ王朝"であり、神武天皇のなるまでに73代の天皇が統治した。

これを神人王統73代で66万年であった。

因みに、ウガヤ王朝でフキアエズという神王が作った王朝で、ウガヤフキアエズ王朝と呼ぶのである。

 

これを見て皆さんはどう思いますか? 荒唐無稽な作り話? 神話の話?

古代エジプトにも、プタハの原初神群の統治が13900年、ホルス系の神々よる統治が11000年、次に半神半人(所謂ハイブリッドの人間)の統治が23200年で、その後に人となった神による支配として古代エジプト第一王朝が紀元前3100年頃にできるのである。

 

私は初宮参りが氷川神社出会ったため、須佐之男命を信仰しているし、天之御中主命には日々感謝を伝えている。

天之御中主命とは天地創造神である。

先ほど書いたスメラミコトは、天之御中主命の御子等である。

 

MOTOERHOMEの旅で岩手県の江刺にある"平安藤原の里"の中に、平成5年(1993)にNHKの大河ドラマ"炎経つ"のロケで使われた荒脛巾(あらはばき)の神を奉った場所があった。

荒脛巾の神は、"蝦夷の神"であったというが、東北地方や北海道に残る日本語して不思議な地名をアイヌ語というが、実はアイヌが曖昧であり、アイヌ人という呼称も明治以降に付けられた呼び名で、13世紀に大陸からやって来た連中も含めているのだ。

だが、所謂アイヌ人やアイヌ語こそが、縄文人と縄文語であるというのだ。

荒脛巾も縄文人が信仰していた古神道の神であり、今の道祖神も荒脛巾だという。

天之御中主命が天の神ならば、荒脛巾は地の神なのである。

 

ここで、不思議だとは思わないか?

何故、この世そのものの天之御中主命より、格下の天照大神が最高神なのか?


さて、欠史八代といわれている。

これは、第二代天皇〜第九代までの天皇の記述がないので、勝手に作ったという説である。

古事記や日本書紀に記述がないと言うことだ。

先ず、記紀は編纂されたのであるから、元ネタがあった事は事実なのである。

作らせたのは天武天皇であり、編纂者は太安万侶であった。

天武天皇は、壬申の乱で天智天皇の直系の大友皇子こと弘文天皇を倒して自ら皇位を手にした。

中大兄皇子と大海人皇子は、実は兄弟が反対であったという。

大海人皇子が兄で中大兄皇子が弟であったのだが、では何故弟が先に天皇になったのかが全ての秘密の始まりであった。

天智天皇の父は舒明天皇で母は斉明天皇でるが、天武天皇の母は百済の王族若しくは百済の王族に嫁いだ姫皇子であった。

つまり、壬申の乱は、皇統が大和系から百済系に移ったことを意味する怖ろしい戦だったのだ。

誤解無きように説明すると、当時の半島の百済、高句麗、新羅は、大和の衛星国家であったであり、王族は全て皇族の血を引いていた。

これは彼らの歴史書に書かれている。

倭国の皇子と熊の娘の間に生まれた子が王となったと・・・

 

更に心配ご無用なのは、光仁天皇(平安京に遷都した桓武天皇の父君)から純粋大和系に戻り今日に至っている。

だからこそ、天武天皇は、記紀を編纂して己の血筋を隠したのである。

更に、記紀にないから歴史が無かったというのは馬鹿げている。

ウガヤフキアエズ王朝やそれ以前の記録も有ったはずである。

では何故無いのか?

それは、"乙巳の変"所謂大化の改新の時に、全て燃えてしまったのである。

御所であった飛鳥板蓋宮が全焼したのである!!!

聖徳太子と推古天皇も歴史書を編纂したが、それも焼けている。

帝紀、旧辞、国記、祖記・家記(蘇我氏の)といった、歴史書が灰となったのだ。

だから、神武天皇からの詳しい歴史書が無いのである。

恐らく、古い書物には神代文字で書かれていたのもあったはずである。

「蘇我蝦夷、天璽・神記・古文の巻を火にくべて焼く」

「火の中に旧文(ふるふみ)飛び入りて、天に還る」

とおう記述が竹内文書やホツマ伝に残されている。

この旧文とは神代文字を指していると言われている。

 

所謂古墳時代の文献や銅鐸の使い方もあったかもしれない・・・

火災とは人命のみならず、貴重な文献も焼いてしまうのだ。

 

学校や政府が教える"歴史"は嘘が多いと思った方が良い。

銅鐸が鐘とか馬鹿げていることを平気で言える連中である。

銅鐸は暦であった説が有力であろうと私は思っている。

皆さんも「???」思ったら自分で調べると新たなる発見があると思う。

正に歴史はロマンでりミステリーなのだ。