レ・ミゼラブル 3
第3巻を読み終わった。
どこかの誰かのレビューでつまらないみたいな批評がされていて、まぁ、人の感性に文句をいうつもりはないのだけど、ものすごく面白い!
ただ、知識がまだまだ不十分なので、面白いところを少しすっ飛ばしてしまうところもある。結局、ユリシーズと同じで後ろの隠された意味を考える知識がなかったら、物語は普通の流れでしかないのだろう。紫式部の指摘するように、先人のありがたい言葉をふんだんに使用する必要がある。そこに作家の知性と教養が見える。もちろん、ある小説家が指摘するように(名前を忘れた)、独創的なところもよく作る必要はある。比喩表現は真似が難しい場合もある。アリストテレスの指摘するように比喩には才能が必要かもしれない。
歴史的事実、人物なども知識がなければ、例えられる人がわからない。人名が分からなければ、確かにレミゼラブルの面白みは激減する。自分の知識はここ数年で飛躍的に増加していると思われる。文学的に芸術的に。歴史としてはほとんど知らない。ナポレオンが出てきてもワーテルローの戦いが出てきても僕にはチンプンカンプンである。が、これも、フランスをよく知る人からすればすべからく面白いに違いない。なぜなら、僕だって神戸や金沢や身近な場所の情景を書いてくれていれば大いに楽しめると思うからである。だからこそか、にたような考えを持った人の文章を読む方が面白いと思うんだろう。それは、自分の表現の幅を狭める行為でもあるので、色々な文章を読まなければいけないけども。文明が発達するにつれ文學は衰退する。最近、僕は貧困についてよく考えている。レミゼラブルの影響かもしれない。1780年から1820年程度のフランスと比較して、当然ではあるが、日本は貧富の差が比較的少ない。比較的を繰り返すのはそれでも日本にも貧富の差が存在していることを示唆している。ただ、基本的人権という名目というか取り決めというかのおかげで、日本国民は基本的人権を保持することができる。なんと素晴らしいことだろう。彼らは、基本的人権という人権の名目で日々を楽しむことができる。さて、これがなかったらどうなることか。犯罪、貧乏、病気が地下街に蔓延するだろう。悪の巣窟が作られ、飢餓、不正、不実、不貞が蹂躙するに違いない。神は人間をなんと精密につくったことか。その状態になれば、頭もおかしくなる。脳という臓器はなんとvulnerabilityの高い臓器なんだろうか。現代社会の基本的人権は当時と比較するとあまりにも天国に近い世界であるはずにも関わらず、それらを知る由もない無知性は、より低取得国に流れ、そこで人生を謳歌しようとする。マラリア、HIV、結核、梅毒。そのうち頭も犯されて、何が正常か考えることもできなくなる。それでも、彼らは幸福を感じることもできる。さて、このような基本的人権が存在することをいいことに、その最低限の生活を大いに楽しもうという輩もいる。それらは基本的な生活を超えた範囲の生活となる。それはどこが敷居なのか。生活保護という制度のもとで、彼らは何ができるのか、娯楽は何か。生産性のある仕事は何か。僕は日本という国はものすごく敗者に対して甘い国だと思っている。職がなくても生産性を持っていなくても、彼らは生きていくことができる。なんのために。意味があろうとなかろうと人権が尊いのだという何か宗教がかった物言いに後押しされている。彼らは、当時であれば、死に直面していたはずである。その中にも高尚な意志は存在した。勇敢なものもいた。現代も同じだ。社会の縮図は常に同じ鏡にうつされている。
レミゼラブルという単語が文中に出てきた。P306。「ある点では、恵まれない者と恥知らずとが混合して、みじめな人達(レミゼラブル)という、宿命的な言葉に押し込められる。」
後天的疾患と先天的疾患のどちらが惨めかと問われると、原因が本人にない先天的疾患の方が惨めに思える。後天的疾患は因果応報、自己責任であるだろうからだ。が、恵まれない者もこの中には含まれるし一概に本人が悪いとも言えない。教育という宗教観念の中で僕らは生きており、それによってインプリンティングされているから。
レミゼラブルに出てくる教養は多い。絵画が好きな自分としては、ダヴィットが引き合いに出されたことに非常に注目した。テナルディエがジャン・ヴァルジャンを騙そうとするところである。読者にはすぐにヴァルジャンがルブラン氏だと認識できるが、3巻の中ではまだ明確にヴァルジャンだとわかったわけではない。テナルディエがマリウスの父をすくった時の絵をダヴィットが描いたと豪語している。ルイ・ダヴィットのことをおそらく指している。マラーの死!ナポレオンの戴冠式!Ill suffit que je sois bien malheureuse pour avoir droit a votre bienveillance(不幸であるなら、私にはあなたの助力を乞う権利がある)暗殺された革命家マラー。手に持っている手紙はテナルディエ含むミゼラブルが救われる心を意味する。と同時に、ナポレオンの戴冠式にあるような名誉もテナルディエに与えようとする。もちろん、自作自演ではあるが。ルイ・ダヴィットは新古典主義のフランスの画家である。
ユゴーはギリシャ神話、新約成書などの教養をふんだんに使用する。また、ダンテ、ヴォルテールなどの近代作家も引き合いにだす。ゴリアテ、アベルとカイン、他にも様々出現してきたが、あまり印象にないのは自分の知識不足ゆえだ。おそらく、また、時間が立ってレミゼラブルを読めば色々なことがわかるだろう。この点はなんだか教養小説に似ている。
物語は、マリウスがコゼットに会うところである。敬虔なマリウスが色恋に目覚め、盲目となる。特筆すべきは、レミゼラブルの映画だ。歌も内容も見事に合わせていることに驚かされる。まだ、第三巻ではエポチーニの良さは見えてこない。汚れた、不吉な、どうしようもない女、しかし、それも貧乏と意地汚い親のせいだ。
最後に出てきたガブロージュ。四巻からはガブロージュも話題に入ってくるだろう。楽しみ。