上田岳弘著 『最愛の』  | 禄のブログ

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昨年12月の新聞書評欄で、鴻巣友季子さんが “今年は村上春樹の新作を面白く読んだが、上田岳弘の本作には村上ワードルドの先鋭な継承と更新を感じた。 私たちには 「新しいおとぎ話が必要だ。」” と紹介されていた。  

                              
本書は勿論、上田岳弘さえ知らなかった。                            上田は村上の愛読者のようで、『街とその不確かな壁』 への批評 「継承とリライト」 (2023年の文學界6月号) で、

『壁と・・・』 の 「読まれるべきテーマの一つが 『継承』 であると考える」 と述べた後、“ある小説がリライトを求めてくる。 そっくりそのままではなくとも、その中に含まれているある要素が。 けれど、一人の作家にできるリライトの回数には限りがあるから、継承が必要になってくる。 というか、そもそも基本的に作家がやっていることは、広義の継承とリライトなのだ。 (中略) 時を経て、色々なものが移り変わっても、作品は残る。 そしてリライトは続くだろう” と書いている。                                
                                
さて、『最愛の』 は上田の初めての完全なリアリズム長編だが、村上初のリアリズム長編 『ノルウェイの森』 と重なる部分があるということなどで、楽しみつつ読んだ。

 

       

 

                                
「僕」 の中学の同級生で文通を続けた最愛の人 「望未」 は、何かしら “やっかいなこと” や “うっすらした罪悪感(うしろめたさ)” を抱え、彼女の奥深くには“光のささない洞窟"ある。

 

血も涙もない的確な現代人” でもある 「僕」 と望未の恋愛は、二つの世界 (あちら側とこちら側、君のいる場所と私のいる場所、本当の現実とおとぎの世界) に分断されている・・・                                
そして、“君は遠くにいる。 誰からも遠くに。” “僕も遠くにいる。 誰からも遠くに。”・・・                                
                                
 

二つの人生を生きるのは・・・無理。 最愛のものが私から解放されて、私は孤独に耐えられる。 ネバーモア。   高い塔に暮らすラプンツェル。 落下する黒い鉄球・・・下へ、下へ。 ぽっかり空いた穴と塹壕。 おとぎ話。                                
                                
 

村上春樹の小説世界を受け継ぎ、春樹的世界に書かれずにいる “その後” の世界が書かれている・・・?    

                            
さて、“おとぎ話” のその後は・・・。 

めでたし、めでたし。

あるいは、めでたくなし、めでたくなし。