レ・ミゼラブル 4 | CACHETTOID

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Art is long, life is short.
一人の人生で得ることのできる知識や経験は、ひどくちっぽけなものですが、僕らは巨人の肩の上に立つことにより、遥か彼方まで見渡すことができます。
文学、芸術、神経科学、哲学、思考などを自由に展開していくブログです。

レミゼラブル 4
 
まだ、半分にしか満たない。ユゴーが独白を始めると言っていることは興味深いなぁと思いながら眠くなる。
100分で名著でスピノザのエチカをやっていた。スピノザのいう真理とはそこらへんに転がっているものだけではなくて自分自身の成長も心理の発見に必要なのだという。自分自身が教育、成長することによって物事の本質を見ることができる。その点で真理は真理自ら我々に問いかけてくれる。
これは、あたかも幼少期に読んだ読書と今の読書の受け取り方が違うことにも通じていると伊集院は言うが、賛成しかねる。確かに、高校時代に読んだ本を今読むと全く違う印象を受けるだろう。それは、自分自身の知識や考え方が変化したからである。しかし、この変化が前向きなものか後ろ向きなものかを判断することはこの時点ではできない。さも成長したように捉えると「昔は意味を理解できなかったのに、理解できるようになった」と真理をあたかも発見したかのように声高になるが、逆も然りである。昔は面白いと思ったことが面白く無くなるのは、何かしらの問題が欠如したからなのだろう。卑近な例では、小学生が見るようなアニメを中高生では見なくなった。なぜか。それは、表現が稚拙で単調でより複雑なものを自分が好むようになったからなのだろうか、それを成長と呼ぶのだろうか。
ここ最近、英語の勉強をしなければならないとおもい、多読をしているが、英語のボキャブラリーは乏しいので、表現は非常に稚拙である。そのため、日本語で書かれた文章のような深みのある表現を認めることはなく、ただただあらすじを読むということになる。小説の論理展開は似たり寄ったりが多く、有名なものであればあるほど、オマージュやらリメイクやらもしくはそもそもあらすじは知っていたりということで文字を眺めることになってしまう。この状態で英語の普通の本を読んでも内容が理解できないだろうから、面白くないと感じるに違いない。日本語の文章であれば、なんとなく、理解をする表現があるが、それも真の意味が分からなければ本当に楽しむことができず、面白くないと感じる。
レミゼラブルについては、当時というか現在というかフランスの歴史、文化、風景、政治を知らなければ、本当に理解してすんなりと解釈することは難しいように思う。自分にはそれが欠けている。では、いつ読めるようになるのか。その答えはずっと出ることはなさそうに思う。ならば、やはり、今ではないか。
 
レミゼラブルは五巻からなる長編で、四巻の途中では、ようやくマリウスとコゼットが出会ったところ、ガブロージュが紹介されたところだ。物語は進んでいるが、這っているように遅い。
ユゴーの教養を見せつけるような隠語についての説明が長々とあったり、コゼットがマリウスから手紙を受け取るところは、少し寒気を感じる。マリウスの狂気を感じる。