サボテンマニア -2ページ目

サボテンマニア

これさえ読めば、きっとあなたもサボテンマニア!
※注 マニアになったからといって、特典などはございません…w

こんにちは。サボテンです。

これまた「昭和シリーズ」と銘打ってお送りしますが・・・
ままま、「へぇ~昔はそうだったのねぇ~」なんて感じで、生暖かく見守っておくんなまし。


僕が生まれて初めて出会ったテレビゲーム。
それは「カラーテレビゲーム15」という、今となってはチャチなシロモノだった。
話では、親父が初めてのボーナスをつぎ込んで買った物らしい。
しかし単純動作で、幼い僕はすごく楽しめた。
テレビの中の棒が、自分の意のままに動くだけでも楽しかったのだろうと思う。
それが僕のテレビゲームの始まり。

途中LSIゲームなんかも挟んだけど・・・これは別の機会にしようかな。
次にテレビゲームとして出会ったのは、友達の家にあった「スーパーカセットビジョン」だった。
あまり面白くなかったのでよく覚えてないけど。確か、木こりのゲームをやったような気がする。

そして、その次に出会ったのが、日本全国お馴染み。平成生まれの人でも知っている「ファミリーコンピュータ」だ。
これは当時画期的だった。
ゲームセンターで1プレイ50円、100円をつぎ込んだ「ドンキーコング」や「マリオブラザーズ」が自宅でやり放題だったのだ。
ウチは兄貴の友達が新たにファミコン本体を買い換えたということで、格安で譲ってもらってきた。
本体があるのに、新品に買い換える・・・?世の中とんだブルジョワジーがいるものだと思ったが、理由は後に判明する。
初期のファミコンのコントローラーは、AボタンとBボタンが四角いゴム製で、後期ファミコンはプラスチック製丸ボタンなのだ。
ゴム製ボタンだと、シューティングゲームなどで連打が打ちにくい。また、四角いボタンは指にフィットしにくく押しづらいのだ。
最初の頃は「ジョイボール」という別売りのジョイスティックなどで対応していたが、それもイマイチ。
当時子供の僕に、さすがに本体を買い換える資金は無く、どうしようか思案した挙句、コントローラーだけ付け替えるということを思いついた。
駅前のおもちゃ屋へ走り、丸ボタンのコントローラーを手に入れた。貧乏人の知恵というやつだ。

快適なファミコンライフを手に入れた僕は、ファミコン人生を謳歌した。
発売する全てのソフトを手に入れるなんて不可能だが、持ってないソフトを友達と交換して遊んだ。
「ゼビウス」「エグゼドエグゼス」「ハイドライドスペシャル」辺りが僕の主戦力だ。
「ゼビウス」なんかは引く手あまただった。「●●貸すからゼビウス貸してくれ」と懇願されること多数。
「エグゼドエグゼス」は、購入当時あまりのつまらなさに一瞬後悔したが、アーケードから流れてきたヤツらに羨望の眼差しで見られた。
「ハイドライドスペシャル」は、少数のPCゲームマニアから熱烈なオファーがあった。
これらの戦略的チョイスにより、僕は友人とのソフトの貸し借りに困ったことは皆無だった。

また、「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」は、交換の際武器にはならない。みんな持っていたからだ。
当時「抱き合わせ商法」というのがあって、上記の人気ソフトに強制的に売れないマイナーなソフトをくっつくけて売るという手法が横行した。
僕は「スーパーマリオ」をディスカウントショップで、「ドラクエ」は流行りが終わった頃、中古品を格安で手に入れた。
欲のまま突っ走り、世情を無視した行動をしていると、痛い目に遭うこともある。

そんな中、ファミコンソフトを借りパク(借りたまんま盗む・または他の友達に又貸しする・本人の許可なく店に売る)するヤツが出てきた。
同じ学年で二人ほどそういうヤツがいたが、そいつらはすぐにハブられた。
また、このことは学校にも知れることとなり、学校主体でファミコンソフトの貸し借りは禁止された。
が、そんなことにもめげず、僕(ら)は、貸し借りを続けた。もちろん真っ当にクリーンに。
ただ、学校には禁止されてるので、規則を破っていることになる。そんな後ろめたさが子供ながらに妙にそそられたのも事実だ。

平和にファミコンライフを続けていたのだが、そんな安穏とした日々を任天堂は許してくれなかった。
「光線銃」「ファミリーベーシック」「ディスクシステム」「ジャイロロボット」など、様々な散財材料(燃料)を投入してきた。
色々な角度から研究(友達に人柱になってもらったり)して、ディスクシステムはなんとか入手しなければと思った。
誕生日やクリスマス等、色々計算した上で、親に泣きついてディスクシステムは手に入れた。
「ゼルダの伝説」「謎の村雨城」「パルテナの鏡」など、ディスクシステムは名作揃いだった。
しかもディスクさえ持っていれば、\500でデータ書き換えも出来た。要は\500で新作が手に入るということなのだ。
うっひょ~!すげぇぜディスクシステム!・・・と思ってたら、ショックな出来事が起こった。
街のはずれのおもちゃ屋で、\100で書き換えをやる店が出たのだ。
どうやら黒いディスクを差し込んで、自前で違法にディスク書き換えをやるらしい。
後に僕自身も黒いディスクを手に入れ、自宅で書き換えが出来るようになった。
無料で書き換えが出来る嬉しさの反面、罪悪感があったことを覚えている。
一回書き換えをする度に、大事な何かを一つ失くしていくような、やるせない喪失感も伴った。

思えば、小学生~中学生時代は、常にファミコンと共にあった。
最盛期には手元に100本以上のソフトを所有していたと思う。
ファミコンは隆盛を極めたが、「ドラゴンクエストⅣ」を最後に、その勢いは失われていった。
次第にそれは、「スーパーファミコン」へと移行していくことになる。

そういえば、ウチも決して裕福ではなかったけど・・・
ウチなんて比にならないド貧乏の友達がいた。
ソイツんちは、ファミコン最盛期に「セガ・マークⅢ」を買っちゃってたっけな。
しかもビデオデッキはベータだった。
今頃どうしてるかな・・・

こんにちは。サボテンです。

昭和シリーズ第二回目は、ウチのテレビ事情なんかについてお話しようかと。
これまた平成生まれの方には(以下略)
ままま、そんな時代もあったのねぇ~なんて感じで、ザッとスクロールしちゃってくださいませよ。

僕のテレビに関する一番最初の記憶は、14型のブラウン管テレビだった。
うん、なんとかギリギリカラーテレビw
白黒テレビもあったけど、それで観ていた記憶は無い。

台所兼リビング(とも呼べないスペース)にあった、14型で、テレビの上に室内アンテナが乗ってたヤツ。
チャンネルごとに、微妙にアンテナの方向を変えないといけなかった。
アレって、人が触ってる間はまぁまぁよく映る。
けれども、この辺でいいかな?ってパッと手を放すと、すぐに映りが悪くなった。

近所に高速道路が通った影響が大きかったと思う。
ウチのテレビの映りはヒドかった。どのチャンネルも、玄孫のエロビデオみたいな映りだった。
それでもあの頃は頑張って観たものだ。

テレビが一番の娯楽だった。
日曜日から土曜日まで、毎日観たい番組があった。
ウチには三つ上の兄貴がいたのだが、観たい番組が同じだったらいい。
しかし、お互い同じ時間に違う番組を観たいとなれば、それはもう凄惨なチャンネル争いが始まる。
泣いて怒って叩いて蹴って。拗ねて焦らして物投げつけて。
力で勝てない報復に、翌朝兄貴のランドセルの中身を全て引っこ抜き、『釣りキチ三平』全巻をぶち込んでやったのはいい思い出。
その仕返しに、忘れた頃に僕のランドセルの中身がギッシリ『ドラえもん』に摩り替わっていたのも、今となってはいい思い出だ。

現在でも「チャンネルを回す」という言葉は残っているが、数字が並んだリモコンのボタンを「回す」とはこれいかに。
昔のテレビは、1~12チャンネル+UHFチャンネルまでダイヤル式のチャンネルだった。
文字通り「チャンネルを回す」のであった。
そうそう、思い出した。
チャンネルを変えられるのがイヤで、自分の観たいチャンネルに合わせたままダイヤルを引っこ抜いたこともあったっけ。
そうすると四角い金具が突起しているだけの状態になり、素手で回すことは不可能に近かった。
兄貴はズルイ。最初に「チャンネルはずし」を発明したのは僕なのに、兄貴も同じ手段に出た。
しかし僕も負けない。ある日ゴミ捨て場で同型のテレビのダイヤルを引っこ抜いて、自分専用のチャンネルを手に入れた。
「チャンネルはずし」を仕掛けられても、僕は「チャンネルはずしはずし」で応戦することになる。
結局「チャンネルはずし」は魔封波返しを身につけたピッコロのごとく、無効技となった。

台所兼リビング(リビングとも呼べないスペースだったが)では、そのような小競り合いが続いていた。
しかし、ばあちゃんの部屋のテレビは違かった。
24型で、無駄に大きく映りの良いテレビ。しかもダイヤルではなく、ボタンを押していればチャンネルが順次切り替わってゆく方式だった。
さらに室内アンテナではなく、ちゃんとアンテナ線から取っていた。生意気な・・・
自分だけのテレビ・・・なんと贅沢な響きであろうか。
あんなデカいくせして、いつも時代劇か刑事ドラマしか映すことを許されないあのテレビを不憫に思ったものだ。
あの大画面で、どんなにかアニメを観たかったことか。あのクリアな映りで、どれほど深夜のエッチな番組を観たかったことか。

どんなに恨み言を言おうが、駄々をこねようが、僕が観れるテレビは台所兼リビング(以下略)の14型オンボロテレビだけだ。
晩年はご機嫌も悪く、ただでさえ映りが悪いのに、もうどうにも観れる状態ではなくなっていた。
そんな時は、手刀の形でテレビ側面を約30度の角度で、蚊を殺すほどの強さで叩くとご機嫌が直った。
僕はこの「テレビしばき」のプロフェッショナルであったが、兄貴はどうも要領を得ないようだった。
ただひたすらバンバン叩くだけであった。それではただの折檻ではないか。
あの跳ねっ返り娘のご機嫌を取るには、ただ叩くだけではダメなのだ。
「お前が憎くて叩いてるんじゃない!叩いてる方も痛いんだ!」と思うほどに愛情を込めないとダメなんだよ。

あれから数十年。
テレビは液晶になり(ウチはいまだにブラウン管だが・・・)、チャンネルをガチャガチャ回すこともない。
エレガントにリモコンのボタンを押せばいいだけだ。
CATVを引き込んだので映りもバッチリだし、ボロいテレビではあるけれど、もうバンバン叩くこともしない。

だけど、思い返してみれば、あの頃のテレビは良かったよ。
映りは悪かったけど、それでも観たい番組があったもん。
一生懸命観たよ。翌日友達と話す時の為に忘れまいと、しっかり記憶に焼き付けたもん。
そりゃ機能は現在の方がダントツに上だけれども。こうして話のネタになったわけだしさ。
台所兼リビング(以下)のテレビもイイ奴だったよ。

昔のテレビは良かったなぁ。
外も中身も。

こんにちは。サボテンです。

唐突ですが、『昭和シリーズ』というカテゴリ名までつけて、昔のアレコレなんかを書いてみたいと思います。
シリーズ第一回目は、現在とは違う電話事情に触れてみようかと。
僕と同じ世代の方には、「あぁ~、あったあったw」なんて共感してもらえる部分もあるやもしれませんが・・・
平成生まれの方には、共感どころか「は?何言ってんのオマエwww」なんて罵声も飛んできそうですけど(汗)
まぁ、ジェネレーションギャップを大いに感じていただいて、「過去」という名の外国のお話でも聞く感覚でご覧になっていただければなぁと。
ままま、馬鹿馬鹿しい昔話でも聞いておくんなせいよ。


ジリリリリン!ジリリリン!
ガチャッ!「はい●●です。もしもし?」
けたたましく鳴るベルを一刻も早く静めるが如く、急いで受話器を取る。
個人情報なんて概念が無かったその頃は、開口一番自らを名乗った。
用件が済んだら、そっと受話器を置く。
壊さぬよう、極力丁寧に。

僕に記憶というものが宿った時、既にそれは家にあった。
花柄の敷物の上に置かれ、受話器の持ち手と本体も、敷物と同じ柄の布で覆われていた。
円状のダイヤルと呼ばれる部分には穴が空き、その穴からは0~9の文字が覗いている。
当時それは「電話機」と呼ばれていたが、現代のそれとは似て異なるモノである。
ここでは区別するために「黒電話」と呼ぶことにする。

黒電話は家にある家電製品の中でも異質な存在だった。
無機物のくせに、服を纏っている・・・?
それは、我が家の中でも特に大切にされているという、別格な存在感をかもし出していた。
冷蔵庫やテレビに触れることは許されていたが、電話に許可なく触れることは禁じられた。
そんな電話の特別性をさらに大きくさせた、以下のようなエピソードもある。

幼少時のサボテン:「おとうさん、うちのでんわってさ~」

若かりし日のサボパパ
:「ん?電話はウチの物じゃないぞ」

:「え?だって、うちにあるんだから、うちのものだよぅ」

パパ
:「違うぞ?その電話は借りてるんだよ」

:「!!だ、だれからかりてるの?」

パパ
:「電電公社っていうところから借りてるんだ」

:「じゃあ、買っちゃえばいいのに。かりてるなんてイヤだよ。こわしたりしたらたいへんだよ」

パパ
:「電電公社は、電話を売ってはくれないんだよ。その代わり貸してくれるんだ。」

パパ
:「だから、壊したら電電公社からすごく怒られるぞ!だからサボちゃん壊しちゃだめだよ」

:「うん・・・でんでんこうしゃってケチでおっかないんだね・・・」

当時世間では、電話加入権(めちゃくちゃ高い)を取得した世帯に電話機を貸与するというシステムを採っていた。
法人でもない限り、どこの家庭でも同一の電話機が置かれていた。
それは今考えるととても異様に思えるが、当時はそれが常識だった。
現在は家電量販店へ行けば、高機能でオシャレな電話機が安価で購入できる。
それどころか、今は一人一台電話を携帯している・・・一体誰がこんな時代が来ることを予想出来ただろうか?

話が逸れた。
黒電話には黒電話の魅力もあった。
家族の誰かが電話をかける時、ダイヤルを回す音で、ドコにかけているか判った。
「はは~ん?さては●●さんとこだな?」なんて予想して、それが当たって一人で喜んでいた。
自分でダイヤルを回すのも、妙に興奮したものだ。
どういう仕組みかも分からないまま、ダイヤルを回せば話したい相手と繋がる。
幼い僕にとっては、電話は魔法のアイテムだった。

間違い電話がかかってきても、焦って謝ってくる様子に、失笑にも近い、でもそれとは絶対に違う笑みがこぼれたものだった。
逆にこちらが間違い電話をかけてしまったら、受話器の向こうの顔も見えない人に向かってペコペコ頭を下げたものだ。
もちろん現代でも同じことはありがちなのだけど、なんていうのだろう。時代のなせる大らかさとでも呼べばいいだろうか。
間違えた方の気恥ずかしさ、相手に対する申し訳なさと、それを微笑んで許せる寛大さ。
少し大袈裟かもしれないが、昭和という時代のささやかな暖かさと人情がそこにあったのかもしれない。

人と人との関係が希薄に感じられる現代、僕は黒電話が遠く懐かしく感じられる。
友達の家がプッシュホンになってもしばらくは、ウチは黒電話のままだったけれども。
よその家に留守番機能が付いても、ウチは黒電話だったけれども。
今ではね、もう黒電話に戻ってもいいよ。むしろ黒電話にしたいぐらいだ。

あのツヤのあるベークライトの、少し重い受話器をね、耳にあてたくなるんだ。
たまにね、無性にね。

みなさんこんばんは。
サボテンでございます。

前記事より、随分と間が空いてしまいました。
ままま、それは置いておいて。
ちょっと思いついたことがあったので、久々に書いてみました。

そう・・・タイトルにもある通り。
「第一回お絵かき選手権」を開催します!

アメブロをやっている皆さんは、ご自分のピグを持ってるかと思います。
そのピグを描いて、ブログ記事にしちゃおうぜっ!ということであります。

一応ルール説明を。
手描きはもちろんOKです。
お絵かきソフト使用もOKですが、ピグの画像データを取り込むなどして加工するのはNGです。
描いた絵をスキャンするのも写真に撮ってUPするのもOKです。
トレースは厳禁です。

・・・とまぁ、要はピグ画像を加工したり、トレースする以外はOKってことです。
連休ヒマだなぁ~という方や、画力に自信のある方、ヘタだけど面白そうだから描いてみようっ!という方。
ドンドン描いてブログでUPしてくださいw
「自分も描いたよっ!」という方は、コメント欄かピグで会った時にご連絡ください。リンク貼ります(笑)


とか言って、言いだしっぺが描かないとグダグダになってしまいますね。
もちろん描きましたよ!

いいか・・・


笑うなよ・・・w


これが!


僕の!


作品だっ!


太ったwwwwwwwwwwwwwwwwww

一体何を食った!?ぐらいな太りようですなw
いや、顔を描いてる辺りでね、なんかアヤシイなぁ~とは思ったのですけど。
面白そうだったので、続けて描いちゃいましたw
なんか、人造人間20号を彷彿させますなww


・・・と、そんなことを踏まえた上で!
これじゃ終われないと思い、もう一つ描いてみました。


う~ん・・・
本気出して描いてみたんですけど、なんか微妙・・・(汗)
おそらく、まゆ毛を縁取りしてしまったのと、目が上手く描けなかったのが原因かと思われます。 orz
線だけで構成されてるので簡単に描けるかと思いきや、案外難しいぞ!ピグ!

さささ、こんな感じで、皆さんもご自分のピグを愛情込めて描いてみませんか?
賞品は何も出ませんけどw
締め切り日も特にありませんので、お気軽にご参加ください。


↓↓↓参加者現るっ!w↓↓↓



正月休み最後の土曜日、久しぶりに車を出した。
キーを刺し込み、イグニッションをONに入れる。
かじかむ手を擦り、エンジンが暖まるのを待つが、中々油温は上がらない。
息を吐く度に雲のような浮遊物が現れては消える。
外気との気温差で車内の窓が白く濁ってきた。
清潔なウェスで濁りを拭き取る。それが終わる頃、油温計の針が少し動いた。
ヒーターのつまみを一つ捻ってから、僕は車をゆっくりと出した。

心なしか道路は空いている。
鼻歌(という名の熱唱)なんかを口ずさみながら、ゴキゲンで幹線道路を走った。
大いに歌いすぎたか?窓が白くなってきた。
僕は鼻歌(という名の熱唱)を止め、ヒーターをエアコンに切り替えた。

休み休み10曲ほど歌った頃、あなたの住む街に着いた。
荷物を後部座席に載せてから、助手席に滑り込む。
発進しても、鼻歌(という名の熱唱)は必要ない。
あなたが色々お話を聞かせてくれるから。

電車で移動する時は、あまりべちゃくちゃお喋りはしない。
だけど車移動の時は、自然といつも以上に会話をする。
普段だったら、かいつまんで話す内容も、必要以上に遠回りしながら話が進む。
必要最低限の事を話したら、その話題はすぐに終了してしまう。
のんびりと、一瞬無駄に思えるような装飾も含みながら、あなたは話を続ける。
なんか、こういうことも大事なのかも。なんて思いながら耳を傾けていた。
一方僕は、運転に結構必死だったりする。新年早々事故とかは御免だ。
普段ツッコミ気味の僕も、運転中は『うなづきマシーン』と化す。

いっぱいお話してくれたお陰で、あっという間に目的地に着いた。
長い距離を全く感じさせなかった。

今日一日は、あなたの好きにさせよう。
そしてそれに黙って付き合おうと決めていた。
あなたはいつものように、山のような洋服の中から好みの物を探す作業に入った。

今日一日は、あなたの好きにさせよう。
例え、明らかに買うことはないであろう服を手に取り、悩んだとしても。
今日は黙って付き合おう。
例え、既に見た服を、もう一回見ていたとしても。
静かに見つめていよう。
例え、カゴに入りきらなくなった荷物を持たされたとしても。

正直、間にちょいちょいツッコミは入れてしまったけれども。
あなたへのシンプルな想いに、感情論は飲み込まれてゆく。
僕の瞳に映った満足気な笑顔に、僕自身も満たされていた。

その後、道を戻る形で移動。
大きなショッピングモールが僕らの目的地。駐車場が中々停められず苦労した。
ここでは特に何かを買うつもりは無かったけど、色々な物をいっぺんに見れるのは楽しい。
それよりも昼はとっくに過ぎていたので、僕は珍しく腹ペコになっていた。
なので、フードコートを彷徨ったのだけど、空腹なのに、これといって食べたい物がなかった。
結果、地下鉄を英語で表現したようなお店でサンドイッチを頬張る。
最初はあまり乗り気じゃなかったけれども、食べてみたらヘルシーで美味し。

巨大なショッピングモールを歩き、片っ端から店に入っては、あれやこれやと手に取って見る。
一人では行かないけど、女性物のお店を見る機会も多くなった。
色んな素材とデザイン。女性用のアパレルは種類豊富で、モノによっては価格も安い。
女性は色んな物があっていいなぁと感嘆するも、新しい自分に目覚めそうな気持ちを抑えた。

入った時は明るかったのに、出る頃には真っ暗になっていた。
日没が早い。
急いで帰る理由は無かったけど、遅くなる前にショッピングモールを出た。
帰りもいっぱいお話をしてくれたお陰で、どこでもドアかと思うぐらい早く帰ってこれた。
あなたの地元で食事をした。離れた席にいた酔っ払い学生集団が五月蝿かった。
注文した『フカヒレあんかけチャーハン』は美味しかったけれども。

地元を遠く離れると、心細さと漠然とした不安感に襲われる。
だけど、憑き物が落ちたような身軽さと、子供の頃に感じたような冒険心が甦る。
旅っていうほどの距離じゃなかったけど。
たまには遠くへ行くのもいいもんだと、帰り道の幹線道路を走りながら思った。