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2019NBAファイナル初戦を勝利で飾れなかったウォリアーズ。第2戦で是非とも勝利を!

オラクルアリーナではWatch Partyがあったようですね...。

デマーカス・カズンズのNBAファイナルデビューと大腿四頭筋断裂からの復帰をお祝いすることもできず、彼自身のファイナルデビューのメイクショットならず、素晴らしいドラマは生まれなかった。しかしまだ彼の活躍するチャンスはあるはず。

 

これは大腿四頭筋の怪我をする前のコラムですが、長いしせっかく読んだのでボツにするのがもったいなく、彼の幼少期の苦悩からの成功をお伝えしたいのでアップします!(長いので分割します)

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デマーカス・カズンズがニックネーム”Boogie”を手放している

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『’僕はBoogieでいたくない’—デマーカス・カズンズは新しいことに挑戦する

”‘I don’t want to be Boogie’ — DeMarcus Cousins tries on something new for size”

ーゴールデンステイトのセンターはチャンピオンシップ・ランと自分のキャリアとをバランスを取りながらプレイオフへ向かうー

(現地2019/4/12)

【ゴールデンステイト・ウォリアーズのセンター、デマーカス・”Boogie”・カズンズがニックネームを手に入れた二つの方法がある。

一つは本当のことで、もう一つは作り話だ。

しかし、その事実に真実がないという意味ではない。

 

1つ目の話は、アラバマから始まる。

そこには、バスケットボール・ゲームに勝つために、大きな体格の黒人を必要とする人々によって扱われる独特の方法がある。

6.9フィートの10年生だったカズンズは、ゲーム後のバスの中でコーチと口論してバーミンガム高校(Birmingham high school)を退学させられた。

人々はすぐに、カズンズがコーチを殴ったと言い始めた。

ちなみに、話がいつも大きくなるのはカズンズだからだ。

そしてそれは、Boogie Manの始まりでもあった。


カズンズの母モニーク(Monique)は、実際のBoogieカズンズの起源を語っている:

元NBAスターのロッド・ストリックランド(Rod Strickland)は、カズンズが1年だけ在学した当時のケンタッキー大学のアシスタントコーチで、カズンズの動きの滑らかさに魅了され、その全てが彼の中にある“boogie”であると見なした人物だ。

 

10年以上が経ったが、その話は真実のままだ。

カズンズは、28歳、6.11フィート、270ポンドの、まるで羽毛のようなバスケットボール・タッチを持つ、洗練された力強いビッグマンになった。

歴史的には、それは彼が他の人々に与えた感触とは正反対のことだ。

コートでの怒りっぽい性格とロッカールームの人々に食ってかかることが彼の評判の一因となっていた。

 

数人のNBAウォッチャーたちへ、男 Boogieが本物である理由を説明する。


4度のNBAオールスター選出のカズンズは、ニューオリンズ・ペリカンズ所属時の2018年1月のアキレス腱断裂後、1年530万ドルという控えめな契約でゴールデンステイトにやってきた。

カリフォルニア州オークランドでシーズンが短縮された後、カズンズはこの春初めてプレイオフに出場する。

サクラメントでの乱雑なシーズンやニューオリンズでの短期間とは異なり、ウォリアーズは、ビッグネーム達であふれ、カズンズがゲーム中ずっといる必要はない。

昨年、彼が少し一線を退いて、コートにもたらすBoogieのことや将来について考える機会があった。

 

チャンピオンシップのポテンシャルと自分のキャリアのバランスの境界線にいることで、このシーズンは、復帰以上に価値がある。

今シーズンのBoogieカズンズは、新しいことに挑戦していた。
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ブーツ、松葉杖、使い物にならないと感させる脚、穏やかになれなかった思考の数々...。

厳しい一年間のリハビリの後、カズンズは1月18日にロサンゼルス・クリッパーズのコートで復帰を果たした。

体に、落ち着きがなかった。

心は、過剰に神経質になった。


ウォリアーズが112-94で勝利したそのゲームで、カズンズは猛烈なダンクでゲームを始め、14ポイント、1ブロック、1スチール、6リバウンド、3アシストで終えた。

たしかに、彼は第4クウォーター序盤でファールアウトした。

しかし、彼はテクニカルファールは受けなかった。

”holla!”

彼のチームメイト達は足を蹴り上げて、ベンチに戻って来る彼に声援を送った。

”彼が本気で泣きたかったように見えた。”

とフォワードのドレイモンド・グリーンが言った。

”最初のポイントは右手のトマホークでペイントの真ん中を飛んだ彼のものだ。

おいおい、そんな風にジャンプしないで!

どこから飛んで来たんだよ?という感じだった。”


”その瞬間が貰えることは、僕のための世界だという証だ。”

とカズンズは思い出す。

”他の人には大きな意味はないかもしれないけど、そういうプロセスではずっと、辛抱(the grind:いつも訳すのに悩む単語)、血、汗、涙、そういうものがあると僕は知ったんだ。”
とっくに過ぎてしまったことだが、
”僕の最初のプレーが最高だった。
コートの真ん中でアスレティックなプレーをすることは、これまでで最高に良い気分だったんだ。”
とカズンズは言った。
 

怪我に倒れてから復帰するまで、長い時間をかけたことが彼を変えた。

”逆境の中で何度も、人々はそれをこれまでで最悪の事態であると考える。

実際にはそれは違う。

その瞬間は最悪だが、人はそういう瞬間を克服するものだ。

それは人としてその人を形成する。

それはまるで、鎧を着けるようなものだ。

次に起こる何かのために鎧を身に着けるんだ、終わりなんてないだろうからね。

そう、次のそういう状況では、もっと強くいられるんだ。

さらに準備を出来ていても、その次の瞬間がくれば辛い。

それからまた、そのプロセスをやり直す。

逆境は、人を形成すると僕は思う。”

 

シーズンの早い段階で、カズンズはロッカールームでの役割を果たした。

2016年五輪の金メダルを獲得した全米代表チームから知り合いだったドレイモンド・グリーンとケビン・デュラントとの口論をやわらげる手助けをして仲裁役になった。

”彼はその状況でみんなと話し合う人の一人で、あらゆることを正しい方向に向ける人の一人だった。”

とグリーンが言った。

 

彼の復帰は、同時にコートでのウォリアーズを助け始めた。

チームはカズンズが復帰してからの10試合で9勝した。

しかし3月中旬まで、ゴールデンステイトは、精彩を欠いた状態が続いた。

3月5日の対ボストン・セルティックス戦の95-128の大敗を含む3試合のうち2敗した。この試合でカズンズはセルツのテリー・ロジアーと小競り合いをしたためテクニカルを受けた。

彼は、自分の流動性とディフェンスの欠点に対する質問をしたメディアに指摘されてもいた。

 
昔のBoogieは、それが一種のやり方だと感じたかもしれない。


彼はファスト・ブレイクをしかけ、トラフィックでボールをキャッチし、あらゆるリバウンドを獲得するとしても、彼は絶え間なく攻撃を受けた。

常に、彼がチープなショットをテイクさせようと思ったプレイヤーに対しスクエアアップし、レフリーやチームメイト達と対決していた。

2005年にNBAがルールを制定して以来、カズンズは16テクニカルに達し、1ゲームの出場停止になった史上最速のプレイヤーとしてNBA史に刻んだ。

彼はメディアと怒鳴り合いの喧嘩もした。


ウォリアーとしての今シーズンは、それほどは多くなかった。

 

3月13日のヒューストンでのロケッツ戦(106-104でウォリアーズが勝利)は、カズンズが答えを出す手助けをした2ゲーム目となった。

カズンズが復帰以来最もタフで、プレーオフを見据えることが困難なものだった。

ケビン・デュラントが足首の怪我を負って欠場する中、カズンズは当時のシーズンハイの27ポイントをスコアし(現在は、4月2日の対DEN戦の28ポイントが今季最高)、8リバウント、7アシストを記録した。

”デマーカスは信じられないほど素晴らしかったよね”

とゲーム後のステフィン・カリーが言った。

”昨年たくさんの経験をして彼が復帰してから何回か浮き沈みがあった。

でも、誰も驚かされることはなかった。

一貫性を構築している途中で、そのような素晴らしい仕事を成し得た。

僕たちのためにもっとよくなると思う。”


ゲーム後のカズンズはチームの勝利、自分の際立ったパフォーマンス、そしてメディアからの批判を受け入れた。

”ここで物事がどのように繰り広げられているかを知るには十分長い期間をこのチームで過ごしてきた。

あなた方(メディア)は、常に物語を書こうと何かを探している。

僕は気にしない、あなた方皆がそれぞれの仕事をしなければならないし、僕も自分のことをしなければならない。

皆物語を探している。それが現実だ。

それから彼は、彼の最愛の92歳の祖母に祈った

休日中に彼女が亡くなったことは、彼の人生で最も辛い日だった。

彼女には、大好きなドラマがあった。

As the World Turnsは、自分の物語のようだと彼女は言っていた。


”祖母とよくそれを観たんだ。 

毎回のエピソードが色々あって、世界が変わっていくんだ。

As the World Turnsは、毎日新しい話があった。”

 

彼はそれを自分の人生として捉えたのだ。


決断、伝統、生きがいなど、カズンズの人生の中に家族のことを含まないものはない。

彼にとって、家族は元気の源だ。

特に看護師として、一人で6人の子供(カズンズは2番目)を育てた母は、特別だった。

There’s no decision, tradition or meaningful part of Cousins’ life that doesn’t involve family. They are, for him, restorative. This is particularly true of his mom, a nurse who raised her six children — Cousins is the second-oldest — by herself on the Blues for Mister Charlie side of Birmingham.
 

カズンズは7回目の年中行事の休日の買い物天国のためにフライトし、100人の子供に一人当たり200ドルを与える。これは彼の慈善事業のほんの一部だ;

夏にはユース・キャンプを主催し、バスケットボールコートの改装費用、サクラメントでの銃撃事件での犠牲者の葬儀の代金を支払ったりもした。


”これが僕のコミュニティだ。

ここが僕の育った場所だ、だから僕はここで愛を広げているだけだ。”
とカズンズは言う。
 

カズンズは、プーマの社用機に乗り込み、その買い物イベントが始まる前にその子供たち全員にプーマのバッグとギア(衣類)を与えた。

子供たちはそれぞれ、カズンズの家族や地元の多数のボランティアたちと一緒に買い物大作戦を行った。

2時間かけて、カズンズは子供たちと歩き回り、写真を撮ったり、彼らの買い物の内容を聞いたり、自分の考えを伝えたりした。

 

”Monopoly(モノポリ:ゲーム)?”

とカズンズは、一人の若い男子に尋ねた。

”僕たちはそれを持っていなかったので、デイケアのためにそれを買わなければならなかった。”

とその少年は言った。


大人たちは、手を振ってセルフィをとるためにやって来る。

ある女性がカズンズの叔母と教会に行くとカズンズに伝える。

もう一人の女性は、彼をに小言を言う、彼女はカズンズの両親と知り合いで、彼女が作ったドレッシングを好きだったことを彼が覚えていなかったからだ。

一人の紳士が、第3日曜の今日かいでゲストスピーカーになってほしいと彼を誘う。

 

彼が店の正面に向かうと、4人の幼い子供が16歳の女性を追いかけている。

彼女は買い物天国の一因になるには何をする必要があるかを訪ねてくる。

彼は、そのティーンエイジャーをモニークに預ける。

”僕のママ、モニークが君の面倒を見るよ。”

 

”私たちは貧しい生い立ちだった。”

とモニークが言う。

”私たちは決してそれを忘れないわ。

だからこそ、恩返しするときに家族全員がここにいることが非常に重要なことなの。”

 

成長したカズンズは、プットボールをプレーした。

アラバマの体の大きな黒人の子供たちはみなそうしていたからだ。

それは8年生(=中学2年生)までで、AAUバーミンガム・ストームのバスケットボールコーチであるダニー・プリチェット(Danny Pritchett)と出会うチャンスがあった。


プリチェットは、カズンズを見るなり高校生だと勘違いしていたので、バスケットボールをしたい8年生を誰か知っているのかと尋ねた。

それから2年も経たずに、カズンズは全米でトップクラスの若いプレイヤーの一人となり、彼の人生の全ての大部分が決まった。


***

カズンズは、幼い頃から体が大きかった。

だから母のモニークは、いつも自分の子供用に、解釈しなければならなかった。

それは言葉ではなく、体と年齢の関係が多くの人々とは同じようにいかなかったのだ。

彼らの絆は、黒人の子供の母親にとって、特別な種類の概念から生まれた。

 

”私たちは写真を撮ったんだけど、

彼は口にはおしゃぶりを加えている2歳のときに5歳くらいに見えたの。”

とカズンズは言った。

”「あの子はおしゃぶりをするには大きすぎる」と他人は言うでしょうね。”

 

彼が店の中で走り回って誰かにぶつかると、その人は激怒したものだ。

”彼が何かに情熱を向けて、テーブルを叩いたら、全てのお皿が落ちるほどなのよ”

とモニーク・カズンズは言う。

彼女は、デマーカスが他の子供の様な行動が出来なかった理由や、彼が何かするとそのような軽蔑に遭った理由を彼に説明したのであろう。

しかし、デマーカスは子供だったので、それを理解することはなかったのだ。

 

彼の妹のライアン(Ryan)は、モービルで幼稚園の教諭をしている。

彼女も背が高い。

人々が彼女の兄に質問するときに、それを感じると言う。

「なぜそのような振る舞いをしているのか?」

彼らがデマーカスにそう聞くのだとライアンは言う。

「なぜあなたはそんなに背が高いのか?

あなたは正しいグレード(年生)にいると思っているのか?」

 

バスケットボールは、それを増大させた。

デマーカスは、彼の体を相手に一旗揚げようとしている年上の子供といつもプレーしていた。

 

”センターポジションは、ゲームのフィジカリティに関して最もハードなポジションだわ。”

とモニークは言う。

”もしガードだったら、ちょっと触れられるだけで、ファールをコールしてもらえる。

しかしセンターだと、それを受けることになり得る。

コートのビッグマンとはそういうもの。”

 

”敵のコーチ達は、コートに出て彼にファールをし続けるようにと子供たちに伝えるのでしょう。ベンチの10人が彼に5回ずつファールをしたら、彼が1試合で受けるファールは50回もになる。”

 

デマーカスが高校を卒業するまでに、前歯の1本は4度も折られた。

(その1年後、19歳のデマーカスは、キングスの顔となり、当時のアリーナの壁には、巨大なフルボディーバナーが掲げられた。彼はチームへの勝利を切望した。)

 

モニークは、彼の状況の外観を良くしたことはないという。

 

”精神も肉体もタフにならなければならない”

と彼女は言う。

”しかし時には、肉体的な部分が彼の心に最悪の痛みを伝えることもある。

だから私がこれ以上解決策を見つける(lick)ことは出来ない。”

 

彼がさらに成功したことで、家族はすべてのコーチやコーチの友人に警戒しなければならなかった。

彼らは、シューズ契約の約束や奨学金でプリチェットから引き離したがったからだ。

 

それは家族を内部に向けさせて、カズンズに忠誠心を重要にさせた。

デマーカスは、プリチェットと全AAUキャリアをプレーした。

彼の長年のビジネスマネージャーは、ケンタッキー大学時代の学生マネージャーだった。

彼は高校以来から知り合いの女性と婚約している。

彼のセキュリティ長は、サクラメントから彼に従事している。

彼は”忠誠心は愛情(Loyalty is Love)”というタトゥを入れている。


バスの事件...(これはカズンズがコーチが最初に彼に手を出したので自分を守っていたのだと言ったのだが)...州は、バーミンガムの地域の別の学校でもプレーする資格がないと判定した。

モニーク・カズンズは、家族でモービルへ引っ越し、レフロア高校のコーチ、オーティス・ヒューリー(Otis Hughley)に自己紹介した。

コーチは、彼女を彼女との交流を求めなかった。

彼のチームは、すでにモービルエリアで優勝6回、地区大会優勝6回、州のチャンピオン1回をしていたからだ。


最初の練習で、カズンズはリバウンドを獲得し、コートを全力疾走し、レイアップで終えるようにビハインドバックパスをした。

ヒューリーは、練習を取りやめた。

彼には、頭を”整理する時間”が必要だった。


”彼をどうやって使うか把握しようとしなければならなかった。

私の考えでは、そのような子は壊れやすいからだ。”

とヒューリーは言った。

”彼はバスケットボールがしたいと思ったが、彼が必要としたことは、出る杭が撃たれるこの厄介な世界に対して戦う装備を身に着けることだった。

彼は母以外の誰も信じていなかった。”


そのうちのいくつかは、アラバマの悪しき部分に依存する。

ビートアップ(The beat-ups)は、フィジカルだが、人種的で政治的だ。

フットボールは、国家の儀式である、バスケットボールは支配力、そしてそれをすべてやり抜く黒人の体をコントロールするための闘いはほとんど規制されていない。

あるいは、ヒューリーが言うように、”南部では、ルールなど関係がない、彼らは進むにつれそれらを補うだろう。彼らは、彼の後を行くだけだ。”


ヒューリーは、一貫性、説明責任、誠実さを持って、デマーカスのような彼らの多くが家に父親が居ない子供たちをマネージした。

”私は彼らに真剣に取り組んだが、片方の腕を取り、彼らをただ抱きしめ、彼らを愛したいと思った。デマーカスは、素晴らしい子供の一人だったが、ただ感情的になった。彼は黙って座っていなければならなかった。”


大学では、カズンズはジョン・カリパリ(John Calipari)率いるケンタッキー大学を選び、そこで将来のNBAプレイヤーになるジョン・ウォールエリック・ブレッドソー(アラバマ出身の友人)、パトリック・パターソンとプレーした。

ワイルドキャッツ(ケンタッキー大学バスケットボールチーム名)は、35勝3敗でNCAAのElite Eightを果たした。

レフロイと同様に、カズンズの肩だけに頼るのではなく勝利の伝統を持つプログラムだった。


その話は後にしよう。

(Put a pin in that.)

 

続く...

】(情報元:‘I don’t want to be Boogie’ — DeMarcus Cousins tries on something new for size)

 

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