9(土)13:00~22:30 | 「都立受験」のプロフェッショナル(学志舎)

☆合格体験記(2017 西6:山口さん)

私は中学2年の終わり頃、あることがきっかけで西高校に強く憧れを抱くようになりました。しかし、そのとき通っていた塾は、授業中に寝ていても許される、自習室もしゃべり声でいっぱい、そんなところでした。私はこのままではだめだと思い、転塾を決意し、家族と一緒に塾を探していたところに学志舎を見つけました。私が経験した、ここからの学志舎での1年間の体験記が、みなさんの訳に立てばと思います。

 

3月頃の体験授業で、初めて学志舎に足を踏み入れた時、私はとても驚きました。私語が聞こえないどころか、筆箱を開けることさえためらうほど静かだったのです。そこには、私が知っている「塾」とは全く別の環境が広がっていました。その日の授業が数学だったのですが、塾長の説明も他塾とは比べものにならないほどわかりやすく、ぼんやりしている暇もないくらいのスピードでした。まさに私が望んでいた環境で、その日中に親と話し合って入塾を決めました。

 

私はとても楽観的な性格で、入塾前はわからない問題があると、「まぁ、時間が経てばわかる気がする」と考え、解き直しもろくにせずに放置していました。そんな私がなぜ合格できたのかというと、「周りの塾生の存在」があったからだと思います。この塾では、問題が終わるごとに、遠くにいらっしゃる塾長に「終わりました」と聞こえるように伝えるシステムがあります。だから、その声は必然的に他の塾生の耳にも入ってきます。そのおかげで、今自分が学志舎でどのくらいの位置にいるのかがわかるのです。私は「○○」(※部外秘)が最初すごく苦手で、教室内でビリになってしまったことがあります。その日は味わったことのないようなショックや悔しさを感じ、家で泣きそうになりました。そのような気持ちを感じてからは、「次は少しでも早く終わりたい!」と思い、次の授業までの数少ない自習を大切にして、できない問題にもきちんと向き合い、克服していくようになりました。苦手な問題に向き合うのは辛かったですが、そうしないとまた同じになってしまうと思い、家でも「○○」(※部外秘)をするようにしました。私はこのように「後」を頼りにするのではなく、「今」を大切にするようになったのです。同じように頑張っている仲間たちと切磋琢磨できるところがこの塾のポイントだと思います。

 

 

次に私が毎日の勉強でしたことについてお伝えします。それは「塾長に与えられたものをとにかく完璧にする」ことです。私は受験勉強中、自分で買った問題集を解いたりすることは一切ありませんでした。なぜなら、それらは全て塾長からもらった教材で事足りるからです。過去問の解説が始まったら、国語であれば、塾長のチェックする箇所をよく分析し、自分も同じところに目をつけて解答を導き出せるか、数学であれば、とにかく「○○」(※部外秘)「○○」(※部外秘)に取り組み、塾長が授業中に言っていた解き方のポイントをメモし、塾長の思考回路をコピーするようにしました。国・数であれば自習中、これだけのことしかやっていません。大切なのは、「塾長を信じて猛烈にがんばること」です。“これだけしかやっていなくて良いのだろうか?他の問題を解きたい”と思っても、塾長を信じて下さい。そうすれば必ず伸びるはずです。

 

そして、この体験記を読んでいるみなさんの中には少なからず数学が苦手な方もいるのではないでしょうか?私も最初は単純な計算問題以外は全くわからず、お手上げ状態でした。しかし、塾長がおっしゃっていた「失敗からどのような気づきを得るのか、それが大切だ。」という言葉を意識していくことで、数学が得意になっていきました。私は間違えた問題があれば、塾長から教わったとおり、解説を見て“どの思考が自分に足りていなかったのか?”ということをよく吟味し、自分なりにポイントを整理して赤ペンでノートにそれを書き込む、ということをしていました。また模試前にはそれらと塾長が授業で黒板に書いてくださる「ポイント」を見直すようにしました。そのやり方で私は、「偏差値75」をとったことがあります。言ってしまえば数学とは「連想ゲーム」。問題文というヒントからどれだけたくさんの情報を吸収できるかがカギです。苦手意識を振り払って、ぜひ立ち向かってみて下さい。また、集中できない時は、単純な計算問題をすることがオススメです。

 

私が他の人と違うところは、私立一般入試で、併願校以外のところも受験したことです。その上、都立推薦入試も受けたため、冬休み以降はとても忙しかったです。私は推薦入試で不合格になり、推薦対策のため、一般に向けた勉強が十分にできていなかったことに加えて、私立の対策もより多くしないといけないという、他の人と違うことをしなければならないことに激しい不安を感じていました。そのうえ、私立フリー受験も落ちてしまい、「私は本当に西に受かれるのだろうか?」という疑問で頭がいっぱいになり、私の心は崩壊直前でした。そんなときに塾長は、私にいろいろと分析された表などを見せながら「他の人が受かって、山口さんが受からないわけがない!」「ここからが君の西への想いが本気かどうか?それが試される。気持ちを強く持て!」などたくさんの力強い言葉をかけて下さいました。そのおかげで、私は少しずつ冷静になり、入試の日まで頑張ることができました。

 

私は学志舎に入ってから、内申を41から44に上げることができました。去年の自分が聞いたら絶対に信じられない数字です。しかし、私がこれを達成することができたのは、「塾長の熱い指導」と「先輩の存在」があったからだと思います。塾に来て、自分の経験をもとにいろいろなお話をして下さって、実際にこの塾で頑張って内申を上げていった先輩方の存在はとても大きく、私の希望になっていました。このように、卒塾生とのつながりが深いことも学志舎ならではの魅力だと想います。入試の2週間前には、去年西高に合格された富高先輩と大島先輩が来て下さり、私は高校生活について聞く機会がありました。その時に見せて下さった西高生活の写真、そしてそれらを楽しそうに生き生きと語る先輩方の姿を見て、「私もこんな風になりたい。絶対なってやる!」と思いました。その気持ちが入試直前のモチベーションにつながっていたと感じます。

 

ここまでは、学習面についてお話しましたが、私はこの塾に入って、勉強だけでなく人生において大切なことも学ばせていただきました。塾長はご自身のリクルート社での経験などを私たちにお話して下さる時、必ず決まってこう言われました。「信用される人になりなさい」と。そして信用を得るには今の仕事を大切にやりきるしかありません。当たり前のことを言っているように思えますが、さまざまな経験をし、いろいろな人に出会ってきた塾長がおっしゃったことは、私たちにはとても重く感じられ、その先の人生に思いをはせる良いきっかけとなりました。

 

最後になりましたが、1年間熱い想いで授業をして下さった塾長の布施先生、毎日陰ながら見守ってくれた家族、そして学志舎の仲間たち、本当にありがとうございました。そして、学志舎の後輩のみなさんへ。これから勉強していく上で、うまくいかないこと、辛いこと、きっとたくさんあると思います。そんな時のアドバイスを1つしたいと思います。とにかく志望校に強く、強く憧れて下さい。その想いはきっと自分の力になるはずです。何回も志望校を訪れて下さい。自分がその高校に通っている姿をイメージして下さい。それと塾長を信じてやりきることができれば、きっと道は開かれると信じています。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

◎親御様メッセージ(2017 西6)

「うちの娘、メンタルけっこうしっかりしてるじゃん。ちゃんと立て直したじゃん。……間に合ってほんとによかった」。

 

3月2日、都立西高で娘の受験番号がしっかり記された掲示を前に、笑顔がはじける娘に母として安堵しつつ感じたことです。それまで西高の推薦入試、私立豊島岡女子学園高校の一般入試と続けて不合格となり、最後の都立高一般入試を迎えるにあたり、娘の気力の低下がとても心配でした。その時期に、親にできることなど実際にはありません。下手な声かけも逆効果になりそうで、娘が平常心になれるよう、日常生活の会話に抑えていました。父親に至っては入試前夜、不用意な言葉で娘の気持ちを揺らしてしまうことを恐れ、顔を合わせぬように娘が寝付く深夜零時ごろまで新宿をさまよっていたほどです。

 

 

娘は幼少時より歳が2つほどは幼くみられるほど体が小さかったため、親としては娘の勉強の出来は二の次で、体の成長の方をはるかに重視していました。福岡市から父の転勤で東京に越してきた小学6年生時にも、中学受験はあることぐらいは知っている程度の別世界の出来事でした。中学2年の終わりまでは、定期テストだけは頑張ってほしいと促す程度で、近くの大手塾にも通わせていたものの、あくまでペースメーカーとして補習的な役割を求めていたに過ぎません。

 

 

親としては娘が本気で勉強することを18歳まで先延ばしにしておきたかったのですが、この国の進学事情では高校を避けて通れません。矛盾するように映るでしょうが、娘からは、思考のきらめきのようなものを感じることがあり、いずれ本気で何かに取り組む時期が来れば娘は力を発揮できるはず、その時を待ち、今は何とか次のステップに進むための力強い踏み台となってくれそうな高校に入ってほしいと願っていました。

 

 

中学2年の2月下旬、高校受験のことを真剣に考える時期が来たことで、私たちは、娘が心機一転して取り組めるような塾を模索し始めました。ひとまずある大手塾の窓口で説明を聞いたところ、学力別のクラス編成のため、娘の当時の状況では上位のクラスには入ることができず、その後の成績の向上をもとに上位クラスに移る可能性が残されている、とのことでした。ほかの大手塾でも同様の対応になることが予想できました。私たちが想定していた「国立・西・豊島岡女子学園」を目指す子らが多くを占めるクラスには娘は入れない現実がある一方、娘の学力面での可能性をあきらめたくはありません。親2人でどうすべきかと話している時、三鷹4中の同級生で成績もかなりいいという男子生徒の●●くんが、個人塾に通っているらしいことを思い出しました。そんな子が、大手塾でなく個人塾に…。ひとまず1キロ弱の距離にあるその場所を確認するため、父親が自転車で向かいました。都立高校の一般入試が終わったばかりのころです。生徒が帰った後、おそらく後片付けをしていた布施先生に、新中学3年生の席がまだ残っているかどうかを尋ねたことが、今への第一歩でした。数日後に体験授業と面談を経て、娘なりに感じるところがあったのか、他塾との比較もせず、“学志舎で受験勉強に臨みたい”と言い、受け入れてもらえることになりました。

 

 

娘はハードと思われる学志舎の雰囲気に徐々に慣れてきて、夏休みもみっちり自習時間をそこで過ごしてきたためか、夏の終わりの模擬試験では、私たちとしても娘の現実的な志望校として西高を挙げるほどの確信を持てる結果となりました。その後もある程度のアップダウンはあるものの、志望校を変更することもなく、ある私立高から併願優遇を頂いた後、受験シーズンを迎えました。

 

 

そこで2回の不合格。もともと“西高の一般入試のみで戦いたい”と言っていた娘の意向に対し、その2つとも、私たちの強い奨めで受験したものです。それが残念な結果となり、娘が悲観的になっているものと心配しました。慰める母の言葉も本人の胸には響かなかったのでしょうが、布施先生が、これまでのデータを示し、“一般入試では大丈夫だから、気持ちを強く持つように”と諭してくださったと聞きました。いつも同じ教室で見守ってもらっている布施先生の言葉に、娘は不安をやわらげ、勇気を絞り出せたことでしょう。私たちの願望のツケを布施先生に回してしまったことを、ほろ苦く思い出します。

 

 

布施先生のブログには、学志舎には努力ができる子が集まっている、ことが記されています。私たちの感覚としては、努力以前に、その覚悟をした子、覚悟をしたいと望んでいる子が集まってくる塾なのだと感じます。1年前、娘が本人なりに覚悟を決めた顔つきになっていたことを思い起こし、そう実感しています。布施先生、わが子を、15の春に間に合わせていただき、ありがとうございます。