下学して上達す![]()
孔子はこうも言っています。
「君子は上達す、小人は下達す」
AIプリーズ![]()
「下学して上達す」とは、初歩的なことから学び始め、少しずつ高度な真理に到達していくことを意味します。この言葉は、孔子の教えに由来し、身近なことから学び始めて、最終的には深い知識や技術に達する姿勢を表しています。例えば、受験勉強では基礎から学ぶことが重要であり、これを「下学して上達す」と表現します。
すばらしい![]()
小人は上学して下達す。
身近なことがわかりもしないのに、難しい哲学書なんか読んでも上達するわきゃないという意味です![]()
つまり「下達」とは、小人が安易と陥る袋小路のようなものでしょう。
袋小路いいね![]()
熨斗つけて 贈ってやりたい カメムシに![]()
それでは、君子が「下学」して「上達」するのならば、小人は「上学」して「下達」に陥ると考えればよいのでしょうか。
まあそうでつね![]()
哲学者の前田英樹が『定本・小林秀雄』のなかで、このあたりを鮮やかに描いています。
(多くの物知りは)〈上学〉の可能性を何とはなしに信じ込んでいる。わが身を離れた情報の収集だか、整理だか、あるいは研究だかを有効なものと信じている。なるほど、有効な場合もあるにはあるだろう。人を出し抜いて、誰かの思惑の裏をかき、まんまと利得にあずかる、という場合は、みなそうである。孔子は、そういうものを決して君子の学問とは認めなかった。君子の学問は、己のために為されるので、束の間の利を得んがために、まして人を見下すために為されるのではない。
物知りたち、よく聞きたまえ![]()
前田によると、「上学」とは「わが身を離れた情報の収集、整理、研究など」のことを指し、それは「人を出し抜いて、思惑の裏をかく」ような性格を持つものです。
根底に邪悪な動機が隠れてるのね![]()
これを読んで、真っ先に思い浮かぶのが「陰謀論」の類です。自分だけが真相を知っており、他者は啓蒙の対象として味方に引き入れるか、そうでなければ、出し抜いて裏をかき、利得に預かればよい、という考え方。
ああ、それもあるね![]()
前田は続けてこう言います。
「下達」とは、つまらぬ事情にむやみに精通することなのだが、小人の学問は、この「下達」からなかなかに逃れがたい。なぜかと言えば、彼の学問は、まず〈上学〉への軽信に赴くことを常とするからだ。身を離れた空想、とほうもない計算、理の上に際限なく積み重ねられる理、そうしたものの権勢に手もなくしてやられる。その先にあるものは、「下達」しかないということである。
若いうちから上学ばかり追い求めて下学を粗末にしたツケが回ってくる仕掛けだね![]()
下達とは、自分を人より優位に立たせ、それによって利得に預かり、人を見下すことに血道をあげることを言うのだと思います。
カメムシがまさにそんなやつ![]()
本物のエリートたちの中で上達してきた私は、おまいらとは違うんだみたいな![]()
それでは「上学」の対極にある「下学」とは何でしょうか。上記の文脈からすると、批判に対して常に開かれており、自分の経験にも照らして、訂正することをためらわない姿勢ではないかと思います。そうすることで、他者は出し抜いたり、それによっておのれが利得を得たりする対象ではなくなるはずです。
訂正することを躊躇わない姿勢は自分以外の他者にも向けられる![]()
自他の区別がない。
人を出し抜くためではなく、利益を得るためでもなく、頭いいっぷりするためでもない。
下学を知らないお坊ちゃまには理解できないでしょうけどね![]()
「下学」に培われた人は、大人(たいじん)の風格を帯び、人生や世の中に「上達」して見えることでしょう。
上学に培われた人の目には、サブイボ、アブラムシ、ストーカーなどに見えることでしょう![]()
ところで、だいぶ前『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という本がベストセラーになったとき、とても複雑な思いをしました。こんなふうに、消費者のニーズにものごとを置き直して考える高校生がいたら、とても嫌だろうと思いました。消費者とはなり得ない他人に出会ったとき、彼らはどう考えるのだろう、と。
他人はみんな消費者みたいなもんでしょ?![]()
読んでないからなんの話か知らんが![]()
ブログも消費者のニーズに合わせないと消されますチュン![]()
私には、この高校生たちはすでに「下達」の側に立っているように思えるのです。
幼い頃から上ばかり目指した末の下達。
悲しい色やね![]()
まあ社会全体がそういう風潮だから高校生だけの問題じゃないけどさ。
80近くなっても下達の中心に立ち、SNSでキラキラアピールしてる人もいるし。
彼らを上達のお手本にして若者たちが自分磨き![]()
空しい世界じゃのう![]()