合格体験記(2015 立川) | 「都立受験」のプロフェッショナル(学志舎)

☆合格体験記(2015 立川:小野くん)

 

僕は中3になっても、なんとなく受験があるというというぐらいの意識しかありませんでした。面倒くさい感じがして塾には行くつもりがなく、定期テストの前になってもいつものペースでだらだらと勉強しているだけで、パッとした点数をとることはできませんでした。夏休みになっても、その姿勢は変わらず、旅行を楽しみ、キャンプに行って何日も勉強をせず、真剣さからはかけはなれた状態でいました。夏休みに塾の夏期講習に通っていた人々のことを思うと本当に恥ずかしい程でした。実は夏休みの直前に母が一度学志舎に連れていってくれたのですが、塾長の話を聞いて、熱くて真剣な先生だなという印象を受けながらも、その時には決心ができませんでした。

 

夏休みが終わった後に体験授業に参加させてもらい、何か始めないといけないとようやく思い始めた頃だったので、入塾を決心しました。しかし、入塾してしばらくの間、僕は周りの塾生のスピードに全くついていけませんでした。授業にもついていけず、この塾ではやっていけないのではと思いました。入塾して最も驚いたことは、みんなの勉強に対するヤル気です。宿題の過去問をやってくる量が僕よりもはるかに多く、その上、授業が始まる何時間も前から自習に来ている人もたくさんいました。一番驚いたのは週3回ある授業以外の日にも自習するためだけに遠くから塾に来る人がいるということでした。僕はせめて授業のない日くらいは休みたいという気持ちがあり、授業以外の日に学志舎に来ることはほとんどありませんでしたが、きっと他の日にも学志舎に来ていれば、学力はさらに上昇し、受験も余裕で受けられていたはずだと今では思っています。それでも通っているうちに少しずつ授業についていけるようになり、そんな中、入学したいと思える高校に出会いました。それが自校作成校だったので、それまで「自分には全く理解できない問題をやっている宇宙人達のグループ」という印象を持っていた「難関クラス」に入ることになりました。そこで初めて「平均点がたったの40点」「公立中でトップの子でも半分できない場合もある」など、様々な噂を耳にしてきた自校作成校の過去問をやったのですが、噂どおり非常に難しく、テスト結果を見た時、僕が少しずつ持ち始めていた自信が一片のかけらも残らず、打ち砕かれました。

 

自校作成校問題は特に国語の作文・数学の証明問題が難しく、国語の作文を書くことを最初から諦めて問題を解いていた時期もありました。そんな小手先のやり方でも平均点を越えることがあったので、この方法で受験しようと思っていたら、個別添削の際、塾長から「作文が書けなかったら合格は無理。」ときっぱり言われ、ショックを受けたことを覚えています。僕の甘さはあっさり見抜かれました。

 

いよいよ冬休みになりました。塾での自習時間は自分で自由に決められるのですが、僕は1日のほとんどの時間を学志舎で費やすことに決めました。なぜなら、その頃にはもはや勉強が苦にならず、逆に楽しいと思える程、意識が学志舎色に染まっていて、自習時間に勉強をしないことなど考えられなかったからです。入塾した頃の自分と比べると大違いでした。この冬休みは今までの人生の中で最も勉強に対して真剣になり、学習面だけでなく、心の面でも成長できた時だったと思います。夜にはとても眠くなるのですが、そういう時でも、とにかく手を動かし、惰性でもいいからと勉強を続けました。しかし、なかなか思うように点数は上がりませんでした。そこで僕は塾長のアドバイスの一つを思い出し、今までは答え合わせが終わったら、読むこともなかった模範解答を見ることにしました。答え合わせをして、結果が合っていたとしても、途中の過程の部分で適当なところがあったりするので、模範解答を「第2の先生」とし、何回も写したりしました。そうすると模範解答の中でさえ、さらには問題の中にも 間違いを何個か見つけることがあって、とてもワクワクしました。間違いを見つけたなんていう話はどうでもいいと思われるかもしれませんが、これは間違いを何個も見つけられる程、解答を丁寧に見ることができたということなのです。その結果、点数が着実に上がり、先生に何度も「受かる!逆転合格できる。」と言われ、握手され、大きな自信を持つことができました。そして冬休みが終わりに近づくと、12時間以上ある勉強時間も全然足りないと思うようになりました。

 

僕は9月入塾で内申が31→36と上がったのですが、それでも低かったため、偏差値の高い私立高校の併願優遇はとれませんでした。フリー受験だと合格率はかなり低いと言われていました。ですから、私立対策は学校の休み時間に過去問を少しやるだけで、都立一本に焦点を定めることにしていました。しかし、受験後、私立高校から届いた封筒にはまさかの合格通知が入っていました。その時、奇跡はあるのだと思いました。きっと学志舎での勉強によって実力がつき、併願優遇無しという壁も乗り超える力を持てたのだと思います。そして、いよいよ都立入試本番となりましたが、ここで話すことはほとんどありません。ただ、自分の今までの力を、努力を、思いを全てぶつけるだけでした。 

  

これが僕の合格までの流れをまとめたものですが、文章を読んでも、学志舎のすべての魅力はわからないと思います。合格を勝ち取ったのは決して僕だけの力ではありません。学志舎という超強力な後ろ盾のおかげです。ここに入っていなかったら、今頃もっとがんばればよかったと、やりきらなかった過去に思いを馳せていたことでしょう。学志舎で得たことは合格だけではありません。これからの人生に繋がる、書き記せないほど多くのことを学びました。学志舎は僕にとって最も重要な思い出の一つになると思います。先生、本当にありがとうございました。もう行けないのは残念ですが、先生に教えてもらったことを忘れず、今度は大学という新たな目標に向かっていこうと思っています。

 
 

◎親御様メッセージ(2015 立川)

 

「塾には行かない。」それが、息子の考えでした。中学3年になって、近所の塾の体験会のちらしが来たので、試しに行かせてみたのですが、続ける気はまったくないとのことでした。本人にその気がないなら行かせても無駄だと、親の方でも塾という選択肢は消えました。自分で友達と一緒にやっていきたいのなら、それでよしと、のんびりした1学期が終わりました。

 

夏休みの直前、たまたま調べ物をするために、パソコンを開いたのですが、武蔵境に近い塾のお知らせサイトがあって、その一番初めに学志舎の短い案内がありました。なにか特別な感じがする紹介文でした。まったく乗り気ではない息子に「先生の話を聞くだけ。体験授業も受けなくていいから。」と約束し、面談予約をしてから教室に行きました。塾は拒否していた息子でしたが、布施先生から受験に関するいくつかのアドバイスを頂いて、少し心が開かれたようでした。入るかどうかは夏休みの後に決めるということになり、彼に「他の塾の事は調べたこともないから、比較の上でというのではないけれど、この塾がダメなら、もう他の塾はないと思う。」と言うと、反論はありませんでした。家族の夏休み計画は長期旅行で、息子には申し訳なかったのですが、例年通り、登山、魚釣り、キャンプと盛り沢山の遊びで一杯でした。やろうと考えていた勉強があまり進まなかったようで、あせったのではないかと思います。夏休みの後、塾はどうする?と聞くと、「入る。」との返事。この決断をさせてくれた神様に感謝しています。塾は夏期講習が終了し、学校の教科書はすでに最後まで履修済みという状態。布施先生から「今からだと大幅な遅れを取り戻し、みんなに追い付くだけでも大変だけど、がんばれ。」と励ましを受け、入塾させて頂くことになりました。

 

9月半ばに息子は友達と立川高校の文化祭に行き、また学校説明会にも参加して、ここに行きたいと、立川への強い志望を持つようになりました。遅すぎるスタートでどうなるのかわかりませんでしたが、とにかく学志舎で学び続けました。塾での様子は私にはまったくわかりません。しかし、そんなことを質問して答える時間を取ってしまうのがはばかられる程、一生懸命やっていました。

 

2学期の内申はとても上がり、学校での進路面談で担任の先生から「こんなに伸びた生徒は今まで見たことがありません。」と言われました。

 

今年に入り、1月に受けた自校作成校模試では偏差値74になり、立川、国立は安全圏、筑駒等難関国私立も合格圏という判定でした。志望を国立に変えたら?と勧めたのですが、立川への夢と、立川でしっかりやっていきたいという一貫した意思はぶれませんでした。合格発表を見に行く朝は、制服がないので入学式はどうするのかというような話題も出て、やりきったことからくる自信で落ち着いていました。すでに合格していた私立の手続き票は頭のすみにもなかったようで、私が万一を考えて、無理やり持たせました。彼は「大丈夫だ。」と言ってくれた布施先生を信じていました。

 

塾のどこがよかったのかは、先述の通り、よくわかりません。ただ、ある日、社会の話題を食卓で話していた時、息子が「そんなことは布施先生から聞いている。」と言った口調が印象深く思い出されます。布施先生が授業の合間に実社会に出た時のいろいろな話を語って下さっていたようです。家族が知らない世界を先生から教えてもらっていて、そのことを誇らしげに思っている側に彼はいました。子供が信頼している人についている。親としてはそれで充分でした。

 

合格してから、ふと、立川の倍率は一体どのくらいだったのかと思い、パソコンで見てみると、男子は2倍超えで年々上がっていると書かれていました。塾だけのお陰で合格できたと言うつもりはありません。今まで多くの方々に支えられて息子はここまで成長させて頂きました。いろいろな方のお顔が目に浮かびます。しかし、9月からの無謀な挑戦に対しては、布施先生が子供と一緒に全力で走って下さったのだと思います。

 

また、受験前夜にバウムクーヘンのお菓子をもらって子供が帰宅しました。1人の塾生のお母様がみんなに下さったとのことでした。お菓子の包みの上にはマジックで「自信を持って!」と書かれていて、私はそれを見て、胸が一杯になりました。子供達一人一人への暖かい励ましでした。そのような親御さんを持つ生徒さん達と一緒に学ばせて頂いたことも本当にありがたく思っています。(今後は9月からでは席がないのではと想像しています。彼がぎりぎりで入塾できたことは、今思えば見えないドアが開かれたようなものでした。)

 

最後に。

2月号の学志舎通信に「受験生の親御様へのお願い」として、以下のことが書かれていました。「そっと見守り続けてもらいたい。この時期は周りからいろいろと話をされても耳に入らない時。勝負しようとしているわけですから、一人で集中していたいものです。ですから、ご家庭では偏差値がどうこう、苦手科目をどうするのか?といった勉強面のお話は極力避けるようにお願いします。あくまで受験するのはご本人です。」 

確かにその通りだと思いました。親はなにもできないところで子供は戦っていた。そして、布施先生はぎりぎりのところまで子供に寄り添い、応援して下さったのでしょう。もちろん合格すれば努力の結果が見えてうれしいことではありますが、やはりそれは二の次のことと思っています。6ヶ月間の集中した勉強は強いられてできたことではありません。受験という関門に向かう中、彼は本当に打ち込んでいました。なにかをつかんでいる様子がよくわかりました。人生の中でこんな経験をさせて頂いたことこそ、彼にとって幸いなことでした。

 

布施先生、本当にありがとうございました。先生と先生のご家族がこれからもお幸せでありますように、そして学志舎で共に学ばせて頂いたお子さん達の新たな一歩が祝福されますよう、心よりお祈り申し上げます。