国王神社。
平将門終焉の地に鎮座するお社です。
鳥居をくぐれば、車の往来する街道沿いとは思えない、深遠なる緑に囲まれた参道が続きます。
傾き始めた陽が射し込み…
吸い込まれるように参道を進みます。
木立の参道の先、社殿が見えてきます。
参道を振り返る。
茅葺屋根が鄙びた雰囲気を醸し出します。
御祭神は平将門公。
900年代初めに関東一円を制圧し、自ら"新皇"を称し、岩井(現坂東市岩井)の地に政庁を設け京都の朝廷に対抗をしました。この"平将門の乱"は数ヶ月で鎮圧され、平将門は京都で獄門(晒し首)にされます。
勇猛な狛犬。
耳には蝉の抜け殻カフス。
境内は平将門が矢に額を撃ち抜かれ最期を遂げた地と伝わります。
追っ手から奥州に逃れ出家をしていた三女、如蔵尼が父の33回忌に当たる972年に岩井の地に戻り、庵を結びます。
そして、
霊木で父の木像を彫り、祠を建てて安置したのが国王神社の創祀と伝わります。
その木像、及び拝殿と本殿は茨城県の有形文化財に指定されています。
17時過ぎ、拝殿の扉は閉ざされていました。
見事な茅葺屋根に導かれ、
御本殿へ。
茅葺に苔や草が芽生え…
質素ながら、重厚で厳か。
ここまで見事に、茅葺で厚く覆われている社殿というのも、他ではなかなか無いのでは。
平将門については、英雄と逆賊の2つの見方がありますが、中央政権の圧政に対抗して、新たなる政権を築こうとした点で、革新的な人物だったのだと思います。
将門没後の100年後、源頼義・義家の親子の台頭により、武士の夜明けを迎え、その後、源平合戦を制した源氏が初の武家政権を関東に開きます。
そう考えると、平将門が後世に与えた影響は多大だったのではと思います。
かつては、蛮東とも揶揄された未開の地を、将門〜頼朝〜家康が今の関東にしてきたのかと思うと、感慨深いですね。
境内社。
境内のアラカシは市の天然記念物に指定されています。
ご当地マンホールは市の花鳥木、チャノハナ、ケヤキ、ウグイスが描かれています。
これにて、茨城漫遊 feat. りんさんもお仕舞いです。
蔵に城に寺社に屋敷…
どれも素晴らしい想い出になるものでした。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。
おまけ。
茨城のご当地ラーメン、スタミナラーメンの冷やし。
つくば市の「がむしゃ」にて。
胃袋の念願も叶いました 笑