昨日思ってたこと。
あまり記憶がなくなってはいるんだけど。
人がものを見た時に後頭葉皮質の神経細胞が活発になる。
今、目の前にある光を認識して、それが網膜の光受容体に作用する。
そこで電気信号が出現し(これは単純にin-current Na inflow)、それが細胞膜を伝わる。その後、電気信号が化学受容体に作用するメカニズムについては十分に理解されているし、僕自身も割と熟知している。
化学受容体の構造変化を引き起こすに至ったNaやCaなどの細胞内膜・外膜の行き来は、軸索終末からの神経伝達物質の遊離を引き起こす。その流れが連続して生じ、そして同様にcross-talkし、後頭葉皮質に到達する。
fMRIにおいて、どのような信号を拾っているのかは知らないが、まぁ、neuronの活動(活動というのは、単にin-current Na inflowに他ならない)を記録される。
この外界からの刺激が体内の物質の変化を誘発するメカニズムについては割と理解できるんだけど、本当に理解できるのかは不明で、なぜなら、外界からエネルギーを受容すると体内のエネルギー総量が増えそうだから。となるとエネルギー排泄機構が必要となって、それは、発汗やら排便やら発声やら単純に外に発するエネルギーでいいのだろうか、それとも、脳内の神経細胞が活動し、グルコースが酸化的リン酸化によって運動エネルギーに変化させられることで釣り合いが取れているのだろうか。それは僕にとっては不明である。
さて、では、頭の中で”考えた”こと、頭の中である景色を想像した時にどこが活動するかという研究では、忘れたけども頭頂葉の一部が発火するということだ。では、その脳の中の一部が発火したとして、どこがtriggerになっているのか。そこが僕は疑問だ。
そうした時に、triggerになる部分はなんなのかとすると、triggerのtriggerは?となってくるので、ホムンクルスの小人になっちゃうので、やっぱり、急に活動したんじゃないかとなる。
そういうことがあるのかな。
そもそも、細胞内のタンパク質など構造物は常に移動している、流動している。それは脂質二重層もそこに付随する膜蛋白も同様で、核酸も同様だろうか。
それはあたかも量子論的考え方だけど、動くにはエネルギーがいるのだけど、とにかく動いている。と思う。
もし仮に止まっているとしたら、何かの活動をする時に、エネルギーを生み出さなければならなくなる。しかし、常に動いているシステムでは、エネルギーの一部を移し変えるといった作業のみですむ。したがって、常に動いている方が効率が良いのではないかと考える。そして、その動きというのは、いつから生じたのかと思うと、結局は胎生期、さらには受精卵、卵子精子の段階からそうで、いや、だから、量子論的にはものが存在しているその時点から運動をしているというわけ。その運動エネルギーはどこから生じているのかというと、Na-Kポンプの絶え間ない運動が生じていて、そして運動エネルギーを増幅させている、と同時に減少させている。だから、タンパク質は絶えず生成され、同時に破壊される。核酸は常に転写される。その状態下では、”思う”という”行為”によって神経細胞が突然(あたかも)活動をするように見えるのは一応了承される。
情動と感情の勉強の後(Kandell)、無意識的状態が存在していることを示され、まぁ、単純に、意識下に生じた認知や知覚の前に神経細胞が発火してるということを無意識的状態つまり情動と考えただけかもしれないけども、とりあえず、そういう無意識的状態が先行することがある。それ自体も複数のコンポーネントによって調整されていて、例えば、扁桃体は前頭葉内側なんとかというところと常に連携して発火の速度・潜時を調整している。ここでも運動は常に生じていることがわかる。あとは、何かを行う実験系の前段階の時にどこかの部位がきちんと運動している発火している活動していることを示したいと思う。そうすると循環や回路といったぐるぐるした経路が重要だとわかる。
運動について考えると、中心前回のBetz神経細胞が発火する前に、前頭前野が興奮するのがわかるけども、何もしようとしていない時にぐるぐる回路があるはずだと思う。そして、それは基底核小脳系つまりは静止をするように働く細胞群がいるはずだと思う。fMRIでそれは示されてないのだろうか。
それらは記憶のPapetzやYakovlev回路の理論と同様ではないか。